自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(四)]P86より抜粋

 1918年2月22日 金曜日

 今夜お話することは多分貴殿には本題から外れているように思えるかも知れません。が、地上で当たり前と思われている生活とは異なる要素を正しく理解する上で大切な事柄について貴殿の認識を改めておく必要があるのでお話します。
 それは、同じく地上から霊界へ誕生してくる者の中でも、地上で個的存在としての生活を一日も体験せずにやってくる、所謂死産児のことです。そういう子供は眠ったままの状態でこちらへやって参ります。その子達にとってのこちらでの最初の目覚めは、地上での誕生時と同じ過程であることは理解して頂けるでしょう。ただ、地上の空気を吸ったことがなく、光を見たことも無く、音を聞いたこともありません。要するに五感のどれ一つとして母胎内での自然な過程の中で準備してきた、その本来の形で使用されたことがありません。従ってそれぞれの器官はほぼ完全に近い状態であっても完全に出来上がってはいません。その上、脳髄が五官からのメッセージを処理する操作をしたことがありません。そういうわけで、死産児としてこちらへ来た子供は潜在的には地上的素質を具えてはいても、経験的にはそれが欠けています。ただ、たとえ数分間にせよ、或いはそれ以下にせよ、実際に生きて地上に誕生した後他界した子供はまだ事情が異なります。
 こういう次第ですから、死産児の霊の世話に当たる人達が解決しなければならない問題はけっして小さいものではないのです。まずその霊が自然な発育をするように霊的感覚器官を発達させてやらねばなりません。それから霊的脳髄にその器官からの情報を処理する訓練をさせてやらねばなりません。数分間でも生きていた子の場合であれば脳と器官との連絡が僅かながらも出来ておりますから、その経験をその後の発育の土台として使用することが出来ます。が、死産児にはそれが欠けていますから、こちらの世界でそれをこしらえてやる必要があります。それが確立されさえすれば、後は普通の子供と同じように、発育の段階を一つ一つ重ねていくだけとなります。
 この段階での育児には、たとえ面倒でも、様々な手段が講じられます。例えばその子供と地上の両親との間、特に母親との間には特殊な繋がりがあります。そこで、出来るだけ母体からの出産に似た体験をその子にさせて、その体験を通じて母胎からの肉体的分離つまり独立した個体となったという感触を味わわせます。無論これは肉体では出来ませんから、子供の霊的身体と母親の霊的身体とを使って行ないます。これによって自然な出産がもたらす程の密接な脳と器官との連絡関係が得られる訳ではありませんが、一応、地上の親との関係は確立されます。そしてその時点からその子供は地上の母親との繋がりを保ち、可能な限り普通の子供と同じような発育をするよう配慮されます。それでもやはり、地上に誕生した体験をもつ子供との間にある種の相違点がどうしてもあります。地上体験から得られる厳しさに欠けている面がある一方、地上体験のある子供よりも性格と考え方に霊性が見られます。しかし、成長と共に地上体験のある子供は霊性を身に付け、死産児は母親との繋がりを通じて、更に成長してから他の家族との繋がりを通じて、地上の知識を身に付けていきますから、その相違点は次第に小さくなり、遂にはほぼ同等の友情関係まで持てるようになり、互いに自分に欠けているものを補い合えるようになります。
 かくして一方は柔らかさを身に付け、他方は力強さを身に付け、一つの共同体の中で、有益であると同時に楽しい〝多様性〟の要素をもたらすことになります。
 以上の話から貴殿も、地上の両親の責任が死後の世界の子孫にとっていかに大きいかがお分かりになるでしょう。死後の育児にとっても両親との接触が必要だからです。地上の血縁関係の人との接触のない子供は正常な発育が得られない-他の何ものによっても補えない、欠落した要素があるのです。仮に両親が邪悪な生活を送っている場合は、地上の時間にして何年もの間その両親に近付かないようにしておいて、そうした子供の保育に当たっている人達(地上において子宝に恵まれず母性本能が満たされないまま他界した女性)からみて大丈夫と思えるだけの体力と意志力と叡智を身に付けるように指導する必要があります。
 ところが、子供が地上的影響力に晒されても安全という段階に至らない内に、親の方が地上の寿命が尽きてこちらの世界へ来るというケースがよくあります。そうなった場合子供は祈りを頼りとする他なくなります。
 その場合の親には最早地上で乳房をふくませた子供に対する情愛は持ち合わせません。或いは自分にそんな子がいたことすら知らないでしょう。ですから、二人の間の絆は-仮に残っていても弱いものですが-子供が向上していくにつれてますます薄れて行き、一方母親の方は浄化の為の境涯へと下りて行きます。その浄化の為の期間を終えて再び戻って来た頃には、子供の方は既に母親の手の届かない高い境涯へと進化していることでしょう。
 子供の方では母親を認識しております。そして母親の気付かない内にも色々と援助しております。しかし親と子を結び付ける本来の温かい情愛の絆は、向上進化を基調とした天界での通常の生活では存在しないし、有り得ないことになります。
 この話を持ち出したのは、我々から見ると地上にはこうした(水子の)問題において母性がもつ重責があまりに無視されているからです。地上にて花開くことなくつぼみの内にむしり取られた、そうした優しい花はあまりにも可憐であり、親を知らないことから来る物憂げな表情が歴然としている為に、それを見る者は悲痛な思いをさせられるものです。といって今のその子達が不幸だと言っているのではありません。およそ不幸といえるものとは縁遠いものです。ただ、先も言った通り、他の何ものによっても補えない欠落した要素があり、これは地上で母性本能を満たされなかった女性が母親代わりに世話してあげても、ほんの部分的に補えるだけです。そこで(永い永い進化の旅の中で)一方が他方の欠けているものを与え、また自分に欠けているものを受け取っていくということになるのです。その関係は見ていて実に美しいものです。

 アーネルという霊より