自殺ダメ
[コナン・ドイルの心霊学]コナン・ドイル著 近藤千雄訳より
P222より抜粋
「使徒行伝」第2章の冒頭に、ペンテコステの日に使徒達が〝一つの場所〟に〝心を一つにして〟集まったとある。心を一つにするということは心霊実験会で最高の現象が見られる時に欠かせない条件の一つである。更に続けて〝激しい風が吹き〟その後〝舌のようなものが炎のように分かれて現れ、一人ひとりの頭上に留まった〟とある。これは物理実験会で見られる現象と全く同じで、1873年にクルックス博士が行なった実験会での現象を紹介すると-
《幾つかの発光性の固まりが凄い速度で飛び交い、出席者の一人ひとりの頭上に降りた・・・・》
《こうした現象-私はあえて全ての現象と言ってもよいかと思う-が発生する時は、前もって一種独得の冷たい空気が漂い、時にはそれが強烈な風となることもあった。机の上に置いてあった書類が吹き飛ばされたことが何度もある。寒暖計を見ると数度も下がっていた・・・・》
現象そのものが似ているというだけでなく、まず冷たい風が起こり、それから光が発生するという順序も同じというのは不思議ではなかろうか。やはり、十九世紀という長い時間を隔てても変わることのない、心霊的法則というものがあることを示唆していると言えるのではなかろうか。
バイブルには、更に〝みんなが集まっていた場所が揺さぶられた〟とある。これも近代の心霊現象と共通したもので、実験会の直ぐ側を大型トラックが通り過ぎたように揺れた、といった表現をしている。パウロが〝我々の福音は言葉で届けられるだけではない-パワーを伴っている〟と述べているのも、明らかにそのことを言っていると考えられる。〝新しい啓示〟を説く人がパウロと同じことを言っても、少しもおかしくない。
実は私も全く同じ体験をしている。アマチュア霊媒のフェニックス氏による交霊会で、やはり冷気を含んだ一陣の風が吹いてから、柔らかなモヤのような炎が現れて、十五人の出席者の頭上を漂った。奇しくもペンテコステの日の現象と同じく〝二階屋敷〟での出来事だった。
先に私は、こうした現象の合理的説明は、現象がどういう形態を取るにせよ、それを起こしているのは同じ始源から発する霊力であるとする以外に考えられないと述べた。パウロは「これらは全て、この唯一無二の霊力を活用したものであり、霊能者一人ひとりに割り当てられているのである」と述べている。全く同じことを言っているとみてよい。近代スピリチュアリズムでは、そのことを列記とした事実によって証明してくれているが、パウロの表現は実に見事である。
そのパウロは〝叡智のことば〟〝知識のことば〟〝信じる心〟の三つを最も大切な要素として挙げているが、これが更に〝霊力〟と結び付けば、他界からの高等な霊界通信を生み出すことになる。霊的治療もしかりで、今日でも秀れた心霊治療家によって行なわれている。これも霊力の仕業であり、治癒エネルギーを病的な身体に注ぎ込むことによって健康を回復させるのである。注ぎ込んだだけ治療家自身の霊力が失われる理屈になるわけで、イエスが「今私に誰か触りましたね?私の身体から徳力が脱け出ていきました」(ルカ8章)と言った、その〝徳力〟とは〝霊力〟のことだったのである。
その他の〝奇跡〟と呼ばれている現象、例えば物品引き寄せ(アポーツ)、物体及び人体の浮揚なども皆霊力の仕業である。更には〝予言〟もある。もっとも、これは正確に当たるものもあるが、とかく気まぐれで、人を惑わすことすらある。その一番いい例が、初期キリスト教時代におけるエルサレムの陥落とエホバの神殿の崩壊の予言で、当時の人はそれを地球の終末と信じたのだった。現代に至るまでにも、いい加減な予言が繰り返されており、従ってこれが無視されたり否定されたりしても、とやかく言える筋合いではない。
もう一つ、直感的能力として、〝スピリットを見分ける〟能力がある。初期のキリスト教時代にはどのような方法でスピリットと交信したかは、私の知る限り記録はないが、ヨハネが「出て来たスピリットを何でも信じてはいけない。果たして神の味方かどうかを見分ける為に、そのスピリットを試しなさい」と言っているところをみると、霊界との交信はよく行なわれていたのであり、同時に、今日と同じように、いい加減な低級霊の浸入によって悩まされていたことが窺われる。
ある法廷弁護士が著した本に、普段はドイツ語は話せない娘さんが完璧なドイツ語で喋った話が出ている。それを読んで間もなく、著名な医師から手紙が届き、自分の子供の一人が中世のフランス語で長文の通信を書いたので読んでみて欲しい、とあった。こうしたことは今も昔もよくあることで、慎重な態度が肝要である。
[コナン・ドイルの心霊学]コナン・ドイル著 近藤千雄訳より
P222より抜粋
「使徒行伝」第2章の冒頭に、ペンテコステの日に使徒達が〝一つの場所〟に〝心を一つにして〟集まったとある。心を一つにするということは心霊実験会で最高の現象が見られる時に欠かせない条件の一つである。更に続けて〝激しい風が吹き〟その後〝舌のようなものが炎のように分かれて現れ、一人ひとりの頭上に留まった〟とある。これは物理実験会で見られる現象と全く同じで、1873年にクルックス博士が行なった実験会での現象を紹介すると-
《幾つかの発光性の固まりが凄い速度で飛び交い、出席者の一人ひとりの頭上に降りた・・・・》
《こうした現象-私はあえて全ての現象と言ってもよいかと思う-が発生する時は、前もって一種独得の冷たい空気が漂い、時にはそれが強烈な風となることもあった。机の上に置いてあった書類が吹き飛ばされたことが何度もある。寒暖計を見ると数度も下がっていた・・・・》
現象そのものが似ているというだけでなく、まず冷たい風が起こり、それから光が発生するという順序も同じというのは不思議ではなかろうか。やはり、十九世紀という長い時間を隔てても変わることのない、心霊的法則というものがあることを示唆していると言えるのではなかろうか。
バイブルには、更に〝みんなが集まっていた場所が揺さぶられた〟とある。これも近代の心霊現象と共通したもので、実験会の直ぐ側を大型トラックが通り過ぎたように揺れた、といった表現をしている。パウロが〝我々の福音は言葉で届けられるだけではない-パワーを伴っている〟と述べているのも、明らかにそのことを言っていると考えられる。〝新しい啓示〟を説く人がパウロと同じことを言っても、少しもおかしくない。
実は私も全く同じ体験をしている。アマチュア霊媒のフェニックス氏による交霊会で、やはり冷気を含んだ一陣の風が吹いてから、柔らかなモヤのような炎が現れて、十五人の出席者の頭上を漂った。奇しくもペンテコステの日の現象と同じく〝二階屋敷〟での出来事だった。
先に私は、こうした現象の合理的説明は、現象がどういう形態を取るにせよ、それを起こしているのは同じ始源から発する霊力であるとする以外に考えられないと述べた。パウロは「これらは全て、この唯一無二の霊力を活用したものであり、霊能者一人ひとりに割り当てられているのである」と述べている。全く同じことを言っているとみてよい。近代スピリチュアリズムでは、そのことを列記とした事実によって証明してくれているが、パウロの表現は実に見事である。
そのパウロは〝叡智のことば〟〝知識のことば〟〝信じる心〟の三つを最も大切な要素として挙げているが、これが更に〝霊力〟と結び付けば、他界からの高等な霊界通信を生み出すことになる。霊的治療もしかりで、今日でも秀れた心霊治療家によって行なわれている。これも霊力の仕業であり、治癒エネルギーを病的な身体に注ぎ込むことによって健康を回復させるのである。注ぎ込んだだけ治療家自身の霊力が失われる理屈になるわけで、イエスが「今私に誰か触りましたね?私の身体から徳力が脱け出ていきました」(ルカ8章)と言った、その〝徳力〟とは〝霊力〟のことだったのである。
その他の〝奇跡〟と呼ばれている現象、例えば物品引き寄せ(アポーツ)、物体及び人体の浮揚なども皆霊力の仕業である。更には〝予言〟もある。もっとも、これは正確に当たるものもあるが、とかく気まぐれで、人を惑わすことすらある。その一番いい例が、初期キリスト教時代におけるエルサレムの陥落とエホバの神殿の崩壊の予言で、当時の人はそれを地球の終末と信じたのだった。現代に至るまでにも、いい加減な予言が繰り返されており、従ってこれが無視されたり否定されたりしても、とやかく言える筋合いではない。
もう一つ、直感的能力として、〝スピリットを見分ける〟能力がある。初期のキリスト教時代にはどのような方法でスピリットと交信したかは、私の知る限り記録はないが、ヨハネが「出て来たスピリットを何でも信じてはいけない。果たして神の味方かどうかを見分ける為に、そのスピリットを試しなさい」と言っているところをみると、霊界との交信はよく行なわれていたのであり、同時に、今日と同じように、いい加減な低級霊の浸入によって悩まされていたことが窺われる。
ある法廷弁護士が著した本に、普段はドイツ語は話せない娘さんが完璧なドイツ語で喋った話が出ている。それを読んで間もなく、著名な医師から手紙が届き、自分の子供の一人が中世のフランス語で長文の通信を書いたので読んでみて欲しい、とあった。こうしたことは今も昔もよくあることで、慎重な態度が肝要である。