自殺ダメ




 [コナン・ドイルの心霊学]コナン・ドイル著 近藤千雄訳より

 P15より抜粋


 これは、巻頭に掲載してあった訳者の近藤千雄氏のコナン・ドイルについての文章です。


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 〝シャーロック・ホームズ〟の人気の最中で
 サー・アーサー・コナン・ドイルといえば誰しも思い出すのが、名探偵シャーロック・ホームズである。そのシリーズは1887年の『緋色の研究』を皮切りに長短六十編にも及んでおり、世界百カ国語に翻訳されているという。これを読み解き、新発見をして楽しむ愛好家を〝シャーロッキアン〟と呼ぶ。
 「シャーロック・ホームズ協会」というのがロンドンにあり、1987年にはそこの主催で〝シャーロック・ホームズ生誕百周年〟の記念行事が大々的に催された。ホームズの〝誕生日〟とされる一月六日には国会議事堂で記念晩餐会が開かれ、四月から五月にかけて主役のホームズや友人で医者のワトソンなどの〝仮装行列〟が行なわれ、BBC放送も特別記念番組を組んだ程だった。日本にも「日本シャーロック・ホームズクラブ」というのがある。最初の日本語訳は1894年(明治二十七)で、今でも小・中学校の図書館の貸し出しベストテンに必ず入っているという。
 その原作者であるコナン・ドイルが医学部(エジンバラ大学)出身の医師で、眼科を専門にしていたことを知る人は意外に少ない。実を言えばシャーロック・ホームズ・シリーズは医者としての仕事の暇潰しに書いた『緋色の研究』が思わぬ好評を博したので、止むを得ず次から次と書く羽目になってしまったというのが真相らしく、シャーロッキアンには悪いが、ドイル自身はあまり乗り気ではなかったという。
 それは本書をお読み頂けば納得がいかれるであろう。1882年に医科を出た頃は、米国で勃発したスピリチュアリズムの波が英国でも第一級の知識人を巻き込んで、一種の社会問題にまで発展し、その事実は当然ドイルの耳にも入っていた。そして、丁度『緋色の研究』を執筆中と思われる頃に、ニューヨーク州の最高裁判事J・W・エドマンズの霊的体験記を読んでいる。しかし、その時はまだまだ懐疑的で、それを読みながら、人間界のドロドロとしたいがみ合いを毎日のように裁いている人はこんなものに興味をもってしまうものかと、むしろ哀れみにさえ思ったという。

 驚異の現象を目の当たりにして
 しかし、次から次へと出版されるスピリチュアリズム関係の書物の著者が、いずれも当時の第一級の知識人で世界的に名声を博している人達であることを知るに及んで、もしかしたら頭がおかしいのは自分の方かも知れないと思い始め、そこからスピリチュアリズムへの取り組み方が変わっていった。そして間もなく、グリニッジ海軍学校の数学の教授でドイルが主治医をしていたドレイスン将軍の自宅での実験会に出席し、驚異的なアポーツ現象(閉め切った部屋へ外部から物品を引き寄せる)を目の当たりにして、深く考えさせられた。
 それがきっかけとなって、知人の中でスピリチュアリズムに関心を持つ二人と自分の三人で、自宅で交霊会を催すようになった。霊的原理を知らないままの、言わば手探りの状態で続けられたその交霊会で、ドイルは頭からバカに出来ない何かがあるという感触を得ながらも、どちらかというと失望・不審・不快の繰り返しを体験し、相変わらず懐疑的態度を崩し切れなかった。本文でも述べていることだが、ドイルが後に、異常現象を直ぐに摩訶不思議に捉えてはいけない-あくまでも常識的な解釈を優先させ、それで解釈が不可能な時にのみ霊的に考えるべきである、という態度を強く打ち出すようになった背景には、そうした初期の苦い体験がある。
 こうしてスピリチュアリズムに感心を寄せていく一方では、シャーロック・ホームズ・シリーズは売れに売れて、アーサー・コナン・ドイルの名は英国はもとより、世界中に広まっていった。ドイルがその後もスピリチュアリズムへの関心を持ち続けて、最後には〝スピリチュアリズムのパウロ〟とまで言われる程、この新しい霊的思想の普及の為に太平洋と大西洋を股に掛けて講演旅行をするようになった最大の原因は、そうした推理作家としての人気を背景にして、著名霊媒やその研究者達と直接に接することが出来たからだった。そして、その研究成果を旺盛に吸収していくと同時に、世界スピリチュアリスト連盟の総会の議長を務めるなど、目覚しい活躍をしている。

 二つの時代的背景
 本書に収められた二編(『新しき啓示』『重大なるメッセージ』)は、四十年近いスピリチュアリズムとの関わり合いによって得た〝死後の世界の実在〟への揺ぎ無い確信を元に、それが有する時代的意義と人類全体にとっての宗教的意義とを世に問うたものである。その二つの意義については本文をお読み頂くことにして、それを正しく理解する上で念頭に置かねばならない時代的背景を二つ指摘しておきたい。
 一つは、第一次世界大戦に象徴される、当時のヨーロッパにおける帝国主義的植民地支配の趨勢である。その中心的勢力となっていたのが、他ならぬドイルの母国イギリスで、手段を選ばぬ策謀によって他国から利権を奪い巨利を搾取していく母国の資本主義者達に、ドイルは激しい憤りを覚えていた。良識的観点からも許せないことであるのみならず、当時既に〝確信〟の域に達していた死後の存続の事実に照らしても、愚かしい人間的煩悩の極みを見る思いがしていた。
 もう一つは、それと表裏一体の関係にあるという見方も出来るが、その第一次大戦の戦場となったヨーロッパは、ローマ帝国によるキリスト教の国教化以来、実に二千年近くもキリスト教的道徳観によって支配されてきた世界だったという事実である。つまりドイルは、あの血生臭い暗黒時代を生み出すまでに人心を牛耳った筈のキリスト教が、なぜ戦争の歯止めにならなかったのかと問いかけるのである。そしてその最大の原因は、キリスト教の教義がバイブルにいう〝しるしと不思議〟を無視した、言わば人工の教義であり、天国を説いても地獄を説いても、その裏付けとなるものを持ち合わせていないことにある、と主張する。

 心霊現象は〝電話のベル〟
 その主張の根拠となっているのは、言うまでもなく現代の〝しるしと不思議〟とも言うべき実験室内での心霊現象である。その心霊現象をドイルは電話のベルに譬える。つまりベルが鳴る仕掛けは単純極まりないものだが、そのベルが重大な知らせの到来を告げてくれることがあることに譬えて、テーブルが浮いたり楽器がひとりでに演奏したりする現象は確かにそれだけでは何の意味もないが、その他愛ない現象は目に見えない知的存在、所謂スピリットの実在を物語るものであり、その意味では(そしてその意味においてのみ)大切なものである、というのである。
 しかし、その段階に留まって好事家的趣味で終わってはならない、とも主張する。今度は自動書記や霊言によって入手された霊界通信に目を向けて、遅かれ早かれ我々も赴くことになっている、その見えざる世界について学ぶべきである、というのである。

 夫人と共に海外講演旅行へ
 さて、本書に収めた二編を執筆している頃から、ドイルはスピリチュアリズム思想の普及の為の世界旅行を計画していた。そして手始めに1918年と翌年の二年間を英国内での講演に費やしている。
 そして翌年の1920年からの二年間を、夫人同伴でオーストラリアとニュージーランドでの講演旅行に費やしている。更に1922年には北米に渡って東海岸の主要都市を回り、その翌年には西海岸のカリフォルニアまで足を運んでいる。
 その後、どういう事情があったのか、四年間程講演旅行に出た形跡はない。が、1928年、すなわち他界する二年前には、北ヨーロッパの主要都市を回っている。
 こうした講演旅行を計画し手配したのは〝ドイルの右腕〟と言われたアーネスト・オーテンで、後に英国スピリチュアリスト連盟を設立し、その初代会長を務めている。そのオーテンの語ったところによると、その講演旅行の経費は二十万ポンドに上ったという。円が桁違いに強くなった現在のレートで換算してもおよそ五千万円になるが、当時のレートでいけば億の単位となるであろう。多分、シャーロック・ホームズ・シリーズで得た印税収入の全てを注ぎ込んだのであろう。そして、僅か二年後の1930年に71歳で他界している。ドイルが〝スピリチュアリズムのパウロ〟と呼ばれる所以である。

 心霊現象の科学的研究
 ドイルが生きた時代、すなわち十九世紀後半から二十世紀初頭にかけての数十年間は、心霊現象が最も華やかで、それだけに偽物も横行したが、科学界の一線級の学者を中心とする多くの知識人が真剣にその真偽を確かめようとした時代だった。
 頭から毛嫌いして、調査も研究もせずに〝そんなものある筈がない〟と一方的に否定論をぶつ学者もいたが、非難を覚悟で思い切って手を染めた学者は、一人の例外もなく、その真実性を確信する声明を発表している。これは特筆大書すべきことで、それがやがて〝霊魂説〟へと発展していくのである。
 ドイルは、そうした研究者達の成果を持ち前の推理力を駆使して点検する一方、直接の面会や交流を通じてその真実性の確信を深めていった。その経過を辿りながらスピリチュアリズムの起原と思想を平たく解説したのが、本書に収められた二編である。
 その後は自然界の精霊の存在を扱った『妖精物語』(1922)や、講演旅行を纏めた『二人のアメリカ冒険旅行』(1923)及びその続編(1923)、そして1926年には大著『スピリチュアリズムの歴史』を著している。これは、Ⅰ、Ⅱを併せて七百ページに上る厖大なもので、ドイルのスピリチュアリズム研究の集大成であると同時に、スピリチュアリズムの貴重な文献となっている。

 物理的なものから精神的なものへ
 私は今、ドイルが生きた時代は心霊現象の最も華やかな時代だったと述べたが、それは主として物理的現象のことで、それが少しずつ下火になっていくにつれて逆に精神的なもの、或いは思想的なものが多く出始め、霊言現象や自動書記現象によって、人類史上かつて類を見ない高等な人間観や宇宙観が啓示されるようになった。
 そうした側面になると、ドイルの時代以降に輩出したものの方が組織的且つ学問的で、そこに明らかに進歩の跡が窺える。そういう波動の高いものが受けられる霊媒が多く輩出したということである。本書ではそうしたドイル以降のものについては〝訳注〟で補足する形で、あまり深入りしない程度に解説しておいた。深入りしないのは、多分本書の読者の大半の方、もっと言えば日本人の大半の人にとって、思想的にややこしい問題はどうでもよい-こうして現実に生きている我々人間とは何なのか、何の為に生きているのか、死んだらどうなるのかといったことの方が切実な問題であろうと察せられるからである。
 もとより、ドイルが本書で目標としているのもそこにあるのであるが、正直言って本書で披露されているものだけでは、やや隔靴掻痒(かっかそうよう)の感を拭い切れない点が見受けられる。そこで私はその不足分をドイルのその後の著書からの引用で補ったり、〝訳注〟の形で解説させてもらった。が、それも所詮は西洋的なものばかりで、読者によってはそのバタ臭さに抵抗を感じられる向きも無きにしもあらずであろう。
 そこで私は、日本で発掘された資料の中でも〝第一級〟の折り紙がつけられているものを巻末で紹介して、参考に供したいと思っている。しかもそれも、ドイルが解説してくれているスピリチュアリズムという普遍的な霊的原理の理解があって初めて納得のいくものであることを承知されたい。

 〝スピリチュアリズム〟の語原
 この度の翻訳に使用したのは、サイキックプレス社発行の『新しき啓示』と『重大なるメッセージ』の合本で、1981年に復刻されたものである。前者の初版は1918年、後者はその翌年であるから、ほぼ六十年後の再出版ということになる。読者の中には〝なぜ今になってそんなに古いものを〟と思われる方がおられるであろう。もしかしたら〝スピリチュアリズムはもう古い〟という考えを抱いている方がいらっしゃるかも知れない。が、それは大変な見当違いの認識であると申し上げたい。なぜそう言えるのかを解説することがスピリチュアリズムの本質を解説することにもなるので、最後に一通り述べさせて頂きたい。それには〝スピリチュアリズム〟という用語の由来を述べるのが一番手っ取り早いように思う。
 人間の自我の根源を西洋ではプシュケーとかサイケ、或いはスピリットと呼んできた。日本語の〝霊〟に相当すると考えてよいであろう。それが物的身体と結合して出来上がるのが自我意識である。譬え話で説明すれば、地上生活は潜水服という肉体を纏って海中(大気)に潜っているようなもので、一日一回、酸素の補給の為に海面上に上がってくるのが睡眠である。が、その内潜水服を脱ぎ捨てて陸へ上がってしまう。それが〝死〟である。それで本来の自分に戻るのである。つまり人間は元々スピリット、つまり〝霊〟なのであって、肉体は殻であり道具に過ぎない。
 従って、地上生活にあってもそのこと、つまり本来は霊的存在で当然死後も生き続ける、ということがスピリチュアリズムの基本的認識である。ところが、物質文明の発達はその霊性の自覚を麻痺させ、〝物欲〟による様々な闘争を生んできた。人類の歴史は闘争の歴史といってもよい程、血生臭い殺戮と虐待の繰り返しである。それは現代に至るも、少しも変わっていない。兵器が発達して殺し方の効率が上がったというだけのことであって、本質的には少しも変わっていない。つい先頃の湾岸戦争で、世界の人がそれをテレビで目の当たりにしたばかりである。

 霊性の回復の為の霊界からの働きかけ
 スピリチュアリズムというのは、その麻痺した霊性の自覚を回復させることを目標とした霊界からの、地球規模の働きかけである。つまり人類をスピリチュアライズすることであり、そこからスピリチュアリズムという用語が出来た。従ってこれに〝心霊主義〟とか〝神霊主義〟とかの訳語を当てるのは間違いなのである。主義・主張の類ではなく自然発生的に生まれてきたものであるから、本来なら名称を付すのはおかしいのであるが、その存在を明示する為にとりあえずそう呼んでいるまでのことである。
 これでお分かり頂けたことと思うが、霊性の自覚は地上人類にとって平和共存の為の必須の条件であり、過去においても必要だったし、現在においても必要であるし、又未来に亘っても要請され続ける性質のものである。ニュートンが発見する以前から万有引力は働いていたし、今なお働いている。コペルニクスが『天体の回転について』を著す前から地球は太陽の回りを回っていたのであり、今尚変わらぬ速度で回っている。
 それと同じく、人間の霊性は今も昔も同じであり、未来永劫に亘って人間は霊的存在であり続けるのである。そのことを科学的に裏付けされた実証的事実を基盤として説いたものを〝近代スピリチュアリズム〟と呼んでいるまでのことで、本質的には新しいものでも古いものでもない-永遠不変の原理なのである。
 その原理を教えてくれる書物なら、古いもの、新しいものを入れると厖大な数に上る。私の手元にも、優に百冊を超える原書が揃っている。その中からあえてこのドイルのものを訳出したのは、ドイルの知名度もさることながら、世界中のシャーロック・ホームズ・ファンを楽しませたコナン・ドイルが、密かに生き甲斐を求めて探求し続けたのがスピリチュアリズムだったという事実を知って頂くと同時に、その探求の後をドイルと一緒に辿って頂くことが、〝人類にとって最も重大〟とまでドイルが断言するスピリチュアリズムの概略を知って頂くきっかけになると考えたからである。

 憂慮すべき日本の心霊界の現状
 今、日本の現状に目をやってみると、あまりにいい加減な心霊書が出回り、しかもよく売れている。〝いい加減〟という意味は、科学的ないし理性的チェックがなされていないということである。あろう筈もない神々からの霊言やら、〝世紀末〟という、何やら意味ありげな用語で不安を煽る、不健全極まる預言書が氾濫している。チャネリングとかいって、分かる筈もない、又分かっても何の意味もない前世のことを、さも分かったように口にする、商売根性丸見えの自称霊能者が横行している。
 そうした実情に鑑みても、十九世紀半ばに勃興して以来この方、世界的学者や知識人による徹底的な検証を受けた心霊現象の科学的研究から生まれたスピリチュアリズム思想は、霊的なものを判断する上で欠かすことの出来ない、大切な尺度であると考える。
 と言って、科学者による研究書では煩雑で退屈で、却って興味が殺がれてしまう。そうかといって、いきなり霊界通信をまるごと読んでも、これ又、疑念百出で、こんがらがってしまうであろう。その点ドイルは学者でもなければ霊能者でもない-我々一般人と同じ真理探求者という立場で、その双方を適当にない交ぜにしながら、概略的に纏めてくれている。
 本書との出会いが、一人でも多くの読者にとって、人生観のコペルニクス的転回のきっかけとなれば幸いである。

 訳者 近藤千雄