自殺ダメ



 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より


 W・H・エバンズ(1877~1960)
 幼少時より超能力を発揮、特に入神霊媒として活躍した時期もあるが、後半生はA・J・デービスの『調和哲学』をスピリチュアリズム的に解説して、各心霊紙に寄稿。著書には『A・J・デービスの調和哲学』その他数多い。


 P94からの抜粋。

 まず手始めにトーマスの『死の彼方の夜明けに』から、他界直後の様子を窺ってみよう。霊媒はオズボーン・レナード女史。通信者はトーマス氏の友人である。
 「こちらへ来ると同時に私は目に見えて元気になるのが判りました。が、もっと驚いたのは、見覚えのある人達が次々とやって来て再会の挨拶をしてくれたことでした。これには私も驚きました。中には私が地上で面倒を見てあげた人も幾人かおり、皆心から再会を喜んでくれました。その派手な賑やかさときたら、まるでロンドンの市長がお役人衆を引き連れて市中を挨拶回りする時のようでした。イヤ、あれ以上かもしれません。何しろ何百人もの人が代わる代わる私の手を握っては〝暫くでしたね〟〝ようこそ〟と挨拶してくれたのですから。
 握手しただけで別れてしまうのが残念な人が大勢いました。間もなく私も自由に行動出来るようになりましたが、歩いてみて始めて地上と違うところを発見しました。建物の様子や家財道具などは地上と少しも変わりませんが、目的地へ行くのに一々足を使わなくても、ただ目を瞑って精神を統一すれば、何時の間にかそこに来ているのです。初め私が歩こうとしたら指導霊からこう言われました。〝今誰かの所へ行く用事が出来たとする。が、歩いては駄目だ。足を使わずに行く。それにはまず頭を鎮め、その頭の中でその人のことだけを考える。次にその人の所へ行こうという意思を働かせる。それだけでよい。気が付いたらちゃんとその人の所へ来ている〟この説明に間違いないことは間もなく判りました。何か知りたいことや見たいものがある時は、歩いて行くのもいいですが、それではまどろこしくていけません。そんな時は地上でよく練習したのと同じ要領で精神を統一します。するとアッという間に目的地に着いております。同伴者がいれば同じことを一緒にやります。
 「帰る時も同じようにやります。家のことを念じると、もう帰っているのです。面白いので何回も行ったり戻ったりして遊びました。みんなも面白がっていました。初めの内はみんながジロジロと、まるで顕微鏡で覗くような調子で新米がやるのを細かく見つめています。あなたのお父さんもその一人でした。上手く行かない時に質問が出来るのでその方が有り難いといえば有り難いです。ようやく一人前になった時は、まるで子供が初めて凧を上げた時と同じで、破らぬように失くさぬようにと、それは大事に大事にしたのと同じ心境でした。
 「今の生活を反省してみると地上生活が意外に為になっていることが判ります。が、私には一つだけ後悔していることがあります。それは、私が非常に神経質で、物事に動じ易かったことです。例えば道で気に食わぬ人に出会ったりすると、あっさりと見過ごせばいいものを、イヤだという気持を強く感じたものです。こちらでは心に思ったことがそのまま表に出るので、イヤな人に出会った時にいくら見過ごそうと思っても、心にイヤだという念を抱いている限り、それが出てしまうのです。それについても指導霊からこう注意されました。〝あなたは気にしなくてもいいことまで気にして、いつまでもクヨクヨ考え込むところがある。例えば何の関係もない人なのに、あなたの方で勝手にその人を敵視して、あいつは自分のことをどう思っているんだろうか。こう思ってはいまいか、ああ思ってはいまいかと盛んに猜疑心を起こして、変に悩んでいることがある。実際にあなたの方から悪いことをしているのならともかく、自分に何のやましいところもないと確信したら、その人のことはそれきり忘れるようにしなさい〟と。
 「これを聞いてから私も、必要なことと必要でないこととを区別して、不要なことは直ぐに忘れるように努力しているのですが、地上でそういう努力をしたことがないので、少しやっただけで大変な疲労を覚えます。大体、地上で経験したことは楽に出来ますが、経験のないことをこっちへ来て改めてやろうとすると、地上でやる以上の苦心と努力が要ります。その疲れ様といったら、それはそれは大変です。全身がクタクタになってしまいます。その後私は実際に地上で私に迷惑をかけた人とも会いましたが、その時は殆ど敵という感じがしませんでした。今ではその方と一緒に仕事をすることさえあります。雑談に耽ることもあります。あなたも早くいらっしゃい。雑談の暇もあるんですよ。
 現在の私は二つの仕事を受け持っております。一つは一人ないし二人の地上の人間の背後霊としての仕事、もう一つは私のように急死によってこちらへ来た霊の世話です。あまりの急激な変化の為に戸惑う人が多いのです。私自身こちらで目覚めた時にこう言われました。〝気を楽に持ちなさい。一度に色々なことを考えるとますます混乱します。一つ一つゆっくりと理解していきなさい〟と。それからというものは実にスムーズに環境に慣れていき、すっかり慣れ切ってから〝一体ここはどこなのか〟といったことを考え始めました。
 今では私が会いたいと思った人、或いは私に用のある人といつでも気軽に近付くことが出来るようになりました。つまり自分で必要と思ったこと、或いは正しいと信じたことなら何でも出来るようになりました。ただ、その〝必要なこと〟と〝正しいこと〟を判断することは中々難しいことです。
 自分で善人だと思っている人の中には、実際は間違った道を歩んでいる人が少なくありません。色々と他人の世話を焼きたがる人がいますが、大切なのは世話をすることよりも、その動機又は自分の立場です。ご利益を目的として他人の世話をするのなら、むしろ他人のことは放っておいて、精々、つまらぬ欲心を抱かぬように心掛ける方がこちらでは為になります。今お父さんが大きく頷きながらこう言っておられます。〝そう、全くその通りだ。正直はやっぱり最上の策だ。特に自分の思想、動機、モットーなどには最後まで忠実でなきゃいかん。これは大切なことだ〟と。
 トーマス氏はこう付け加えている。「私にはこの友人の言っていることが一々よく解る。彼は確かに神経質で、忘れてしまうということの出来ない男であった」