自殺ダメ



 ケント州の海岸沿いにある田舎町タントカートンの小さな家で、世界のどの立派な劇場より多くのドラマが演じられていた。そこが〝イギリス女性霊媒の女王〟とまで言われるレナード夫人の自宅であった。
 そこでは生者と死者との再会が何百回イヤ何千回も行なわれていたのである。その生と死を主役とするドラマに比べると、大劇場における人工のドラマも影が薄くなる。そのレナード夫人が初めてトランス現象を体験したのは、奇妙なことに、レパトリ劇団の一員として各地を回っている時にロンドン・パレイディアム劇場の舞台の下で友人二人と実験をしていた時であった。それについては後に詳しく述べよう。
 そのレナード夫人がその名を世界に知られるようになったのは、英国が誇る世界的物理学者オリバー・ロッジ卿が彼女のことを激賞したからであった。ロッジ卿は初め匿名でレナード夫人の実験会に出席していたが、第一次大戦で失った息子のレーモンドからの通信を受け、それが紛れもなく本人のものであることを確信するに及んで、その証拠を「レーモンド」他二、三の書物に纏めて公表したのだった。
 さてレナード夫人に会ってみると少しも気取らない控え目な女性なので、まさかこの人が世界的な入神霊媒であるとは信じ難い程である。霊能は小さい頃、誰にも見えないものが見えることから始まった。朝目を覚まして着替えをしている時や子供部屋で朝食をとっている時などに、突如として眼前に美しい景色が展開することが毎日のように起きるのだった。どっちの方角を見ても、壁もドアも天井も消え失せて、代わってなだらかな坂、美しい土手や樹木、様々な形をした綺麗な花の咲き乱れる谷のある景色が展開する。それが何マイルも遠くまで続いているのである。
 幼い彼女にはなぜだか分からないが、その景色は肉眼で見える周りの景色より遠くまで広がって見えるのである。難しい理屈は抜きにして、幼いながらに彼女はそれがこの世のものでないものを見ているということを感じていた。そして普通の肉眼で見ている景色や人間と比べたら、その光景の中の景色や人間がいかに綺麗であったかを今でも思い出すことが出来るという。
 そんな或る朝のことである。その日は父親がスコットランドへ出張する日なので、子供部屋でなく下へ降りてみんなで朝食をとることを許された。嬉しいので目が覚めると直ぐに跳び起きて部屋着に着替え、まだ半分目が開かないままテーブルについて正面の壁にその眠い目をやった。すると彼女が〝幸福の谷〟と呼んでいる光景が展開し始めた。普段は口にしないのだが、その朝はつい気軽に父親に言ってしまった。「今朝の景色は特別に美しいとこなのね」
 「どこのことかね」父親が聞き返した。彼女は壁を指差した。その壁には二丁の銃が掛けてある以外は何もない。「お前は一体何のことを言ってるのかね」父親にそう聞かれて彼女は正直にありのままを説明した。さぁ大変である。周りの家族はみんな慌て、心配し、そして悩んだ。
 最初はみんな「それはお前の作り話だろう。そうだろう?」と言ってみたが、彼女は「でも本当に見えるんだもの」と言い張る。そしてその光景を細かく、あまりに細かく説明するので、これは何か意味があるのだろうと結論せざるを得なかった。が、それが何であれ、普通でないことには間違いない。父親は二度とそんなものを見るんじゃないよと強く言いつけた。
 子供というのは心霊能力をごく自然に発揮していることがあるものである。が、残念なことに親はそれを病気ではないかと思って抑え込んでしまうのである。が、レナード夫人の場合は父親のきつい言いつけにもかかわらず同じ光景を見続けた。そしてその光景の中に出現する人物と親しくなっていった。
 少し大きくなってから、演劇好きの彼女は両親の驚きをよそに役者になる道を選んで、あるレパトリ劇団に加わって各地をまわった。
 ある町で公開交霊会の広告を見て覗いてみた。その時は大して興味を覚えなかったが、なぜかもう一度行ってみたくなって出席したところ、今度は主催者の霊視家から指名されて、いとこからのメッセージを貰った。霊視家が描写したいとこの容姿は確かにその通りだった。そのことを家に帰ってから母親に告げると、喜んでくれるかと思っていたのとは逆に、きつく諌められ、二度とそんな話を口にするものではありませんと言われた。彼女は、そのいとこからのメッセージに自分が将来やることになっている特殊な仕事を予言してくれているところがあると言ってみたが、母親は二度とスピリチュアリズムに係わりあってはいけませんと、相手にしてくれなかった。
 そのいとこからのメッセージにはまた彼女の結婚相手についての予言も入っていた。ただその相手の男性の容貌があまりにグロテスクなので、とても信じたくなかった。ところがある劇場で自分の出番が近付いたので階段を駆け上がっていた時、小道具を入れたカゴに足を引っ掛けてつんのめり、同じ階段を降りかかっていたプロデューサーの両腕に抱きかかえられる格好になってしまった。彼も同じ出し物に出演していたのであるが、その役柄の衣装とメーキャップが霊視家の説明通りだったのである。彼は、いきなり自分の腕に抱えられたレナードにキスをした。そして彼女もお返しのキスをした。そして二人は予言通り結婚することになり、その後ご主人が背中の傷がもとで他界するまで、実に幸せな夫婦生活を送った。
 話は戻って、そうした地方巡業のせわしい生活の合間を見つけて、レナード夫人は二人の友人と三人でテーブル現象の実験を一生懸命やっていた。数えて二十六回までは何の現象も起きなかったが、二十七回目になってようやくテーブルが動き出し、その脚が床をコツコツと叩いて通信を送ってきた。符号に合わせてみるとフィーダと名乗る女性のスピリットからの通信で、レナードはそのうち入神霊媒になると告げて来た。レナード夫人はトランスは嫌いだった。が、フィーダはその方が一番いい結果が得られると説明した。ついでに言えば、フィーダはレナード夫人の先祖霊の一人だと言っている。
 さて話はいよいよ最初に述べたロンドン・パレイディアムでの話になる。化粧室はごった返していた。三人は実験をする静かな場所がなくて困っていた。ある夜、もう実験会をやれる見込みはないと諦めながら劇場の周りをうろついていると、ステージから下へ降りる狭い階段があるのを見つけた。勝手に降りてはいけないのだが、みんなで降りてみた。
 降りてみるとそこは劇場の設備-暖房や照明などのエンジンや機械類が置いてある広い部屋だった。人影はない。これはいい部屋だと三人は思った。壁が厚いので低いエンジンの音以外は殆ど耳に入らない。隅に小ぎれいな場所があった。上の騒音のことを思うと、そこは平和な避難所のようだった。運良く出張から帰ったばかりのご主人に頼んでテーブルと三つの椅子を用意してもらった。見つかったら最後とばかり、それをこっそりと運び入れた。
 それからというもの、彼女達三人は毎晩のように、ステージに用のない九時から十時までそこで実験会を開いた。成果は上々で楽しかった。フィーダが通信を送ってくるのであるが、その度に、その内レナードを入神させると言って来た。が、そういう現象は一向に起きなかった。友人のアグネス、ネリー、それにご主人は諦めずにやるように励ましてくれるのだが、レナード自身はいい加減イヤになりイライラするようになった。
 ついでに言っておくと、その劇場は新しく建ったばかりで、その劇場を所有する会社の社長であるウォルター・ギボンズ卿が建てたものである。三人はギボンズ卿のことは何も知らないし、今回の上演の為に来るまでは会ったこともなかった。
 ある夜のこと、いつものようにレナード夫人はややマンネリ気味になってきた実験会を開いた。するとフィーダがこれからはテーブルでの通信は止めてレナードを入神させることに集中すると言って来た。その直後のことである。最近顔を知ったばかりのギボンズ卿がそのエンジンルームへ降りて来たのである。そして後ろ手を組んだまま部屋を行ったり来たりして物思いに耽っている。三人は薄暗い隅にいるところを見つかりはしないか冷や冷やしながら押し黙っていた。そのうち卿の目がたまたま三人の方を向いた。ところが意外にも卿は何も言わないで、三人から十五、六メートル離れた所を相変わらず物思いに耽った様子で行ったり来たりしていた。
 「いつになったら行ってくれるんだろう」
 彼女達は気が気でならなかった。ところが、そうして待っている内にレナード夫人が異常な程の眠気を催し始めた。そして自分の霊能に以前にも増して自信がなくなってきた。眠いような疲れたような感じが増してきた。
 「今夜はいつもより暗いのね。私とっても眠いの。ちょっと位寝ても上の人達には分からないでしょう?」けだるそうにそう言いながら、ついに寝入ってしまった。やがて目を覚ました時は、自分が何時間も寝たのか、それとも何分しか寝てないのか分からない程だった。
 が、目を覚ました時の二人の仲間の様子は忘れようにも忘れられない程脳裏に焼き付いているという。アグネスとネリーが彼女の両腕を握り、ひどく興奮した様子で、しかも涙が二人の頬をつたっている。
 「一体どうしたというの?」彼女が聞くと
 「大変よ!フィーダがあなたに乗り移って私達の親戚からのメッセージを伝えてくれたのよ。ネリーのお母さんも通信を送ってきたわ。素晴らしかったわ!」
 こうして始まった入神談話で、フィーダは1914年の春に世界に大変な悲劇が起きること、そしてレナードを通じて多くの人々の力になりたいと告げて来た。レナード自身は霊媒を職業とする考えには賛成でなかったが、彼女を取り巻く事情がその道へと引きずり込んで行った。そして予言通り第一次大戦が勃発し、無数の人々に悲劇をもたらした。
 霊媒としての資質に恵まれていたレナード夫人はその後急速に名声を高めていった。他の生活面を一切犠牲にした五十年に及ぶ霊媒の仕事を通じて世界的霊媒として知られるようになった。スピリチュアリズムを信じない人、或いは懐疑的な心霊研究家も、夫人の誠実さと霊媒現象への一途な献身ぶりに賞讃を惜しまなかった。
 困難に直面してレナード夫人の霊能にすがった数人の人の中の一人で、後に夫人の交霊会のレギュラーメンバーとなった人に、例の劇場のオーナーのギボンズ卿がいる。後に親しくなってからレナード夫人がパレイディアム劇場のステージの下のエンジンルームで初めて会った時の話を持ち出すと大いに笑ったそうである。
 フィーダが大戦を予言し、レナード夫人の入神談話を通じて多くの人々を救ってあげたいと述べたその願いが、半世紀以上にも亘る長い献身的仕事によって実現された。それはフィーダとレナード夫人の顕幽にまたがる宿命的な共同事業の成果であった。レナード夫人の交霊会で見られる大きな特徴は、フィーダが霊界のスピリットのメッセージを取り次ぐ時、一度そのメッセージを繰り返して確かめるその声がよく聞こえたことである。
 子供の頃、霊界の光景をしばしば見ていたレナード夫人に、結婚後一つだけ実に奇妙な体験がある。これは所謂幽体離脱現象であるが、ただ単に肉体から出て旅行してきたというだけでないところに興味がある。
 ある夜、肉体から出てベッドの中で苦しんでいる或る男性の部屋へ入って行った。そして自分でも何故だか分からないのであるが、その人に治療を施した。それから帰ろうとして部屋を出かかったところで激しいセキの発作に襲われた。と、次の瞬間、目が覚めた。見るとご主人がその発作を耳にして心配そうに夫人を見守っていたのでギョッとしたという。
 ベッドに横になったまま今の幽体離脱のことを思い出していると、そのベッドで苦しんでいた男性が、かの有名な作家のコナン・ドイル卿であることに気が付いた。少し躊躇したが、彼女はその夜の体験をドイル卿に書いて送った。するとそれに対して電報で「直ぐに来て欲しい」と言って来た。早速行ってみるとドイル卿はこんなことを語った。あの夜は自分は体調が非常に悪かった。部屋のドアは開いており、そこへ一人の女性が入って来た。そして自分に近付いて治療を施してくれた。「それからその女性は帰りかけた時に激しいセキの発作に襲われました」と。
 肉親を失った数え切れない程の人々に慰めを与えて来たレナード夫人自身にも同じ悲しみが訪れた。長い間殉教者のように病苦に耐えてきた夫君がついにこの世を去った。が、夫人は悲しまなかった。なぜなら夫君にとっては死こそ苦しみからの解放だったからである。
 それから夫人としては珍しいことをしている。自分自身の為の交霊会を開いたのである。夫からのメッセージを聞きたいと思い、姪を呼んで入神中に自分が喋ることを書き取らせた。案の定、夫からの愛情のこもったメッセージが送られて来た。新しい生活の様子や再会した親戚のことを語り、最後を愛の言葉で結んでいた。
 レナード夫人が私にこんなことを語ってくれた。
 「夫の死によって私は随分多くのことを学ばされました。というのは、死後の新しい冒険のことを細かに話してくれたからです」
 その夫のメッセージで余生を霊媒の仕事に捧げる決意を固めたという。最後に夫人の得た霊界通信の要約ともいうべき言葉を引用しておこう。
 「私が長年に亘って得た数え切れない程のメッセージの中で、それを受けた人の性格を高め、心を豊かにしない言葉はただの一語もありません」