自殺ダメ



 人間の身体は、肉体だけでなく幽体も霊体も本体もオーラというものを発していることはスピリチュアリズムの常識ですが、残念ながらその構造と機能に関しては〝学説〟と呼べる程のものはまだ確立されていません。
 それはなぜかと言えば、科学の様々な分野で〝電磁エネルギー〟の存在を確認していながら、学者がそれを物理関連においてのみ研究し、目に見えない身体との関連においての研究がおざなりにされているからです。
 一方、俗に言う〝霊的なもの〟の存在を認めている人々の間では、オーラの構成要素について数多くの発見をしていますが、それが何を意味しているかという肝心要についての理解が出来ていません。それをシルバーバーチは「霊が全てを支配しているのです。霊は全生命を構成しているエッセンスです。霊こそ生命であり、生命は霊なのです」と述べてから『ヨハネ伝』(6・63)のイエスの名言を添えます。
 《活かすものは霊なり。肉は益するところなし。我が語りし言葉は霊なり、生命なり》(英和対照『新約聖書』1951年版)
 こうした言葉が教えているのは、全生命のエッセンスである霊がなければ、私達が現在体験している物的表現は存在しないということです。つまり「霊(スピリット)」こそ肉体・幽体・霊体・本体の四つの身体の発達を司っている根源的叡智であるということになります。

 (訳者説明)
 東洋と西洋の霊視能力者によって確認された四つの身体を総合的に纏めたのが次ページの図。キルリアン写真(後述)やEMRスキャナー(医学で用いているCTスキャナーとキルリアン写真とを組み合わせたもの)でも幽体までは確認出来る。各身体の呼び方は霊視家によって、英語でも日本語でも異なるが、この図でいえば幽体が「アストラル・ボディ」、霊体が「メンタル・ボディ」、本体が「コーザル・ボディ」に相当する。なお「エセリック・ボディ」というのは以上の三つの身体と肉体とを結ぶ接着剤のような役目をしているテンプレート(型板)で、「ダブル(複体)」と呼ぶ人もいる。

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 辞書で〝スピリット〟の項目を見ると「知性と意思を持った形体のない存在」とか「人間に内在する要素で、身体に活力を与えながらも身体から切り離せるもの」とあります。ここでいう身体とは物的身体のことですが、〝体外遊離現象〟(幽体離脱とも)という超常現象は「幽体」と呼ばれている目に見えない身体に宿って体験しているもので、これにもオーラという電磁場があります。
 科学の世界ではオーラのことを「生命」とか「バイオ」とか「バイオプラズマ」とか「電磁場」という用語で呼び、これは肉体から派生する副産物であると説明していますが、肉体に活力を与え維持しているものがそのオーラに内在する知性、すなわち〝霊(スピリット)〟なのですから、「肉体から派生する副産物」という表現を逆にして「肉体こそ霊の産物」ということになり、先程のシルバーバーチとヨハネの言葉に〝なるほど〟と得心がいくわけです。
 嬉しいことに最近、科学界にも、俗世的偏見を捨てて〝神秘的現象〟と呼ばれているものに正面から取り組もうとする学者が、徐々にではありますが、着実に台頭しつつあります。科学によって宇宙の真相を明らかにしたいと望むのであれば、宗教的ないしは霊的知識を一つの方向性として取り入れなくてはならなくなってきたと言えるでしょう。
 神秘的な修法家や霊覚者が平凡人の五感では見ることも聞くことも出来ないものを見たり聞いたりして、それをありありと叙述することが出来るのもオーラの機能を活用しているからですが、困ったことに、そういう能力を持った人達は、なぜ見えるのか、なぜ聞こえるのかが自分では分からない為に、科学者から詰問されると返答に窮してしまい、結果として懐疑の目で見られてしまうことになります。
 ですから超能力を具えた人が自説を理解してもらい、同時に人生とは何か、宇宙はどうなっているのかについて、一般常識とは異なる説を打ち出したいのであれば、それを裏付けるだけの実証的資料を用意しなければなりません。科学的データなくしては、様々な形で世の中をリードしている知識層を得心させることは、まず不可能です。 勿論、これにも例外があります。伝統的宗教にどっぷり浸かっている人達です。どこの宗教の教義も人工的教義の上に成り立っており、それを子供の時から聞かされて育った人はそれを絶対的に信じていますから、その人生観を改めるのは容易なことではありません。
 しかしそれも、科学的知識の普及と共に事情が少しずつ変化しつつあります。それより憂慮されるのは、社会全体のモラルの低下です。これを正すには、やはり科学的基盤をもつスピリチュアリズム思想によって、宇宙の中における人間の位置についての理解を促進する努力が必要でしょう。

 (訳者説明)
 最も象徴的な例は〝地動説〟とキリスト教会の関係であろう。〝天動説〟に異を唱えた最初の学者はポーランドのコペルニクスであるが、彼は元々聖職者で、しかも病弱だった為に研究成果を公表しないまま知人に託して他界した。それが書物となって公表されたものに触発されたイタリアの自然哲学者ジョルダーノ・ブルーノが公然と地動説を唱え、しかも宇宙こそ無限絶対の存在であると説いたことで、キリスト教会によって〝異端者〟として火刑に処された。更に〝自然科学の父〟と言われるガリレオ・ガリレイがコペルニクスの説を支持したことで宗教裁判にかけられ、投獄されている内に失明し獄中死したことは有名な話であるが、こうした理不尽な行為の非を認めて「教会側の間違いだった」と詫びたのはローマ法王ヨハネ・パウロ二世で、それも皮肉にも「コペルニクス大学」においてであった。科学的事実を前にしながら己の非を認めるのに450年もかかるとは、宗教界は何と硬直した世界であることか。ニューマン氏はそのことを言っている。

 (訳者説明)
 肉体を纏って生活する場として〝地球〟があるように、幽体で生活する場、霊体で生活する場、本体で生活する場がある。次ページの図は複数のスピリットに個別に尋ねた上で纏めた死後の世界の概略図で、地上界が最も鈍重で粗い波動の世界。仏教で言う生死病死に全て苦痛が伴うが、だからこそ修業の場として最適であるということにもなる。

 私は電気工学の分野に携わってきた人間ですが、その間ずっと感じていたのは、所謂〝神秘的現象〟にも科学的説明が出来る筈だということでした。いくら奇怪な出来事でも、実際に見たと断言する生き証人がいる以上は、それをただの幻覚や錯覚と決め付けるべきではないというのが私の考えです。ところが現実には、いつの時代にも知識人といわれる人達は、なぜかそうしたものを真剣に取り上げようとせず、戯言として一蹴してしまう。そういう人は社会的に影響力が大きいだけに、実際にはその方面に特に造詣が深いわけでもないのに、一般人はやはりその人の言うことを信じてしまいます。

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 〝権威〟というのは、ある特定の分野において真剣に、必要にして十分な研究を積んだ者に自然に具わるもので、それも、あくまでもその人物の理解力の程度が問われるのです。その〝程度〟には人格の高潔さと熱意が大きく関わってきます。
 私は、ある時期、政府の要請で熱帯地方での学術調査活動に従事したことがあり、その滞在中にヒンズー教の火渡りの術や、肉体に銀針や釣針や槍を突き刺しても跡形が残らない術を目の当たりにしていたので、役職から離れた後、当然のことながらそうした〝超常現象〟の不思議の解明に関心が行きました。
 まずそれを科学的見地から、哲学的見地から、そして宗教的見地から扱った書物を読み漁り、更に霊能開発の為のサークルにも幾つか参加してみました。が、それを六年ばかり続けた時点で、なぜかそういう行には進歩がない-どこか歪んだ方向へ向かっていることに気が付きました。私は思い切ってそれを止めて、自分一人での瞑想に切り替えることにしました。時間を決めて、きちんと精神の統一を図りました。
 他のメンバーの動きに気を散らされることもなく、私は比較的楽に心を空っぽにすることが出来、やがて譬えようもない安らぎと静寂に包まれる段階に到達し、その中で、自分という存在の小ささの実感から生まれる真の謙虚さを味わうようになりました。
 更に進むと、今度はその静寂の中で、時折、突如として映像や言葉によるインスピレーションが流入するようになりました。それは、それまでに自分が読んだ科学や哲学や宗教の本の内容に関するものでしたが、後には、大して重要でもないことに集中している時にも体験するようになりました。
 そうした体験の特徴は、いわく言い難い喜びの念を伴っていることで、それは私が受け取った真理が正しいことを確認させてくれると同時に、それが私が抱いている構想の全体像の中でどういう位置を占めているかを教えてくれるものでした。
 書店や図書館でも私の手がひとりでに動いて一冊を取り出し、タイトルを見るとなぜこんなものをと思うようなものなのに、ページをめくっていくと、一連の思考過程の中で行き詰っていたことを打開してくれたり、それが正しいことを確認してくれる文章に出くわすことがよくありました。こうした過程を経て私は、人間と環境とが密接な関係にあることを証明するには科学はどうすれば良いかについて、私なりの考えに辿り着きました。
 科学には様々な分野がありますが、本書で私が提供する証拠はどの分野にも通じるものです。しかし、科学界には古い唯物的な宇宙観に囚われた人がまだまだ少なくありません。そういう学者は真理への正道を見出して突き進もうとする学者の説を見くびる態度に出ます。実際には、入手した新しいデータをもとに宇宙観を総ざらいすれば、古い概念に囚われた科学者も目を覚ますに違いないのです。
 瞑想によって、私自身の精神の世界が広がり始めて数年経ってから、ふとしたきっかけで「シルバーバーチの教え」を編集した何冊かの書物に出会いました。シルバーバーチというのは、モーリス・バーバネルという人物をチャンネルとしてメッセージを送ってきた、高次元の世界の知的存在です。
 それを読んで驚きました。私が十年ばかりに亘って営々として築いてきた大自然の本質についての考えが、難しい用語でなしに、至って平凡な言葉であっさりと説かれているのです。その核心は、この森羅万象は崇高な超越的叡智が顕現したものであり、それが全存在の内部に宿っており、そこには民族の別も、肌の差別も、宗教的信条の違いもないということです。
 ある時、私の学術論文を読んだSNU会長のゴードン・ヒギンソンが、これをシルバーバーチの教えと結び付けて解説してみてはどうか、と提案しました。なるほどと思って書き上げたのが本書です。
 本書は決して難解な宇宙物理学を説こうというのではありません。人間は一体何の為に生きているのか、死んだらどうなるのか-無に帰するのか、それともどこかで生き続けるのか、といったことについて日頃から思いを馳せている人々に、思考と議論の糧を提供するものです。

 (訳者説明)
 SNUとは「英国スピリチュアリスト同盟」のこと。スピリチュアリズムの真実性を信じる者の集団で、英国最大を誇っている。ただ、ゴードン・ヒギンソンが会長を務めた頃は、その強力な個性で意義ある活動をしていたが、会員が増え肥大化していく内に内部紛争が絶えなくなり、ヒギンソンが引退してからは、ニューエイジの宗教集団のような様相を呈していると聞いている。
 ちなみにモーリス・バーバネル亡き後『サイキック・ニューズ』紙の編集を引き継いだのは、トニー・オーツセンとティム・ヘイで、私は二人とも面会しているが、オーツセンはその後『トゥー・ワールズ』の編集長として出て行き、若いヘイが編集長として頑張ったが、その頃からSNUによる買収工作が始まっていたらしく、バーバネルという一枚看板を失ってからの凋落傾向に歯止めがかからなかった。間もなく『サイキック・ニューズ』は買い取られ、内部事情を知っていたヘイを始め、スピリチュアリズムの本質を理解していた社員は全て辞任している。
 私はSNUの機関紙となってからも一年ばかり購読を続けたが、その間に二度も編集長の辞任劇があり、内部の権力争いを窺わせる記事が見られるようになって、嫌気が指して数年前に購読を止めた。
 こうした裏事情をあえて披露したのは、バーバネルが健在だった時代に出版された書物やカセットテープなどの版権は、本書の出版元である《霊的真理普及基金》という名称の非営利機関によって管理されていることを知って頂きたかったからである。『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方 Q&A』は英国の勉強会用のテキストとして編纂されたものであり、『シルバーバーチは語る』というCDブックは、カセットテープだけで販売されていたものを同基金の了解を得て転写・翻訳したものである(共にハート出版)。CD化に際して事務局長から頂いた手紙には「実にいいアイデアですね」という一文が添えてある。