自殺ダメ



 ヴァーノン・ムーア

 人間は一体何の為に生きているのだろうか?果たして地上人生には生きる意義があるのだろうか?-これは誰しも抱く疑問ですが、この本はそうした疑問についての答えを模索しながら歩んでいる方々の為に、フランク・ニューマン氏が易しく語ってくれたものです。言うなればスピリチュアルな巡礼の旅の道標です。
 ニューマン氏はれっきとした物理学者です。モーリス・バーバネルが霊媒を務める交霊会に出現した〝シルバーバーチ〟と名乗る聡明な指導霊からのメッセージとの出会いによって、それまで抱いていた様々な問題-人生の疑問だけでなく専門の物理学の原理まで-を理解する上でのヒントを得たといいます。
 かく言う私は、実は、そのシルバーバーチの交霊会に四十年から五十年ばかり出席したレギュラー・メンバーの一人でした。「四十年から五十年」という言い方は変ですが、シルバーバーチの霊言と出会った頃の私は英国国教会の牧師で、交霊会に出席した時はまだその説くところが容易には信じられず、何度も議論し、疑問点を質し、悩み苦しみ、出席したりしなかったりした挙句に、ついに得心して牧師職を辞しました。その迷いの期間が十年ばかりあったということです。
 シルバーバーチは、自分の説くことは絶対に間違っていないとは言っておりません。真理を述べるに際して独断(ドグマ)を一方的に押し付けることを嫌います。ドグマとは理性の介入を許さない説のことだから、というのがその理由です。そして自分の説くことを理性の光に照らして判断し、納得がいかなければ拒絶し得心がいけば受け入れる-それでよろしい、と言うのです。半世紀に亘って交霊会に出席してきた私は、真剣に道を求める魂を得心させないようなことは、シルバーバーチは決して語っていないことを断言します。
 人間が辿る巡礼の道は一人一人違います。私の旅は二十二歳の時に始まりました。戦争に次ぐ戦争で人間の生命の儚さを痛感していた時に、第一次大戦の従軍牧師だったスタッダート・ケネディの「来世の存在を確信せずして地上生活の本当の幸せは有り得ない」という言葉を何度も反芻したものです。
 次の出会いは著名な英国人ジャーナリストのハンネン・スワッファーで、エドワード・マーシャル・ホール卿と二人で、スピリチュアリズムの普及の為にクイーンズ・ホールを借り切って講演会を開いていました。それに何度か出席している内に、スピリチュアリズムの真実性を確信するようになりました。そして国際スピリチュアリスト連盟の会長で、最初のスピリチュアリズムに関するラジオ放送をしたアーネスト・オーテンの次の言葉が決して大げさでないことを知るに至りました。
 「これまでに得た証拠によって私は、既に死の関門を通過した人々と(交霊会で)対話を交わしていることは間違いない事実であることを断言します。その確信は、たとえこの事実を信じる者が地上で私一人であっても、絶対に揺らぐことはありません」
 ここまで巡礼の旅を続けてきた私がシルバーバーチの教えを纏めると次のようになります。
 ①この地上生活は魂の幼稚園のようなもので、死後に始まる次の段階の生活に必要な体験を積む場所であること。
 ②物質の仮面を被っている実在の霊的世界について、少しでも多くを理解するように務めることが望ましいこと。
 ③「神」とか「大霊」と呼んでいるものは全存在の統計であると同時にそれを超越した存在であり、自然界のあらゆる側面に顕現していること。それは愛と叡智と真実の極致であり、それが法則となって森羅万象の営みの中で一瞬の休みもなく働いていること。
 ④「祈り」の霊的な意味を理解することが必要であること。すなわち、自我の内と外に存在する大霊のパワーとの繋がりを緊密にする為に、憧憬の念をもって常に祈ることを怠らないようにすること。
 こうした教えは、ニューマン氏の解説によって一段と理解を深められるに違いありません。最後に私自身の体験を述べておきましょう。
 モーリス・バーバネル氏は若い頃よくハイドパークにある〝スピーカーズ・コーナー(演説広場)〟でスピリチュアリズムについての演説をしたものですが、急用が出来た時などに私に代役を頼むことがありました。当時はまだスピリチュアリズムは物笑いの種にされる時代で、酷い野次が飛んだものでしたが、演壇から降りて解散した後に必ず一握りの真面目そうな人達が残っていて、キリスト教への疑問と不満を真剣な面持ちで私に語ったものでした。
 その人達のように、真剣に真理を求めながら在来の説に飽き足らず、或いは大きな疑念を抱いている人が少なくありません。そういう人達は言わば〝地上の迷子〟のようなもので、既成宗教から脱しようと思いながら、様々な理由で躊躇しているのです。本書はそういう人々にこそ読んで頂きたいものです。