自殺ダメ



 これもキリスト教が生んだ恐怖心の一つで、地上で犯した罪の為に死後、寝巻き風のロングシャツを纏った白髪の老人によって裁きを受け、イエス・キリストを信じる者だけが救われるというのですが、こんな馬鹿げた話はないでしょう。
 既に説いたことですが、物的宇宙に寸分の狂いのない物理的法則があるように、人間の思想・感情・行為の全てにも因果律というものがあり、それ相当の責任を取らされるように出来ています。その責任は地上の時の流れの中において様々な形で取らされており、イエスといえども釈迦といえども、代わって償えるものではありません。
 では十分な償いをせずして他界した場合はどうなるのかという疑問を持たれるかも知れませんが、それは次の世界で償うことになるのです。地上と死後とを切り離して考えるからそういう疑問が出るのであって、あなたはそのまま生き続けるのであり、同じ宇宙の中で生活しているのです。ただ次元が異なるというにすぎません。
 心霊学によると死の関門を通過して霊界に目覚めると、地上生活のあらゆる出来事が、あたかもテレビのビデオテープを見るように眼前に展開するといいます。良かったこと、悪かったこと、努力したこと、頑張ったこと、怠けたこと、ズル賢くやったこと等々が次々と映し出されます。見栄も欺瞞も剥ぎ取られた赤裸々なあなたの姿を見せ付けられるのです。見ているあなたは当然色々と考えさせられる。もう一度地上に降りて、今度こそ立派に生きてみようと思うかも知れない。つまり再生です。或いは自分の地上生活に満足し、もう一段高い世界へ行ってみようという気持になるかも知れません。そこにはかなり選択の自由があるようです。
 その判断はいずれにせよその場に臨んでみないと分からないことですから、今から想像しても意味がありません。それよりもあなたが今心掛けるべきことは、霊界に行って赤裸々な自分を見るように今この時点で現在の自分を赤裸々に見つめて、偽りのない真っ正直な人生を送ることです。神の御心に適った人生を送っておれば何も恐れることはない筈です。