自殺ダメ



 自由意志と運命の問題については既に数多くの本が書かれています。人間は将棋の駒のようなもので、何者かによって一挙手一投足まで操られているのか。運命というものがキチンと定まっていて、芝居のように筋書き通りに動くだけなのか。インドなどではこの運命観が非常に強くて、貧民街などで見かける乞食は皆「自分は乞食の人生を運命付けられているのだ」と信じて、物乞い以上のことは何もしようとしません。
 西洋にもこの種の運命諦観思想とでもいうべき思想を抱いている人は少なくないようです。若気の至りでついつい肉体関係にまで行ってしまった男女が「こうなるのも宿命だったんだ」などと真面目な顔をして言うらしいのですが、好き合った者同士でやった楽しい体験を、なぜそう深刻に弁解しようとするのか、私には分かりません。
 成る程、理屈を単純に組み立てればそういうことにならないこともないでしょう。つまり、宇宙には全てを支配する全知全能の神がいて、雀一羽、木の葉一枚といえどもその生死を見逃すことはないとなると、我々人間の生死もその神によって支配され身動きが出来ない筈だという訳です。
 が、これがあまりに単純な論理であることは、少しでも融通の利く頭の持ち主なら直ぐ解る筈です。ナチス・ドイツのヒトラーが、神の与えた宿命によってあのような残虐行為をやったとはとても考えられないでしょう。十三世紀から十九世紀にかけて続いたローマ・カトリックによる非道極まる宗教裁判の犠牲者達が全知全能の神の思し召しだったとは、まともな理性の持ち主には到底考えられないことです。
 ではどうだというのか。宇宙は偶然の産物で目的も計画もなく、人間は何をしようと勝手に出来ているとでも言うつもりか。そうは言っておりません。もしも私が精子と卵子の偶然の結合によって生産された気まぐれの産物だとすると、何のけじめもない無味乾燥な人生を送っていることになりましょう。「何をしようと俺の勝手だ」こういう人生観が生まれても仕方がないことになります。
 結論を申しましょう。両方共真理の反面しか捉えていません。宇宙には確かに厳然たる目的と計画があり摂理があります。好むと好まざるとにかかわらず、あなたもその機構の中の一部であり、逃れようにも逃れられない宿命を負っております。
 例えば、あなたは男性としての生を享け背は低く色浅黒く、髪の色も黒だとしましょう。これだけは変えようにも変えられますまい。生まれついた国家、民族も生年月日も宿命といってよいでしょう。個性と霊格も前もって定まっています。それを進化向上させる目的をもってこの世に生まれ出てきたのです。
 又、どういうタイプの人生を送るかも定まっています。寿命も定まっています。ビッコになるか、脳性麻痺になるか、万能スポーツマンになるかも定まっています。頭の良し悪しも定まっています。人生航路において遭遇する困難や事件なども予め定まっています。
 実は、こうした一定の枠の中で、あなた自身の自由意志が与えられているのです。これを大学生活に例えれば容易に理解が行きます。
 仮に、A大学のB学科に入ったとしましょう。その大学はいつ始業式があって、何年後に卒業するということが、予め定まっています。又その間に学ぶ教科の数、使用する教材、担当教授の顔ぶれ、試験の時期、休暇の日数等々も予め分かっている訳です。
 が、だからといって、学生に自由意志が無い訳ではないでしょう。つまり、真面目に出席しようが適当にサボッてデートを楽しもうが、学校側の知ったことではありますまい。試験で良い点を取るか悪い点を取るかも本人の努力次第でしょう。結果として首尾良く卒業するか、留年するかも本人次第でしょう。
 人生もこれと全く同じです。男女の別、顔の美醜、貧富の差、知能程度、性格、霊格、こうしたものは前もって定まっています。が、そうした条件の下であなたがどういう人生を送るかは、あなた自身の自由意志の問題なのです。