自殺ダメ



 その通り。あなたも私も、そして人間の全てが一人の例外もなく死後も生き続けます。これは〝信仰〟ではなくて〝事実〟なのですからどうしようもありません。生きたくないといっても生きています。
 洗礼を受ければ永遠の生命が与えられるとか、懺悔してかくかくしかじかの教義を信奉すれば天国に行ける、とかいった説も誤りです。好むと好まざるとにかかわらず、人間は全て現在の個性のまま死後も生き続けるのです。死んだと思っているのは肉体だけで、霊的なあなた、本当のあなたはちゃんと生き続けております。意識も今のままです。
 結局、自分だと思っていたこの肉体は実はただの道具であって、肉体と別個の存在である本当のあなたが肉体に宿って操縦していたのです。丁度車を運転するのと同じです。車が故障して動かなくなったからといって、ドライバーが死んだ訳ではないでしょう。肉体をオーバーコートに例えてもよいでしょう。暖かい春になって、重くて窮屈なオーバーを脱ぎ捨てるように、肉体という鈍重な道具を地上に捨てて行くのが死というわけです。
 実は死後の世界にも何段階かの階梯があり、上には上があります。死んで直ぐの世界からもう一段高い世界へ進もうとした時、自分の経験不足、霊格の低さを自覚して、もう一度地上へ再生して来るかも知れません。或いは地球以外の天体へ行くかも知れません。再生して天才になるか低能児になるか、王子になるか乞食になるか、スポーツマンになるか身体障害者になるか、それは今から予想は出来ませんが、そんなことはどうでもいいのです。要はその人生から何を学ぶかということです。
 例えば、脳性麻痺の人を見ると気の毒に思いますが、実はその肉体に宿っている霊は気の毒がっている人達より遙かに霊格が高くて、一層の進化の為に敢えてそうした不自由な身体に宿って、そうしなくては得られない貴重な体験を積んでいるのかも知れません。
 また金持ちをとかく羨ましがりますが、その人自身は実はその大金をどこまで有効に人の為に使うかをテストされているのかも知れません。表面だけを見て羨ましがったり気の毒がったりするのは禁物です。人それぞれの霊格に似合った目的を持って生まれているのですから。