自殺ダメ



 『背後霊の不思議』 M・H・テスター著 近藤千雄訳より


 モーリス・テスター
 二年間激痛に苦しめられたヘルニアを、心霊治療家テッド・フリッカーによって、僅か十分間の手当で治された。同氏から「あなたにも治病能力がある」と指摘され、間もなく治病能力を発揮、英国でも指折りの治療家として活躍した。1987年12月他界。



 今、仮に医学関係の図書館へ行って婦人科のコーナーを一覧されるとよい。そこには出産についての書物が所狭しと並んでいる。医学の専門書ばかりではない。我々門外漢-門外婦人とでも言うべきか-の為の本も大変な数である。それに加えて最近では至る所で婦人の為の講演があり、診療所があり、テレビ番組がある。人間の誕生については驚くべき段階まで研究が進んでいると言える。テキストあり、専門家あり、伝統あり、おまけに無責任な説まである。
 さて、無事出産の過程を経てこの世に出て来ると、今度は、いかに生きるかについての資料が揃っている。活字だけでなく、目にも見せてくれる。最近出版された人生の書をちょっと拾ってみても-
『人を動かす』、『一年365日をいかに生きるか』、『生涯を生き生きと暮らす法』、『悩みを忘れて生きる法』等々がある。
 地球を破壊するか、それとも無節操な快楽の場にするか、そんなことに躍起になっているように思える今の時代に、こうした真面目な人生指南の書が次々と出ていることは注目すべきことではある。
 もっとも、難解な人生哲学ならいつの時代にもあった。が、そうした哲学書は神学者か大学出のエリートが読むものと相場が決まっていた。又誰しも何らかの人生の書に接する時期はあるもので、バイブルなどもある意味では人間の生き方を説いた書であり、かつては(西洋の)どこの家庭でもこれを人生訓として父親が読んで聞かせたものである。今日の人生訓と異なるのは、最近のものが平易な日常語で書かれていて、誰にでも理解出来るという点である。実際それは徹底して大衆を相手に書かれているのである。
 これでお分かりの通り、今や我々は、この世にいかに生まれいかに生きるかについては、ありとあらゆる知識を手にしたと言えよう。が、いかにして死ぬか、についてはなぜかまだ一冊もお目にかかっていない。
 一冊もないというのは語弊があろう。死とは何かという問題を扱った書物があることは私も認める。が、それは皆宗教家の書いたものである。宗教家というのは、まず第一に宗教的理論に終始するという点、第二にいかなる教えもその人の宗派的教説から離れることを許されないという点、この二点において徹頭徹尾一つの枠の中に閉じ込められている。しかも大方の宗教は古臭い罪と罰の教義の上に成り立っている。真面目に生きておれば報われ、悪いことをすると罰せられるというのである。が、現実には必ずしもそうでないから、それは死んでから裁かれるのだと言い出す。すなわち、真面目にしておれば天国へ行き、悪いことをすれば必ずや地獄へ行くのだ、と。
 こうしたいい加減なハッタリ理論は当然正常な思考を歪めてしまう。宗教家は天国と地獄、罪と罰の理論からしか死の問題を扱えないのである。
 私は書物を読んでいていつも感じるのであるが、本当によく解った人が書いたものは平易な文体で書かれていて、しかも要を得ている。実に解り易いのである。が、よく知りもせず書いた人の本は文章が冗漫で読みにくく、しかも自分で用語をこしらえるので、普段理解している意味で読んでいくと理解出来ないところが出て来る。読み終わってみると、読み始める前よりも一層分からなくなっている、といったことになる。
 死についての信頼のおける本が出ない本当の理由は、それを書く人が一度も死を経験したことがないということに尽きる。その内容は勝手な推測か、さもなくば他の理論家の諸説の取り合わせにすぎない。
 こうなると、平凡人が死について迷うのも無理はない。歳を取り、死が近づいて来ると、遅ればせながら何か死後の保証のようなものが欲しくなる。神なんかいるものかと大きな口を利いていた人が、いそいそ教会へ通い始めるのもその現れである。慈善事業に寄付したりするのもその為である。そして、いいおじいちゃん、或いはおばあちゃんと言われるように努力し始める。それもこれも、六、七十年に亘って人の迷惑も考えずに必死に生き抜いてきたガムシャラな人生が、そうした僅か二、三年或いは数年の〝立派な行い〟によって、そのまろやかな温かさの中に忘れ去られてしまうことを祈ればこそなのである。
 もうそろそろ死への手引書があってもよい時代である。それもお座なりの宗教的教説に縛られず、陳腐な神学者流の理論から完全に脱却し、しかも実際に死を体験した人間-霊界のスピリット-によって書かれた死の参考書が必要なのである。
 死ぬということは生きるということと全く同じように重大な問題である。しかもそれがあなた自身にも日一日と迫ってきている。アイスランドへの案内書を読んでも、行きたくなければ行かなくてもよい。結婚についての本を読んでも、生涯独身で通したければそれでもよい。が、死だけはそうはいかない。必ず通過しなければならない重大な関門である。ならば本書を買われたお金も決して無駄ではないであろう。