自殺ダメ



 実はこの世とは全く別の世界が存在するのである。スピリットの世界である。あなたはそこからやって来た。そして、又そこへ戻って行くのである。この世と違うと言っても時間とか距離的に違うのではなくて、物理学でいうところの振動の波長が違うのである。
 仮にリップ・ヴァン・ウィンクル(日本の浦島太郎と同じアメリカの伝説上の人物)が百年後の今地上に戻って来たとしよう。そこであなたはこう教えてあげる。
 「あなたの身の回りには無数の音楽が流れているんですよ。交響曲もあり、ダンス音楽あり、行進曲あり。歌もあるし、喋っている人もいるし、劇もやってますよ」と。
 それを聞いたリップは多分あなたを気狂い扱いするであろう。そこであなたは、やおら、ポケットからトランジスタラジオを取り出してスイッチを入れる。成る程、色んな声、色んな音楽が聞こえる。リップは狐につままれたような気分になるであろう。
 実はスピリットの世界もこれと同じなのである。我々の身の回りに常に存在している。ただ波長が異なる為に感じられないだけである。従ってそれを感じ取ろうと思えば、トランジスタラジオのような特殊な受信器が必要である。それが所謂霊能者又は霊媒と呼ばれている人達である。
 私は今ガイドブックを書いているのであって専門書を書いているのではない。あまり入り組んだことは述べない。スピリチュアリズムの専門書なら沢山出ているから、細かいことはそちらにお願いして、私はただ案内するだけに留めたい。
 スピリットは常に進化を求めて活動している。この為には経験と教育と悟りが必要である。地上という所は地上でなければ得られない特殊な体験を提供する所である。言ってみれば特別の教育施設、それも極めて基礎的な教育を授ける場である。あなたがこの地上に来たのはその教育を受ける為である。あなたの魂の進化の今の段階で必要とする苦難と挑戦とチャンスを求めてやって来たのである。
 地上生活中は霊界から何人かのヘルパーが付く。所謂背後霊である。あなたと同じ系統に属するスピリットで、困難や悩みに当たってアドバイスをしてくれたり慰めてくれたり援助してくれたりする。実はあなたがこの世に来るに際しては、その背後霊(となるべき仲間)と一緒になって地上で辿るべき工程と体験について検討し、最終的にはあなた自身がこれだと思う人生を選んだのである。
 その仲間達は予め地上を霊界から調査して、あなたの霊的成長にとって適切な体験を与えてくれるコースを選んでくれている。あなたが得心がいくと、いよいよその仲間達に別れを告げる。これはあなたにとっても仲間達にとっても悲しみであろう。というのは地上生活中も背後霊として援助するとは言っても、その意識の疎通は肉体によって随分制限されるからである。やがてあなたは一種の睡眠状態、死にも似た深い昏睡状態に入る。地上では両親となるべき一対の男女が結ばれる。やがて女性の胎内で卵子が受精する。その瞬間を狙って、あなたというスピリットがその種子に宿り、まず胎内生活を始める。
 ここでちょっと横道へ逸れるが、今世界で問題となっている堕胎について一言述べてみたい。今言った通りスピリットは受胎の瞬間に宿る。従って、所謂産児制限は悪いことではない。受胎していない時はまだスピリットは宿っていないからである。が、一旦受精(妊娠)したら、既にそこに生命が宿っていると考えねばならない。
 それ故に堕胎は一種の殺人行為と考えねばならない。生命を奪う行為だからである。胎児は九ヶ月に亘って母体の温もりと気楽さの中で生長する。そして十ヶ月目に大気中に生まれ出て、独立した生活を営むようになるわけであるが、人間としての生命は既に受胎の瞬間から始まっているのである。その瞬間に霊界から地上に移行するのである。
 我々地上の人物は子供が誕生すると喜ぶ。そして死ぬと悲しむ。当たり前と思うかも知れないが、霊界ではそれが逆なのである。人間界へ子供が誕生した際、霊界では悲しみを味わっている。なぜなら人間界への誕生は即ち霊界への別れだからである。反対に人間が死ぬと霊界では喜びがある。なぜなら仲間と再会出来るからである。
 さて話を戻して、あなたがこの世で送る人生は、あなた自身が自分の教育にとって必要とみて選んだのである。仲間のアドバイスや援助はあっても、最終的には自分で選んだのである。従って責任は全て自分にある。
 苦難に直面したり病気になったり、大損害を被ったりした人は私にこんなことを言う。
 「どうして私はこんな目に遭うのでしょうか。私は真面目に生きて来たつもりです。人を傷付けるようなことは何一つしていません。なのになぜこんな苦しい目に遭わねばならないのでしょう」と。
 実はその苦しみがあなたにとっての教育なのである。溶鉱炉で焼かれる刀はそれを好まないかも知れない。が、そうやって鍛えられて初めて一段と立派な刀となるのである。苦しみ悩んで初めて霊的に成長し、この苦難を乗り越えるだけの力が身に付くのである。
 そんな不平を言う人とは対照的に、苦しみを神の試練と受け止めて感謝する人もいる。苦難こそ自分を鍛えるのだと心得、そうした神の試練を受けられるようになった自分をむしろ誇りに思うのである。
 要するに地上生活は勉強なのである。人生が与える様々な難問を処理していくその道程においてどれだけのものを身に付けるか、それがあなたの霊的成長の程度を決定付けるのであり、更にどれだけ高度なものに適応出来るかの尺度ともなるのである。