自殺ダメ



 『人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅』近藤千雄著より



 〝因果律〟とは文字通り〝原因〟と〝結果〟の法則である。すなわち原因にはそれ相当の結果が生じ、その結果が新たな原因となって更なる結果を生んでいくという説である。
 これを道徳的に表現したのが〝善因善果・悪因悪果〟で、これに類するものが、古来、色々な形で表現されている。〝因果応報〟〝親の因果が子に報い〟〝因果が縁の糸車〟等々。しかし、こうした表現には、どこか、単純な懲罰的観念が含まれている感じがしてならない。つまりその懲罰を与える者がどこかにいて、それを仮に〝神〟と呼ぶとすると、その神は人間的な情緒を多分に持って臨んでいる感じがする。言ってみれば、勧善懲悪を売りものにしたドラマの主人公のような印象を与える。
 勿論、善を勧め、悪を懲らしめてくれないと困る。が、問題は一体何が善で何が悪かということである。スピリチュアリズムではそれを〝霊性の進化〟を基準にして考える。すなわち進化を促すものが善であり、それを妨げるものが悪であるという考えである。となると、一般通念から言って、それは必ずしも愉しいもの、楽なもの、幸せなものとは限らないことになろう。むしろ、辛く、苦しく、そして我慢を強いられるものであることの方が多いであろう。
 〝艱難(かんなん)、汝を玉にする〟というが、古今東西、そして今後いかに科学技術が発達して便利な世の中になっても、これは変わらぬ真実であろう。スピリチュアリズムが所謂〝ご利益〟を説かない理由はそこにある。説けないのである。又、高級霊が口を揃えて、組織を持ってはならない、と忠告してくる理由もそこにある。霊性の進化の程度は一人一人違うのであるから、同じ教理、同じ信条を唱えて、同じ枠の中で行動するということは、理屈から言っても不可能なことであり、それを無理強いしようとすると、軋轢(あつれき)が生じる。そんな対立から生じる悩みは、霊性を歪めることにしかならない。
 このようにスピリチュアリズムでいう因果律は、機械的に自動的に作動するものではあっても、その背後の霊性の進化を促すという目的があるという点が肝心なところであるが、その他にも大切な要素が二つある。一つは、因果律は一平面上の図式的なものではなくて無数の次元があり、それらが複雑に絡み合っていること。もう一つは、それとも関連していることであるが、因果律は自動的にすぐさま作動するものであるが、今も言うように次元の異なる要素が複雑に絡み合っている為に、必ずしも地上生活の期間中に結果が生じるとは限らないということ。端的に言うと、こういうことをすればこうなるという因果関係は、人間の推理の範囲を超えているということである。次のシルバーバーチの言葉が参考になるであろう。

 《あなたのこれまでの成長の度合いによって、これから先の成長の度合いが決まります。もっとも、その成長を遅らせることは出来ます。が、いずれにせよ、あなたがこれから選択する行為は、様々な次元の摂理の絡み合いによって自動的に決まってきます。その一つ一つが自動的に働くからです。自分の自由意志で選択しているようで、実はそれまでに到達した進化の段階におけるあなたの意識の反応の仕方によって決定付けられているのです。霊性を自覚するようになった魂は、(目先の損得・安楽を無視して)一層の進化を促す道を選ぶものです。》