自殺ダメ



 これは、モーゼスの『霊訓』でスピリチュアリズム界では有名な、インペレーターという高級霊(死後の世界において、高い界層に住む、とてつもなく進化した霊)からの通信文です。これらの文章を読めば、『スピリチュアリズムとは何か?』がよく理解出来ると思います。


 インペレーターというのはシルバーバーチより五百年ばかり後の紀元前五百年頃に地上生活を経験したという古代霊で、勿論仮の名である。が、インペレーターの場合は霊団の他の霊の証言によって、旧約聖書の「マラキ書」の編者マラキ(マラカイとも)であるとされている。その霊が、キリスト教の青年牧師のステイントン・モーゼスの自動書記能力を利用して送ってきたメッセージを纏めたのが『モーゼスの霊訓』である。
 全体としてキリスト教的色彩の濃い内容となっているが、それはモーゼスが牧師であったことから必然的にそうなったまでのことで、その裏には普遍的な真理が説かれており、キリスト教の素養のない方でも十分に理解がいく。では、その中から地球浄化に関連した部分を紹介しよう。

 《今まさに、新しい真理の普及の為に特別の努力が払われつつあるところである。神の使徒による働きかけである。それが敵対者の大軍による、かつてない抵抗に遭遇している。
 世界の歴史は常に善と悪との闘争の物語であった。一方には神と善、もう一方には無知と悪徳と邪悪-霊的邪悪・精神的邪悪・物的邪悪である。そこで、時として-今がまさにその時期なのであるが-いつもとは異なる努力が払われることがある。神の使徒が一段と勢力を強めて結集し、人間を動かし、霊的知識を広めるのである。》

 《今一度繰り返しておく。スピリチュアリズムは、かつての福音のように散発的に届けられていたものとは異なる。地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教であり、救済の手段でもある。それを総合したものがスピリチュアリズムなのである。
 が、実はそれだけと見なすのも片手落ちである。そなたにとって、そして又、そなたと同じ観点から眺める者にとっては、それだけでよいかも知れぬが、他方には意識の程度の低い者、苦しみに喘ぐ者、悲しみに打ちひしがれている者、無知なる者がいる。そうした者達にとっては、スピリチュアリズムはまた別個の意味を持つ。それは、死後における肉親との再会の可能性の保証であり、言うなれば個人的慰安である。実質的には、五感の世界と霊の世界とを結ぶことを目的とする架け橋である。
 肉体を捨てた者も、肉体に宿る者と同じく、発達程度は様々である。そこで、地上の未熟な人間には霊界のほぼ同程度の霊が当てがわれる。故に、一口にスピリチュアリズムの現象といっても、程度と質を異にする様々なものが演出されることになる。底辺の沈殿物が表面に浮き上がってくることもあり、それのみを見る者には、その奥で密かに進行しているものが見えないということになる。
 今こそ得心が行くであろうが、世界の歴史を通じて同種の運動に付随して発生した〝しるし〟を見れば、その種の現象が決してこの程度の活動のみに限られたものとの誤解に陥ることもないであろう。それは、人間の魂を揺さぶる全てのものに共通した、人間本来の性分が要求するのである。イスラエルの民を導いたモーセの使命にもそれがあり、ヘブライの予言者の使命にもそれがあり、言うまでもなく、イエスの使命にも欠かせぬ要素であった。
 〝しるし〟は人類の歴史において新しい時代が画される時には必ず付随して発生しており、今まさに、霊的知識の発達にもそれが付随しているのである。が、それをもって神の働きかけの全てであると受け取ってはならない。政治的暴動がその時代の政治的理念の全てを示すものではないのと同様に、奇跡的異常現象をもって我々の仕事の全てであると考えてもらっては困るのである。》