自殺ダメ



 そんな折、三年生になったばかりの頃に、私の人生を決定付ける恩師との出会いがあった。間部詮敦(まなべあきあつ)と仰り、元子爵で、その先祖を辿ると、阿部正弘の後を継いだ井伊大老のもとで老中職を務めた間部詮勝がいる。もう少し遡って江戸中期には間部詮房という人物がいて、六代将軍と七大将軍に仕え、幕政改革に腕を振るった側用人として有名である。
 名前を御覧になれば分かるように、間部家は代々〝詮〟の字を用いており、私の恩師・詮敦氏のお兄さんは詮信と仰った。十歳ばかり年齢の開いたご兄弟だったが、どちらも大変な霊能者であると同時に、霊覚者でもあった。つまり人格・識見・霊能の三つを兼ね備えた方で、特にお兄さんの方は霊感と五感とが見分けがつかない位、日常茶飯に自由自在に使いこなしておられた。私達は老先生・若先生とお呼びしていた。
 そのお二人の影響を受けて、五感以外に不思議な感覚があることを目の当たりにしていた私に、今思えばまさに千載一遇の幸運が訪れた。所謂物理的心霊現象実験会、略して〝物理実験〟が福山市で催されることになり、それが何なのかを皆目知らない筈の母が、高い参加費用を払って、私と兄の二人を出席させてくれた。
 そもそも間部先生に引き合わせてくれたのも母であるが、この後で紹介する天逝した長兄のことで先生の霊力の素晴らしさに感動させられて絶対的に尊敬していたからであろう、「見ておかれるといいですよ」という先生の言葉を信じて、そうでなくても戦後の苦しい家計の中から費用を出してくれた。今思えば、〝有り難い〟という言葉の本当の意味、つまり、中々有り得ないことを体験させてくれたことを、亡き母に感謝している。

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