自殺ダメ



 この実験会への出席で私は、それが死者の霊であるかどうかは別問題として、少なくとも地上の人間と同じ知性を具えていて、我々とコミュニケーションの出来る存在-しかもそれは、人間の五感を超えた感覚を具えていて、人間の通常の能力では不可能なことをやってのける、そういう存在がどこかにいるのだということを思い知らされることになった。
 論理的帰結とか、証拠を見て納得するとか認めるとかの段階を飛び越えて、いきなり思い知らされたのである。百聞は一見にしかずとは言い古された諺であるが、やはり真実である。百の反論も一つの実証の前には無力なのである。
 この体験は、当然のことながら私の哲学的思考に大変革をもたらし、それまでの〝生と死〟の課題から〝死〟が消えて、〝生〟のみの一元的生命哲学へと移行していったのであるが、ここで有り難かったのは、その実験会が催された家の本棚に、浅野和三郎の著書と訳書が何冊か置いてあり、それを間部先生の勧めで読んだことである。
 一冊は『神霊主義-事実と理論』、もう一冊はジョン・ワード著・浅野和三郎訳『死後の世界』で、その家の方に特にお願いして家に持ち帰って読み、時には学校へ持参して授業の合間に読んだこともある。友人から奇異の目で見られたのを今でも覚えている。
 スピリチュアリズム思想については後章で詳しく解説するが、その思想の誕生の母体となったのは、ニューヨーク州の片田舎のハイズビル村で起きた怪奇現象で、それ自体はいつの時代にも、世界のどこででも起きていたものと同類だった。ただ、その現象への関心の寄せ方がそれまでと違っていた。すなわち、その現象をきっかけに、欧米の第一線級の学者や法律家、文人などが、心霊現象、異常現象、超自然現象と呼ばれているものに、ただの趣味や興味本位からではなく、もしも本当だったら人生の一大事であるとの認識のもとに、地位や名声を顧みることなく、真剣に、そして本格的に考究したのである。しかもその結果が、人生にコペルニクス的転回をもたらす画期的な霊的事実の発見となった。ここでは、それが〝スピリチュアリズム〟と呼ばれるようになった、といった程度に理解しておいて頂きたい。
 妙なもので-これが〝機縁〟というものであろうか-浅野和三郎の訳書を読んで私は、その、実に日本語らしい訳文に感動し、それまで自信が付きつつあった英語への向学心に火が付いた。それからというものは他の科目をそっちのけにして、英語オンリーの猛勉強に入っていった。同時に、その年すなわち高校三年生の夏休みに、間部先生の鞄持ちとして、尾道市と向かい合った因島市での逗留先へお伴をしたことが、それに更に拍車をかけることになった。
 そこには間部先生と一緒に大阪で浅野和三郎の霊能養成の指導を受けられた、宮地進三という霊能者がおられた。逗留中に退屈しのぎに奥の間を覗いてみると、薄暗い中に雑然と書籍や雑誌が置いてあるのが目に入った。失敬してその部屋に入り、手当たり次第にタイトルを見ていく内に、古い「心霊と人生」という雑誌が出てきて、それをめくっていく内に、マイヤースの『永遠の大道』の連載記事が目に止まった。
 例の名調子の訳文に引き込まれて読み進む内に、ただならぬ内容に全身が熱くなるのを覚えた。残念ながらそこには連載記事の全ては揃っていなかったが、その時の私の心に〝よし、これを大学で原書で読もう!〟という、決意のようなものが湧いて来た。