自殺ダメ



 ここまで来れば、読者の中には、そうまでして死の予告をする位なら、何故その死を避ける手段を講じてくれなかったのだろうかという疑問を抱かれた方が少なくないであろう。実は私も、母から初めてこの話を聞かされた時に真っ先にそう思った。が、現実に兄はその翌日、死ぬのである。しかもその最後の夜に、又しても母に、今度は致命傷となる箇所まで教えているのである。
 真夜中のことである。母は左大腿部に氷を置かれているみたいな冷たさを感じて目を覚ました。真夏なのにどうしてここだけがこんなに冷たいのだろうと思いながら、側にあったものを無造作に手繰り寄せて、その箇所に当てがった。薄明かりの中で見ると、それは奇しくも兄の服だった。申し訳ないと思いながらも、眠くて仕方がないので、そのまま寝入ってしまった。翌朝、兄はその箇所に骨まで砕かれる重症を負い、出血多量で死亡したのだった。
 こう見てくると、人間はいつ、どこで、どういう原因で死ぬということが、予め決まっているようにも思える。少なくとも兄の場合はそうだった。そうでない場合もあるのかも知れないが、予言が適中することが確かにあるという事実は、何もかも決まっている〝宿命〟というものがあることを物語っていると考えてよいのではなかろうか。