自殺ダメ
[日本人の心のふるさと《かんながら》近代の霊魂学《スピリチュアリズム》近藤千雄[著]より]
締めくくりとして浅野氏の『心霊研究とその帰趨』から一部を抜粋して参考に供したい。
日本の伝統的思想は、人は祖に基づき祖は神に基づく、と教えているが、近代心霊研究の結果はこの言葉が正しく科学的事実に相違ないことを実験的に証明する。この点において日本国民は世界の民族の中で最初から最も恵まれた地位に置かれたことを感謝してよい。他の民族にあっては、ややもすれば敬神はあっても崇祖がなかったり、崇祖はあっても敬神がなかったりする。これでは甚だ不徹底である。
幽界以上には我らの祖先の霊を初め人類の遠祖である偉大なる存在、所謂自然霊が厳然と存在し、首尾連関、四通八達、もって深遠奥妙なる造化の経綸に当たりつつあることは、今日では最早一点の疑を挟む余地がない。(中略)
但し、敬神崇祖の意義を曲解し、若しくは乱用して、かの漫然たる無批判的迷信の材料に供されては堪らない。心霊研究の結果からすれば自然霊にも人霊にも大小・高下・善悪・賢愚など無数の階級があり、従って人間がやたらなものを崇拝することは禁物である。
自然霊の中の一部は低級未発達のいたずら者で、全く箸にも棒にもかからない。ただ、優れたのが途方もなく優れているまでである。人間の霊だとて、生前良い者は良く、悪い者は悪いのである。死は万事の解決でも何でもない。物質界から超物質界への関門に過ぎない。従って我々は死者に向かっていたずらに余り多くを期待してはならない。
ただ、我らの優秀なる祖霊中には現世に比して遙かに理想的な境涯において、百年千年にわたって不断の精進努力を続けた結果、しばしば驚嘆すべき見識力を発揮するようになっているのがいる。
なお、ここで忘れてならないことは、この敬神崇祖という言葉の反面に、報本反始(ほうほんはんし)-元に報い初めに帰る、つまり先祖の恩に報いること-の意義が多分に含まれていることである。善くても悪くても本は本、先祖は先祖である。根を培わずして枝葉の繁茂することは到底期待されない。ここに祭祀の本義がある。
人間がその眼を単に上方にのみ向けるのは決して醇呼(じゅんこ)たる宗教心の発露とは言えない。人間の眼は同時に下方へ向かっても注がれるべきである。仏教が特に済度・慰霊・供養等に力点を置いているが為に一般民衆の間に中々根強く勢力を張っていることは、深く慰留すべき事柄であると思う。
[日本人の心のふるさと《かんながら》近代の霊魂学《スピリチュアリズム》近藤千雄[著]より]
締めくくりとして浅野氏の『心霊研究とその帰趨』から一部を抜粋して参考に供したい。
日本の伝統的思想は、人は祖に基づき祖は神に基づく、と教えているが、近代心霊研究の結果はこの言葉が正しく科学的事実に相違ないことを実験的に証明する。この点において日本国民は世界の民族の中で最初から最も恵まれた地位に置かれたことを感謝してよい。他の民族にあっては、ややもすれば敬神はあっても崇祖がなかったり、崇祖はあっても敬神がなかったりする。これでは甚だ不徹底である。
幽界以上には我らの祖先の霊を初め人類の遠祖である偉大なる存在、所謂自然霊が厳然と存在し、首尾連関、四通八達、もって深遠奥妙なる造化の経綸に当たりつつあることは、今日では最早一点の疑を挟む余地がない。(中略)
但し、敬神崇祖の意義を曲解し、若しくは乱用して、かの漫然たる無批判的迷信の材料に供されては堪らない。心霊研究の結果からすれば自然霊にも人霊にも大小・高下・善悪・賢愚など無数の階級があり、従って人間がやたらなものを崇拝することは禁物である。
自然霊の中の一部は低級未発達のいたずら者で、全く箸にも棒にもかからない。ただ、優れたのが途方もなく優れているまでである。人間の霊だとて、生前良い者は良く、悪い者は悪いのである。死は万事の解決でも何でもない。物質界から超物質界への関門に過ぎない。従って我々は死者に向かっていたずらに余り多くを期待してはならない。
ただ、我らの優秀なる祖霊中には現世に比して遙かに理想的な境涯において、百年千年にわたって不断の精進努力を続けた結果、しばしば驚嘆すべき見識力を発揮するようになっているのがいる。
なお、ここで忘れてならないことは、この敬神崇祖という言葉の反面に、報本反始(ほうほんはんし)-元に報い初めに帰る、つまり先祖の恩に報いること-の意義が多分に含まれていることである。善くても悪くても本は本、先祖は先祖である。根を培わずして枝葉の繁茂することは到底期待されない。ここに祭祀の本義がある。
人間がその眼を単に上方にのみ向けるのは決して醇呼(じゅんこ)たる宗教心の発露とは言えない。人間の眼は同時に下方へ向かっても注がれるべきである。仏教が特に済度・慰霊・供養等に力点を置いているが為に一般民衆の間に中々根強く勢力を張っていることは、深く慰留すべき事柄であると思う。