自殺ダメ



 [日本人の心のふるさと《かんながら》近代の霊魂学《スピリチュアリズム》近藤千雄[著]より]

 (P65の途中より抜粋)

 こうした宗派は、ある奇跡的超能力の持ち主の恩恵を受けた人々が中心となって次第に信奉者が増え、やがてその人物が神の化身と崇められるようになって一つの組織を持つに至る、というパターンを経ていると思ってまず間違いない。
 もっとも、中には黒住教のように、宗忠自身は「黒住の袋に入るでない」と、自分という一個の人間を崇めることを禁じたにも拘わらず、その死後に門人達が宗教として一派を立てるに至ったケースもある。が、いずれにせよ、スピリチュアリズム的観点からすれば、宗教は組織を持つに至った時点から堕落が始まるとみて差し支えない。
 開祖の霊能者もいずれは他界する。それは、超能力という求心力を失ったことを意味する。他の能力や才能と違って、霊的能力は伝授出来る性質のものではない。努力して開発されるものではないのである。霊的能力が誰にでも潜在していることは事実である。が、ここで要請されているのは、病人や悩める人々を奇跡的に救う程の能力のことである。
 ピアノが弾けるというだけのことであれば、子供から大人まで、どこにでもいくらでもいる。が、聴く者に感動を覚えさせる程の名演奏の出来る人は、そうざらにいるものではない。それにも努力は要るが、肝心なのは生まれついての才能である。霊能者も、こしらえられるものではなく、生まれてくるものなのである。
 ところが、開祖を失った後継者達は、信奉者達を繋ぎ止める為の方策として、能力的には開祖とは比較にならない程劣ると知りつつも、或いは全く無能と知りつつも、二代目をその座に据えて初代の時と同じ体制を維持しようとする。ここから組織作りが始まる。つまり「営業(ビジネス)」である。

 稀有の霊覚者・黒住宗忠

 その一例を黒住教に見てみよう。黒住宗忠という人物は、一個人としてみた時は世界的にも稀有の霊能者で、特にその治病能力はイエス・キリストやハリー・エドワーズにも匹敵するものを持っていて、死者を生き返らせたことも一再ではなかったようである。
 そのきっかけとなった奇跡的体験は、霊的指導者に相応しい劇的なものだった。簡単に説明すると-
 青年時代に結核を患い、ついに余命いくばくもないと聞かされた時、宗忠はどうせ死ぬなら最後に一度だけ日の出を拝みたいと思い、妻の制止も聞かずに身を清め、這うようにして縁側に出て朝日に向かって手を合わせたところ、太陽から丸い塊が飛んで来た。宗忠が思わず口を開けたところ、それがその口にすっぽり入ってしまった。その瞬間から急に元気が出てきて、胸の病もみるみる回復し、信じられない速さで健康体になった。これを黒住教では《天命直授》と呼んでいる。
 それから程なくして、雇っていた女中が腹痛で七転八倒しているのを見て思わず手を当てたところ、嘘のように治ってしまった。その噂が広まって次々と病人が訪れるようになり、それが皆嘘のように治るので、いつの間にか病気治しの専門家になり、その後は毎夜、日によっては二度も、各所での講話に出向いたという。
 残念ながら宗忠は書き記すということを殆どしなかった。残っているのは日常の心がけを箇条書きにしたものと、和歌の形で真理を詠んだものだけで、従って宗忠にまつわる逸話も門人によって語り継がれたものばかりで、いくつかの矛盾撞着(どうちゃく)が見られる。が、そういう不思議なこと、凄いこと、素晴らしいことがあったということは、間違いなく事実であったに違いない。
 スピリチュアリズム的な観点から見れば太陽から飛んできた塊というのは霊的な治癒エネルギーで、その後の驚異的な回復の様子から推察すると、余程高級な階層から送られたものであろう。宗忠自身は「天照大御神の御神徳」という表現をしている。いかにも時代を感じさせる神道的表現であるが、実質的にはその通りであろう。
 三年にも及ぶ闘病生活は霊的指導者としての試練だった筈で、頼るものが絶無となった絶体絶命の窮地に立たされた者のみが発する「声なき絶叫」が祈りとなって高級霊界に通じたものと理解できる。「黒住教」というのは宗忠の死後、門人達の申請によって設立されたもので、宗忠自身は治病と講話の生涯を送り、無欲そのものだったという。
 宗忠に関する参考文献に眼を通した限りでは余程の高級霊が降誕したものと推察されるが、同時に、宗忠を崇める門人達の著書からは、例によって宗忠を<神>として崇め奉る雰囲気が強過ぎて読むに堪えない。
 こうした信奉者は当然のことながら死後も地上にいた時と同じ考えで宗忠を崇め奉り、地上の同じ程度の波動をもつ霊能者を通じてその教えを広めようとする。そういう集団が現存することを筆者は既に確かめている。