自殺ダメ

 [とっておきのエピソード③ 日本人の心のふるさと《かんながら》近代の霊魂学《スピリチュアリズム》近藤千雄著]より

 二十世紀の日本で最高の審神者(さにわ)を挙げるとすれば、まず浅野和三郎の右に出る者はいないであろう。古くは大和朝廷の初期の人物として武内宿禰(たけうちのすくね)が挙げられるが、歴史的な謎が多く、事実とは信じ難い伝説が纏わり付いているので、今後の検証が待たれるところである。
 これから紹介する浅野氏による鎮魂帰神にまつわるエピソードは大本教に入信して間もない頃のもので、浅野氏はまだその修法を身に付けていなかった。本人も「訳も分からぬままやったまでで、冷や汗ものだった」と述懐しているが、経験豊富な審神者にして初めて可能な芸当を見事にやって見せたところで、筆者が浅野氏を天才的審神者と見る所以(ゆえん)がある。
 さて、大正初期のこと、日露戦争で勇名を馳せた秋山真之提督の紹介状を手にして、山本英輔海軍大佐が鎮魂帰神を求めて訪れた。鎮魂とは要するに精神を鎮めることで、帰神とは文字通りに言えば神と合一するということであるが、これは神とか霊とか魂について具体的な理解が出来ていない時代の用語であって、要するに精神を統一して波動を高めるということである。
 早速浅野氏が帰神の法を施したところ、山本大佐の身体が大振動を起こすや「大天狗!」と大声で名乗った。浅野氏がその大天狗と名乗る霊と問答を続けている内に、何が気に入らなかったのか、その霊が突然プリプリ怒り出し、やがて組んでいた両手を解いて両眼をカッと見開き、拳を握り締めて立ち上がった。と見る間もなく「エイッ!」と掛け声も荒々しく、浅野氏に殴りかかった。
 たった一度ではない。二度、三度、五度、十度、手を組んで端座する浅野氏の頭上目掛けて激しく打ち下ろされる。ところが不思議なことに、浅野氏の周囲に金網でも張り巡らされているかのように、一度たりとも身体には届かない。ただ空を切るだけである。無論浅野氏は止めるように説得を続けている。
 業を煮やした天狗は浅野氏の説得に耳を貸すどころか、ますます猛り狂って攻撃の雨を降らせる。その間、実に四時間!我慢に我慢を重ねて説得してきた浅野氏もついに意を決して霊団側に援助を乞うた。
 要請に応じて派遣されたのは神界にその名も高い某龍神で、その姿を見るや、天狗は恐怖の悲鳴を上げて部屋中を逃げ回り、ついに降伏した。そこで浅野氏が声をかけて近くへ呼び寄せると、しおしおと近付いて丁寧に頭を下げた。そこで浅野氏が説得の言葉を掛けると、無礼を詫びて去って行ったという。
 なお「浅野氏の周囲に金網でも張り巡らされているかのように」とあるのは、修験道でいう《霊鎧(れいがい)》のことである。霊的な鎧のことで、浅野氏自身が語ったところによると、そういう時には浅野氏はただ観念して端座しているだけなのに、身体は霊的に充電されているようだという。
 さる陸軍大佐が浅野氏目掛けて突撃を試み、弾みで浅野氏の組んだ指先に軽く触れただけで大変な痛みを感じ、以後一週間ばかり神経痛のように骨が痛んで困ったとこぼしていたという。