自殺ダメ



 馬小屋での生活が一年ほど続いた頃、父の故郷の広島県福山市に引揚者住宅が出来て、そこへ引越した。六畳一間に台所という狭いものだったが、他人の家に厄介になるという気の滅入る生活からは解放された。そして都市での生活は様々な情報をもたらした。その一つが霊能者をもって任ずる人、俗にいう「拝み屋」さんの存在だった。長兄のことが片時も忘れられない母は早速訪れて兄の霊についての情報を求めた。祭壇に向かって祝詞をあげてから暫し拝んで、やおら霊言のようなことを口にしたが、霊感の鋭い母は直感的に「あの子ではない」と判断した、という。「という」と述べたのは、母から「一緒に行ってみる?」と誘われても、次兄は直ぐについて行ったが私はその気になれず、その後の数人の拝み屋についても同じだったからである。
 それが間部先生の場合は全く違った。次兄は勉強の予定でもあったのか、行かないと言ったが、私は躊躇なく「うん、行く」と言って付いて行った。そして私の今生の使命について背後霊団からの託宣が先生を通して授けられたのであるが、それについては本文で触れたので、ここでは控える。それよりも、その日の間部先生との面会は霊界の兄がかかわっていたことを物語る劇的な場面が展開しているので、それをここで披露しておきたい。これはひいては間部先生の驚異的な霊能を物語っているからである。
 後に母から聞いた話では、その日母は長兄のことよりも残りの五人の子供達のことの方が念頭にあったという。頻繁に見せる病的症状が、母の直感では肉体的なものではなく、どこか霊的なものが感じられるので、きっと近藤家の因縁が絡んでいるとみていたからである。
 本稿の初めで述べたが、その頃の先生は浅野先生も驚嘆した程の高級霊団がついて、「これから忙しくなるぞお」という浅野先生の言葉通り関西地方から中国地方を巡りながら霊的治療や人生相談に当たっておられた。福山市には三日程滞在しておられたように記憶している。初対面の日、私を伴って座敷に上がり、広い日本間の奥に和服姿で端座しておられる先生に目を向けた時、母の脳裏に「ああ、自分が求めていた人はこの方だ」という思いが走り、激流の中を必死で泳いで、今やっと向こう岸に辿り着いたという感慨で喜びが沸いてきたという。その後ドラマチックなことが起きる。
 母が挨拶を済ませて、やおら積もる悩み事を述べようとした時、先生が「ちょっとお待ちください。今ここに青年が立っていますよ。両手で何かを持ってますね。ほう、弁当だそうです。お母さんには申し訳ないことをしたと仰ってますが、何かお心当たりがございますか?」と仰る。その瞬間、母の瞼(まぶた)にあの事故直前のことが甦った。そしてその場にどっと泣き崩れた。紛うことなくあの子だ。自分が寂しく見送ったように、あの子も自分の姿を見ながら済まないという気持を抱いていたのだ、と母は思った。やはりあの子は生きている。霊の世界で生き続けているのだ。そう思いながら母はしばし涙に暮れた。
 徳川時代の大名の血を引く家柄の出である先生は、それらしい品格と、慶応大学で学んだ教養、それに品のある「声」が相まって侵し難いオーラを感じさせる方だったが、母にとってはこの一事によって絶対的な信頼を植え付けられることとなった。
 私は間もなく大学の英文学科へ進学して東京での下宿生活となったが、先生も毎月上京され、必ず私を呼び寄せて鎮魂帰神の法で浄霊してくださった。「あなたの霊団はいつも外国の霊団とよく連絡が取れてるなあ」と仰ったのはその頃である。母も毎月子供を連れて先生を訪ね、浄霊してもらった。父の無理解が唯一の障害で、謝礼も楽ではなかったが、母は決して抗うことなく「済みません」の一言と節約で押し切った。 
 そんな時、夏休みで帰省した私に母がはにかみながら一通の手紙を差し出し「先生からよ」と言った。読んでみると惚れ惚れするような達筆の文末に次の一文があった。
 「あなたのような方を本当の意味で人生の勝利者というのです」
 先生が人を裁く時、全人格、全霊格を見抜いてしまうので、先生の前に行くのを嫌がる、ないしは恐がる人が少なくなかったものであるが、母が乗り切ってきた激流についても、母の口から言わなくても、先生には読めていた筈である。
 その母も古稀を目前にして急死したのであるが、その二、三ヶ月前から私に「母さんの用事はもう終った。全部終わった。死ぬ時はきれいに死んでみせるからね。そして真っ先に豪男(ひでお)のところへ行く」と言って笑みさえ浮かべていた。
 母は間違いなく「タフな魂」だった。その凄さを物語るエピソードは幾つもあるが、一つだけ披露して本稿を閉じたい。
 毎月のように父に内緒で間部先生にお世話になっていることを母はとても心苦しく思っていた。そんなある日、夜遅く寝間に入ろうとした時、手前の布団で大いびきをかいて寝ている父の姿が目に入った。次の瞬間、母は居ずまいを正し正座をして父に向かって両手を合わせ「お父さん、いつもこっそり間部先生のお世話になってご免なさいね。これも近藤家の為を思ってのことだから許してくださいね」と小さな声で祈ったという。すると不思議なことに、いびきをかいて寝ている父が大きく寝返りを打ちながら「ああ、いいよ」と大きな声で言ったという。その瞬間母の胸に「あ、今のは守護霊様だ。守護霊様は許してくださっているのだ」という思いが湧き、それまでの胸のつかえがきれいに消えたという。
 この話を聞いた時私はイエスが十字架からローマ兵を見下ろして「神よ、この者達を許したまえ。彼等は自分達が何をしているかが分かっていないのですから」と祈ったシーンを思い浮かべた。人類が口にした最高次元の祈りであろう。