自殺ダメ



 これは陸軍士官から送られた第二回の通信で、死後幽界に於ける最初の経験が例の露骨な筆法で物語られております。心理学者が頭脳を悩ます憑霊現象の裏面の消息がいかにも突き込んで描き出されておりますので、何人もこれには少なからず驚かるると同時に又深く考えさせられるところがあろうかと存じます-

 吾輩は案内されるままに無我夢中で右の怪物の後に付いて行ったが、四辺はイヤに真っ暗な所であった。やがて気が付いて見ると無数の霊魂がその辺にウジャウジャしている。
 「ここは一体何処なのかい?」
と吾輩は案内者に訊いてみた。
 「それよりか、お前は何処へ行きたい?」と彼が言った。「望みの場所へ、何処へなりと連れて行ってあげる」
 「吾輩は何より酒が飲みたいナ」
 「それならこっちへ来るがいい。酒の好きな奴に誂(あつら)え向きの店がある」
 忽ちにして四周に罵(ののし)り騒ぐ群衆の声が聞こえた。と、其処には一個の怪物が多数の配下を率いて控えて居たが、イヤその人相だけはとても形容の限りでない。世の中で一番それに近いものといえばへべれけの泥酔漢位のところであろう。下品で、醜悪で、ふやけ切っていて、そして飽くまで汚らしい。
 詩聖ミルトンは堕落した天使の退廃的な壮麗さを「失楽園」の中に描いているが、そんな趣はこの怪物には微塵もない。そいつが眼球をグリグリさせると他の奴共が声を揃えて怒鳴り立てる-
 「酒!酒を飲ませてくれい!」
 「俺の後に付いて来い!」と右の怪物が言った。「酒なら幾らでも飲ませてやるが、しかし、きさま達はソノ前に一働きしなければいけねえ」
 忽ち我々は大きな、しかし下等な一つの酒亭に入っていた。その場所は確かにロンドンの東端の何処かであるらしい。内部には下等社会の男も女も、又子供さえも居た。
 イヤその室に漲(みなぎ)るジンやウイスキイの何とも言えぬ嬉しい香!ちと安ビールの香だけは感心も出来なかったが、勿論そんな事には頓着していられはしなかった。
 吾輩は早速酒場に置いてあるビールの大杯にしがみついた。が、いくら掴んでも掴んでもドーしてもコップが掌(てのひら)に入らない。そうなると飲みたい念慮は一層強まるばかり、体中が燃え出しそうに感じられた。それにしても親分は一体どうしているのかと思って背後を振り返ると、彼は大口開いて吾輩を嘲り笑っていた。
 彼は漸(ようや)く笑いを抑えて言った-
 「ちと仕事をせんかい、このなまくら野郎が・・・」
 「仕事をせいだって、一体どうすればいいのだ?」
 「他の奴等のやっているところを見い!」
 そう言われて初めて気をつけて見ると、他の連中は頻(しき)りに酒を飲んでいる男や女の体に絡み付いている。どうしてそれをやるのかは正確に判らないが、兎に角何らかの方法で、彼等の肉体の中にねじ込んでいるらしいのである。
 するとベロベロに酔っ払った男の首玉にしがみついていた一人の霊魂が、この時忽ちスーッとその肉の中に吸い込まれるように消え去った。オヤッ!と思う間もなく右の泥酔漢はよろよろと立ち上がって叫んだ-
 「こらッ!早くビールを持って来んか!ビールだビールだ!」
 仕方がないと言った風で一人の給仕女がビールを持って行ってやった。が、よくよく見るとかの泥酔漢の両眼から爛々(らんらん)と光っているのは本人のではなくして、確かに先刻入った霊魂の眼光であった。彼は盛んにビールを呷(あお)ると共にますます猛り狂った。とうとう酒場の監督が来て、その男の肩を掴まえて戸外に突き出そうとすると、泥酔漢はイキナリ大瓶を振りかざしてゴツンと一つ監督の頭を食らわしたから堪らない。監督の脳天は微塵に砕けた。