自殺ダメ
見る見る一大修羅場が現出した。
「人殺し-ッ!」
酒客の大半は悲鳴を上げて戸外に跳び出した。霊魂の中には人間の首玉に捲き付いたまま一緒に出掛けたのもあったが、中には又それッきり人間を突っ放してしまったのもあった。
その時吾輩は初めてこれらの霊魂が二種類に分かれていることに気がついた。即ち明らかに人間であるのと、人間でないのとである。人間でない奴は種々雑多で、何れも多少動物じみていた。とても吾輩にそれを形容する力量がない。醜悪で、奇怪で、人間ともつかず、動物ともつかず、時とすれば頭部が動物で体が人間の化け物もある。中には単に頭部ばかりの奴もいるかと思えば、又何ら定形のない目茶目茶のヌーボーもいる。
そうする中にも、例の監督をやっつけた酔っ払いは相変わらずビール瓶を振り回している。と、吾輩の直ぐ傍で耳を劈(つんざ)くようなキャーキャー声で高笑いをする者がある。見るとそれは例の親分の霊魂が嬉しがって鬨(とき)の声を張り上げているのであった。
我々仲間もこれに連れて一緒になって喝采したが、無論何故喝采したのかは判らない。すると酔っ払いに憑いていた悪霊がこの時しきりにその体から脱け出しにかかった。すっかり脱け切ったと思った瞬間、酔っ払いはペチャペチャと地面に潰れた。
「あいつは死んだらしい」
と吾輩はビリーに言った。ビリーはいつの間にやら戻って来ていたのである。
「中々死ぬものか。ただ酔い潰れているだけじゃ。が、あいつは追っ付け断頭台の代物だネ」
「しかし監督を殺したのはあいつの仕業ではない・・・・」
「無論あいつの仕業でないに決まっている。しかし裁判官にそんなことが判るものか。裁判官などというものは外面を見て裁判するものだ。日頃監督を怨むことがあったとか何だとか、理屈は何とでも付けられる。それとも貴公証人として法廷にまかり出てあいつの冤罪を解いてやったらドーだい?」
そう言ってケタケタと笑うと他の奴共奴共一緒になって笑った。
丁度その瞬間に警察官が出張して一同から事情を聴き取り、やがて酔漢はつまみ上げて運び去られてしまった。
「大出来大出来!」我々の親分が囃(はや)し立てた。「他の奴共もこれに劣らず大いに勲功を立てい!」
我々はそれから又大いに飲み始めた。そうする中に吾輩も見よう見真似で、ドーやら人間の体に絡み付いて酒を飲む方法を覚えてしまった。正当に言うと、それは酒を飲むのとは少し訳が違う。むしろアルコールの香を嗅いで歓ぶだけの仕事に過ぎない。が、とにかく豪儀である。豪儀であると同時に何やら物足りない。聖書にある死海の林檎そっくりで、手に取ると直ちに煙になる。が、そんな次第で幾日となく右の酒亭に入り浸った。そして終いには吾輩も本式の憑依法まで覚え込んでしまった。
吾輩は今憑依の方法を説明することは出来ない。よしや出来てもそうしようとは思わない。が、大体に於いてそれは現在吾輩がワード氏の体を借りて自動書記をやりつつあるのと同種類のものだと思えばよい-心配したまうな諸君、現在の吾輩はあんな悪い真似はモーしません。たとえしようと思っても、ワード氏の身辺にはちゃんと立派な守護神様が控えて御座る。その上叔父さんもついていなさる。
これで予定通り暫く休憩といたします。幽界の悪魔の酒の飲みっぷりは大抵こんなところでお判りでしょう。三十分程休んだ上で先へ進むことにしましょう。