自殺ダメ



 これは三月七日の午後九時五十分に出た通信で、憑霊と犯罪との面白い関係につきて例の陸軍士官が自己の体験を大胆率直に告白したものであります。法律上では単に故殺だの、謀殺だの、未遂だのと外面から頗る簡単に取り扱っておりますが、一歩その裏面に立ち入りて霊界の消息を窺いますと実に恐ろしい落とし穴やら術策やらが仕組まれてあるようであります。本通信の如きは特に心ある人士の精読に値するものと思考いたされます-

 さてある日のこと、吾輩は一つの交霊会へと出掛けて行った。するとその場に居合わしたのが生前吾輩の内幕を素っ破抜くことばかりやっていた不倶戴天の仇敵であった。
 「こいつ是非仇をとってやれ!」
 吾輩は即座にそう決心した。モーその時分には吾輩も霊媒の体を占領して所謂神懸現象を起させる位のところまで腕が磨けていた。
 吾輩の仲間には、相当腕利きの悪霊が沢山揃っていたので、そいつ達が色々と復讐手段を吾輩に提案した。命知らずのナラズ者に憑依し、相手を殺害させるのが面白かろうというのもあれば、それよりはむしろ相手を騙くらかして破産させるのが一番近道だと主張する者もあった。その外まだ色々の提案があったが、しかしそれ等の何れよりも遙かに巧みな方法がふと吾輩の胸に浮かんだ。吾輩のつけ狙っている男は、よせばいいのに近頃下拙の横好きで霊術弄(いじ)りを始めていた。勿論深いことは少しも判っていない。大体ただ好奇心という程度のものであった。吾輩のつけ込みどころはその点にあった。
 夜となく昼となく吾輩は彼に付き纏い、その一挙一動をも見逃すまいとした。吾輩は機会さえあれば彼に損害を与えた。彼が博打をやれば、吾輩がその持ち札を相手に内通してやる。彼が事業をやれば、吾輩が仲間の胸に不安の念を起こさせる。手を変え品を変えて酷い目にばかり遭わせてやった-が、そんなことは吾輩のホンの序幕戦で、最終の目的は決してそんな生易しいものではなかった。
 とうとう吾輩の待ちに待ちたる好機会が到着した。彼は自分の霊魂をその肉体から遊離させる修業を開始していたが、その頃漸くそれが出来かけて来た。これは吾輩に取りて真に乗ずべき好機会であった。吾輩は彼の霊魂が肉体から脱出した隙を見澄まして、空き巣狙いの格でその空ッぽの肉体へイキなり飛び込んでしまった。
 「ハハハ」と吾輩はほくそ笑んだ。「借り物ではあるが、これですッかり元の通りの人間様だ!」
 が、いよいよやってみると他人の体の居候も中々楽な職業ではなかった。体の方では大人しくこちらの言うことを聞こうとせず、ややともすれば追い出しにかかる。それを無理に強い意思の力で抑えつけるのだから一瞬間も油断が出来ない。幸い吾輩意思の強いことにかけては先方の比ではないので、ドーやら城を持ち堪えることが出来た。
 イヤしかし気の毒であったのは先方の霊魂であった。外面から見れば元の通りの当人に相違ないが、豈(あ)に図らんや中身は吾輩で、当人の霊魂は気の利かない顔をして、始終体の外にぶら下がっていた。幽体と肉体とが生命の紐で連結されているので、離れてしまうことも出来ないが、さりとて体内に入ることも出来ないのである。イヤ吾輩随分思い切って彼の女房を虐めてやったものだ。蹴る、罵る、殴る、夜中に叩き起こす、無理難題を吹っかける・・・。とうとう女房は愛想を尽かして子供を連れて家出をしてしまった。その間にこちらは無理酒を飲む、道楽をやる、賭博をやる・・・。他人の体だから惜しくも何ともない。お陰でそいつの名誉も健康も滅茶苦茶に毀損させてやった。