自殺ダメ




 が、いつまでこんな事ばかりもしていられないので、とうとう最後の荒療治を施すことになった-他でもない、吾輩がその男の体を使ってある宝石商の店に入って幾粒かの宝石を盗んだ上にその主人を殺害し、そして首尾よく発覚して官憲の手に捕まるように仕向けたのである。吾輩は彼が謀殺罪として正規の手続きを以って刑務所に収容されるまで体内に留まって居たが、ここまで行けばモー用事はないので監房内で体から飛び出してしまった。それまで指をくわえてブラブラ腰巾着になっていた彼の霊魂は初めて自分の体内に戻ることが出来たが、随分気の利かない話で、その際吾輩は散々先方を嘲笑してやったものだ。
 いよいよ裁判が開始された時に吾輩は人知れず傍聴席に出掛けて行っていた。当人はしきりに一切の罪状につきて何らの意識が無かったことを主張した。無論それはその通りに相違ないので、彼の霊魂としては一切を承知していても、彼の物質的脳髄には何らの印象も残ってはしなかったのである。弁護士も又被告が一時的に発狂したのであると熱心に弁論した。が、裁判官は次の如く論告した-
 「ある一部の人士は一切の犯罪を以って発狂の結果なりと主張する。しかしながら本職はこれを承認することが出来ない。本件被告の行動はそれを発狂と見做すには余りに工夫術策があり過ぎる。本件関係の証人等の供述に基づきて推断を下せば、被告は平生から憎むべき行為を重ね、最後にこの謀殺罪を犯したものである・・・」
 そしてかかる場合にいつも来る判決-死刑の宣告を下したのである。
 こうなっては吾輩の得意は以って想うべしである。が、その中予想外の小故障が起こらないではなかった。依然として無罪を主張する被告の宣言-こいつは左まで役にも立たなかったが、彼の女房が夫に対して同情ある陳述をなし、彼の平生の行動から推定してかの犯罪は確かに一時性の発狂の結果に相違ないと申し立てたことは中々有力なる弁護であった。
 無論それが為に死刑の宣告が破棄されはしなかったが、しかしこの同情ある陳述が、今までただ反抗心とヤケ糞気分に充ち充ちていた夫の精神に善心の芽を吹き出させるのには充分であった。監獄の教誨師が又彼を信じて、百方慰藉(いしゃ)の途を講じたので、いよいよ彼は本心に立ち返り、生前の罪を悔い改めて神にお縋(すが)りする気分になった。結局彼の肉体だけは予定通りに殺し得たが、彼の霊魂はこちらの自由にならず、死刑が実施された瞬間に一団の天使達がそれを取り巻き、我々悪霊を追い散らして何処とも知れず連れ去ってしまった。言わば九仞(きゅうじん=高さが非常に高いこと)の功を一簣(いっき=一つのもっこ。また、もっこに1杯の分量。わずかな量のたとえ)に欠いた訳で、復讐の最終の目的は達せられずに終わったのである。
 それだけならまだ我慢が出来るが、今度はあべこべに吾輩自身が危なくなって来た。丁度その時分から吾輩の体の加減が急にヘンテコになり、何やら奥の方からズルズル崩れるような気がして仕方がない。いかに気張ってみてもドーしてもそれを食い止めることが出来ない。流石の吾輩も驚いて自分に付き纏う悪霊に訊いてみた-
 「近頃ドーも身体に異状があるが、一体どうしたのだろう?」
 「ナニ地獄に落ちるンだネ」と彼は平然として答えた。「汝もモーそろそろ年貢の納め時が来たのだ」
 吾輩びッくりして叫んだ-
 「それでは約束が違うじゃないか!こんなことをしないと幽体が養われないというから吾輩は精出して人間の体に憑依していたのだ」
 「それをやれば勿論一時は養われるさ。けれども無論長続きのするものじゃない。モー汝もいよいよ近い内に幽体とお分かれじゃ」
 吾輩はがっかりして訊ねた-
 「そうすると今度はどんな体を貰うのかね?」
 「今度は霊体という代物だね。真の苦痛はそれから始まるのさ・・・」
 こう言われて吾輩は初めてこの悪霊がいかに悪意を以って吾輩を呪いつめていたかに気がついた。その時の忌々しさ!憎らしさ!とても筆紙には尽くせません。それからいよいよ吾輩の地獄堕ちとなるのですが、今晩の話はこれで止めておきます。
 諸君、吾輩の通信中には至る所に大なる警告が籠もっているつもりであります。それ故何卒これを厄介物視せず、充分の注意を以って研究して頂きたいと存じます。今晩はこれでお分かれいたします・・・。