自殺ダメ



 立派ではあるがしかし極度に汚い市街を、吾輩は足に任せてうろつき回った。時々吾輩は男や女に出くわしたが、その大部分は地上と格別違った服装もしていない。ただそれがイヤに汚れてビリビリに裂けているだけであった。中には吾輩を見て突撃して来そうにするのもあったが、こちらからグッと睨みつけてやると訳なく逃げてしまった。こんなことを繰り返している中に、吾輩ふと考え付いた-
 「今まで俺は人から攻撃されてばかりいるが今度は一つアベコベに逆襲して家来の一人もこしらえ、道案内でもさせてやろうかしら。ドーせ自分は厭でも諾でもここに住まわなければならんのだから・・・」
 そこで吾輩はイキナリ一人の男に跳びかかった。先方はびっくり仰天、キャーッ!と悲鳴を上げて逃げ出したが、吾輩は例の地獄の奥の手を出し、ドーしても後戻りをするように念力を込めた。先方は飽くまで抵抗はしてみたものの、力及ばず、づるりづるりと次第にこちらへ引き寄せられて来た。いよいよ手元に接近した時に吾輩は自分の権威を見せる為に、ギューと地面にそいつの頭を擦り付けさせ、散々油を搾った上で、起きて道案内をしろと厳命した。奴さんオロオロ声を出して愚痴りながら、吾輩の命のままに所々方々の建物を案内して歩いた。
 やがて家来が恐る恐る吾輩に訊いた。
 「ここで昔のローマ武士の大試合がございますが御覧になられますか?」
 「ふむ、入ってみよう」
 早速昔の大劇場(コロシアム)と思わしき建物に入ってみると、座席は見物人で充満であった。そこで吾輩は忽ち一人の男の首筋を掴んで座席の外におッぽり出した。その次の座席には醜悪な容貌の女が座っていたので、こいつもついでに放り出してやった。我々二人は大威張りで其処へ座り込んだ。
 試合は丁度始まったばかりであった。見ると自分達の反対側には立派な玉座が設けられてある。
 「あそこが陛下の御座所でございます」
と吾輩の家来がビクビクしながら小声で囁いた。
 「ナニ陛下・・・。一体それはどこの馬の骨か?」
 「よくは存じませぬが、兎に角あの方が皇帝で、この近傍を支配しておられます」
 「そうすると地獄には他にもまだ皇帝があるのか?」
 「そうでございます。王だの大将だのも沢山ございます」
 「そんなに沢山あっては喧嘩をするだろうナ?」
 「喧嘩・・・。旦那様は妙なことをお訊ねになられますナ。一体何時何処からお出でなされましたか?」
 「そりァ又何故かナ?」
 「でも旦那様、地獄に喧嘩は付きものでございます。ここは憎悪と残忍との本場でございます。我々は間断なくお互いに喧嘩ばかり致します。地方と地方とは鎬(しのぎ)を削り、皇帝と皇帝とはのべつ戦端を交えます。現に私共は近頃付近の一地方を征服しました。で、今日はその戦勝のお祝いに捕虜達を引き出して試合をさせるのでございます-あッ戦士達の出場でございます」
 やがて試合が始まりましたが、流石の吾輩も臍(ほぞ)の緒切って初めてこんな気味の悪い見世物を見物しました。昔の試合に付きものの残忍さがあるだけで、昔の武士道的の華やかさは微塵も無く、ただ野獣性の赤裸々の発露に過ぎない。又試合は単に男子と男子との間に限らず、男子と女子との試合もあれば、甚だしきは大人と子供の試合さえもあった。そしてありとあらゆる苦痛を与え、哀れな犠牲者達はヒイヒイキイキイ声を限りに泣き叫ぶのである。大体の光景は地上で見るのと大差はないが、ただ何時まで経っても死ぬということがないから、従って苦痛も長い。ノベツ幕なしに何時までもやり続ける-現在の吾輩はこんなことを書いたり読んだりするだけでも胸が悪くなりますが、当時はまるでその正反対で、極度に吾輩の残忍性、野獣性を挑発し、何とも言えぬ快感を与えたのでした。これは決して吾輩ばかりでなく、全ての見物人が皆そうなので、地獄の主権者がかかる見世物を興行する理由もその点に存在するのです-今日はこれで中止しますが、次回にはモ少し詳しく申し上げます・・・」