自殺ダメ





 四月六日の霊夢の記事で、前回に引き続いての陸軍士官の物語であります-

 吾輩は地獄で遭遇した一切の出来事を詳しく述べ立てる必要はないと考える。兎に角吾輩が着々と自分の周囲に帰依者の団体を作ることに全力を挙げたと思ってもらえば結構です。無論吾輩の命令は絶対で、又彼等もよくそれに服従した。が、吾輩は成るべく部下の自由を拘束せず、勝手に市内を歩き回って、勝手に人虐めをやるに任せておいた。その結果、以前強盗や海賊であった者、手に負えぬ無頼漢であった者などがゾロゾロ吾輩の旗下に馳せ参ずることになった。吾輩の勢力はみるみる旭日昇天の勢いで拡張して行ったが、最後にのっぴきならぬ事件が出来した。外でもない、皇帝から即刻出頭せよとの召喚状を受け取ったことである。
 吾輩はその時何の躊躇もなく、一隊の部下を引き具して直ちに宮城に出掛けて行った。
 我々が謁見室と称する、華麗な、しかし汚れ切っている大広間に入ると同時に、かねて待ち構えていた皇帝は玉座から立ち上がった。玉座は一の高見座で、その前面に半円形の階段が付いているのである。その時彼は満面にさも親切らしい微笑を湛(たた)え、吾輩を歓迎するような風をしたが、勿論腹の底に満々たる猜疑心を包蔵していることは一目で判った。
 ここいらが地獄という不思議な境地の一番不思議な点で、一生懸命お互いに騙しっくらを試みる。そのくせお互いの腹は判り過ぎる程判り切っているのである。騙せないと知りつつ騙しにかかるというのが実に滑稽であると同時に又気の知れないところなのである。
 皇帝はおもむろに言葉を切った-
 「愛する友よ、御身が地獄に来てからまだ幾ばくも経たないのに、早くもかばかりの大勢力を張ったとは実に見上げたものである」
 吾輩は恭しく頭を下げた-
 「全く陛下の仰せられる通りでございます。この上とも一層勢力を張るつもりでござる・・・・」
 「皇位までもと思うであろうがナ・・・。しかし、予め注意を与えておくが、それは決して容易の業ではない。恐らく永久にそんな機会は巡って来ぬであろう-イヤ両雄相争うは決して策の得たるものではない。お互いに手と手を握り合って、余が現在支配する領土の上に更に大なる領土を付け加えることにしようではないか?他日若し止むことを得ずんばアントニイとオクタヴィアスとの如く、一開戦を試みて主権の所在を決めることも面白かろう。しかし現在のところでは、かの賢明なる二英雄と同じく、互いに兵力を併せて付近の王侯共を征服することに力を尽くそうではないか?-つきては余は御身を大将軍に任ずるであろう。さすれば御身はかのダントンと称する成り上がりの愚物を征服して先ず御身の地歩を築くがよい。彼ダントンは前年大部隊を引き連れて地獄に降り、当城市から遠からぬ一地域を強襲して小王国を築き上げた。地獄ではその地方を「革命のパリ」と呼んでいる・・・」
 吾輩は一見してこの人物の腹の底を洞察してしまった。彼は吾輩と公然干戈(かんか=戦争)を交えることの危険を知っていると同時に、又吾輩が独立して彼の城市内に居住することの剣呑なことも痛切に感じているのである。
 そこで右に述べたような計略を以って一時彼の領土の中心から吾輩を遠ざけようとしているのであるが、その結果は次の三つの中の一つになるのに決まっている。即ち吾輩が戦争に負けてダントンの捕虜になるか、戦争が五分五分に終わって共倒れになるか、それとも吾輩がダントンを叩き潰してその王位を奪うか-何れにしても彼の為には損にはならない。最後の場合は単に一つの敵を他の敵と交換するだけに止まるように見えるが、吾輩が交戦の為に疲弊するというのが彼の眼の付けどころなのである。
 吾輩はこの計画がよく見え透いてはいたが、表面にはこれに同意を表しておくのが好都合に思えた。吾輩の方でも公然皇帝と戦端を開くことは危なくて仕方がない。万一戦闘に負けた日にはそれこそ眼も当てられない。これに反してダントンとの勝負にかけては充分の自信があった。一旦ダントンを撃破してその兵力を吾輩の兵力に付け加えた上で、一点して皇帝を攻めることにすれば、現在よりも勝てる見込みは余程多い。
 咄嗟に腹を決めて吾輩は答えた。
 「陛下の寛大なる御申し出は早速お引き受け致します」
 「おおよく承諾してくれて嬉しく思う。以後御身は余の股肱(ここう)の大将軍である」
 皇帝は直ちに大饗宴を催し、部下の重立ちたる者をこれに招いたが、吾輩がその正賓であったことは云うまでもない。
 やがて運び出された御馳走を見ると実に善つくし美つくし、ありとあらゆる山海の珍味が堆(うずたか)く盛り上げられてあったが、いよいよそれを食う段になると空っぽの影だけである。食欲だけは燃ゆるようにそそられながら、実際少しも腹に入らない地獄の御馳走ほど皮肉極まるものはない。
 しかし哀れなる来賓は、皇帝御下賜(ごかし)の御馳走だというので、さも満足しているかの如き風をしてナイフやフォークを働かせて見せねばならない。実に滑稽とも空々しいとも言いようがない。流石に皇帝は苦々しい微笑を浮かべてただ黙って控えている。吾輩とてもこの茶番の仲間入りだけは御免を蒙って、ただ他の奴共の為すところを見物するに止めた。
 御馳走ばかりでなく、地獄の仕事は皆空虚なる真似事である。饗宴中には音楽隊がしきりに楽器をひねくったが、調子は少しも合っていない。ギイギイピイピイ、その騒々しさと云ったらない。しかし聴衆はさもそれに感心したらしい風を装って見せねばならない。
 饗宴が終わってから武士共が現れて勝負を上覧に供した。暫く男子連がやってから、入れ代わって婦人の戦士達が現れ、男子も三舎を避ける程の獰猛な立ち回りをやって見せた。
 吾輩はこの大饗宴に付属した色々の娯楽をここで一々紹介しようとは思わない。そんなことをしたところで何の役にも立ちはしない。ただ何れも極度に惨酷であり、又極度に卑猥であったと思ってもらえばそれで結構である。