自殺ダメ
間もなく戦争は真剣に開始された。この戦争の烈しさに比べると、今まで観せられた御前試合などはまるで児戯に近いもので、何しろ地獄の住民というのは生前ただ戦闘ばかりを渡世にしていた連中なのでありますから、従ってそのやりっぷりが猛烈である。が、外面的には地獄の戦争も地上の戦争も余りかけ離れたものでもない。地獄の武器や軍装が目茶目茶に不統一であるのがちょっと目立つ位のもので・・・。
兎に角ダントンは中々の曲者で余程巧妙な戦法を講じた。古代の甲冑に身を固めた味方の騎士隊の突撃に対して、彼が密集部隊を編成し、その大部分に大鎌を持たせたところなどは敵ながらも上手いものであった。古代の騎士は大砲だの小銃だのの味を知らない。従ってそんな近代式の兵器は彼等に対して殆ど効能がない。早くもそれを看破して鎌という、騎兵にとっての大苦手を持ち出したなどは、返す返すも機敏というべきものであった。
無論敵にも砲兵隊の備えはあったが、しかしそれはフランス革命時代の旧式極まるもので、味方の新鋭の兵器にはとても及ばなかった。もっとも味方が烏合の衆であるのに反して、敵が飽くまで団結力と統制力とに富んでいたのは、ある程度まで兵器の欠陥を補うには余りあった。
詳しくこんなことを述べれば際限もないが、地獄の戦況などは格別の興味もあるまいと思うからただその結果だけを報告するに止めます。味方は敵よりも人数が多く、又大体に於いて獰猛でもあった。ですから長い間の戦闘-殆ど幾年にも亙るべく見えた悪戦苦闘の後で、吾輩はとうとう敵の左翼を駆逐することに成功し、やがてその全軍をば山と山との中間の低地に追い詰めて三方から挟撃する事になった。敵は全然壊滅状態に陥り、莫大な人数が捕虜になった-吾輩が早速右の捕虜を馬に変形させて、部下の馬になった者と更迭させたなどは、全然地上の戦争に於いては見られない奇観でした。
それから味方はダントンの領土内に侵入して略奪のあらん限りを尽くした-うっかり言い落としましたが、ダントンの軍隊の少なからざる部分は婦人であって、そいつ達は男子よりも寧ろ味方を悩ました。従ってそいつ達が勝ち誇った我が軍の捕虜になった時に、いかに酷い目に遭わされたか-こいつは言わぬが花でありましょう。その外敵地の一般住民に対する大虐待、大陵辱-そんなことも諸君の想像にお任せすると致しましょう。
ただここに不思議なことは、地上に於いて略奪を逞(たくま)しうすることが、一種の快感と満足とを伴うのに反し、地獄に於いては全然それが伴わないことです。地獄の略奪はただの真似事・・・。言わば略奪の影法師であります。いくら奪い取ってもその物品は何の役にも立たないものばかり、例えば奪った酒を飲んでみても、さっぱり幽霊の腸(はらわた)には浸みません。夢で御馳走を食べるよりも一層詰まらない。夢ならまだいくらか肉体との交渉があるが、地獄の住民にはまるきり肉体との縁もゆかりもないのです。
地獄で現実に感ずるのはただ苦痛だけ、快楽はまるでない。これが地獄の鉄則なのだから致し方がありません。
無論戦勝後吾輩は直ちに王位に就くことは就いた-が、驚いたことにはダントンの以前の部下は大部分何処かへ消えてしまった。何故消えたのか、その当座は頓と訳が判らなかったが、後で段々調べてみると、ダントンの没落が彼等をして一種の無情を感ぜしめ、こんな下らぬ生活よりはもう少し意義ある生活を送りたいとの念願を起こすに至った結果、向上の道が自然に開かれたのでした。詰まり神はかかる罪悪の闇の中にも善の芽生えを育まれたのであります。
この辺で私の物語は暫く一段落つけることにしましょう。丁度ワード氏が地上へ戻るべき時間も迫ったようですから・・・。
間もなく戦争は真剣に開始された。この戦争の烈しさに比べると、今まで観せられた御前試合などはまるで児戯に近いもので、何しろ地獄の住民というのは生前ただ戦闘ばかりを渡世にしていた連中なのでありますから、従ってそのやりっぷりが猛烈である。が、外面的には地獄の戦争も地上の戦争も余りかけ離れたものでもない。地獄の武器や軍装が目茶目茶に不統一であるのがちょっと目立つ位のもので・・・。
兎に角ダントンは中々の曲者で余程巧妙な戦法を講じた。古代の甲冑に身を固めた味方の騎士隊の突撃に対して、彼が密集部隊を編成し、その大部分に大鎌を持たせたところなどは敵ながらも上手いものであった。古代の騎士は大砲だの小銃だのの味を知らない。従ってそんな近代式の兵器は彼等に対して殆ど効能がない。早くもそれを看破して鎌という、騎兵にとっての大苦手を持ち出したなどは、返す返すも機敏というべきものであった。
無論敵にも砲兵隊の備えはあったが、しかしそれはフランス革命時代の旧式極まるもので、味方の新鋭の兵器にはとても及ばなかった。もっとも味方が烏合の衆であるのに反して、敵が飽くまで団結力と統制力とに富んでいたのは、ある程度まで兵器の欠陥を補うには余りあった。
詳しくこんなことを述べれば際限もないが、地獄の戦況などは格別の興味もあるまいと思うからただその結果だけを報告するに止めます。味方は敵よりも人数が多く、又大体に於いて獰猛でもあった。ですから長い間の戦闘-殆ど幾年にも亙るべく見えた悪戦苦闘の後で、吾輩はとうとう敵の左翼を駆逐することに成功し、やがてその全軍をば山と山との中間の低地に追い詰めて三方から挟撃する事になった。敵は全然壊滅状態に陥り、莫大な人数が捕虜になった-吾輩が早速右の捕虜を馬に変形させて、部下の馬になった者と更迭させたなどは、全然地上の戦争に於いては見られない奇観でした。
それから味方はダントンの領土内に侵入して略奪のあらん限りを尽くした-うっかり言い落としましたが、ダントンの軍隊の少なからざる部分は婦人であって、そいつ達は男子よりも寧ろ味方を悩ました。従ってそいつ達が勝ち誇った我が軍の捕虜になった時に、いかに酷い目に遭わされたか-こいつは言わぬが花でありましょう。その外敵地の一般住民に対する大虐待、大陵辱-そんなことも諸君の想像にお任せすると致しましょう。
ただここに不思議なことは、地上に於いて略奪を逞(たくま)しうすることが、一種の快感と満足とを伴うのに反し、地獄に於いては全然それが伴わないことです。地獄の略奪はただの真似事・・・。言わば略奪の影法師であります。いくら奪い取ってもその物品は何の役にも立たないものばかり、例えば奪った酒を飲んでみても、さっぱり幽霊の腸(はらわた)には浸みません。夢で御馳走を食べるよりも一層詰まらない。夢ならまだいくらか肉体との交渉があるが、地獄の住民にはまるきり肉体との縁もゆかりもないのです。
地獄で現実に感ずるのはただ苦痛だけ、快楽はまるでない。これが地獄の鉄則なのだから致し方がありません。
無論戦勝後吾輩は直ちに王位に就くことは就いた-が、驚いたことにはダントンの以前の部下は大部分何処かへ消えてしまった。何故消えたのか、その当座は頓と訳が判らなかったが、後で段々調べてみると、ダントンの没落が彼等をして一種の無情を感ぜしめ、こんな下らぬ生活よりはもう少し意義ある生活を送りたいとの念願を起こすに至った結果、向上の道が自然に開かれたのでした。詰まり神はかかる罪悪の闇の中にも善の芽生えを育まれたのであります。
この辺で私の物語は暫く一段落つけることにしましょう。丁度ワード氏が地上へ戻るべき時間も迫ったようですから・・・。