自殺ダメ
叔父さんがワード氏を書斎に迎えて二言三言挨拶をしている中に、もう陸軍士官が入って来て早速その閲歴談を始めました。これから彼の地獄生活に更に一大転換が起こりかける極めて肝要の箇所であります-
さて前回は吾輩が新領土を手に入れて王位に就いたところまでお話しましたが、実際やってみると王侯たるも又難いかなで、ただの一瞬間も気を緩めることが出来ない。間断なく警戒し、間断なく緊張していないと謀反がいつ何処から勃発せぬとも限らないのです。
早い話が地獄の王様は歯を剥いている一群の猟犬に追い詰められた獲物のようなもので、ちょっとでも隙間があれば忽ち跳びかかられる。我輩はあらん限りの残忍な手段を講じて、謀反人を脅かそうと努めたが、何を試みても相手を殺すことが出来ないのであるからいかんとも仕方がない。刑罰を厳重にすればする程ますます彼等の憎しみと怨みとを増大せしむるに過ぎない。
そうする中に皇帝から使者があって、吾輩の戦勝を祝すると同時に凱旋式への出席を請求して来た。これを拒絶すれば先方を怖れることになる。これに応ずればその不在に乗じて反逆者が決起する。何れにしても余り面白くはないが、兎も角も吾輩は後者の危険を冒して皇帝の招待に応じて度胸を見せてやることに決心した。
さて部下の精鋭に護られつつ、威勢よく先方に乗り込んでみると、先方もさるもの、極度に仰々しい準備を施して吾輩を歓迎した-少なくとも歓迎するらしい振りをした。儀式というのは無論例によりて例の通り、単に空疎なる真似事に過ぎない。楽隊はさっぱり調子の合わぬ騒音を奏する。街区を飾る旗や幟(のぼり)は汚れ切って且つビリビリに裂けている。吾輩の通路に撒かれた花は萎み切って悪臭が鼻を撲(う)つ。行列の先頭を飾る少女達までが、よくよく注意して観ると、その面上には残忍と邪淫との皺が深く深く刻まれていて嘔吐を催させる。
皇帝自身出迎えの行列と出会った上で、我々は連れ立って武術の大試合に臨んだ。それが終わると今度は宮城に行って、大饗宴の席に列したが、例によって空っぽの見掛け倒し、何もかも一切嘘で固めて、本当の事と云えばただ邪悪分子があるのみである。
「時に」と皇帝はおもむろに吾輩をかえり見て言った。
「王位を占むる苦労も中々大抵ではござるまいがナ・・・」
吾輩はからからと高く笑った。
「全くでございますが、しかし陛下のお膝元に居るよりは気が休まります」
「そうかも知れん-が、間断なく警戒のし続けでは、中々大儀なことであろう。その点に於いては余とても同様じゃ。で、その気晴らしの為に余は時々地上に出かけてまいることにしておる。ここで目まぐるしい生活を送った後で地上へ出張するのは中々いい保養になる・・・・」
これを聞いて吾輩の好奇心はむらむらと動き出した。
「地上へ出張と仰られますが、どうしてそんなことが出来るのでございます。一旦幽体を失った以上それは難しいかと存じますが・・・」
「まだ若い若い・・・」と彼は叫んだ。「モちと勉強せんといかんナ!-しかし御身が現在までこれしきの事を知らずにいたとは寧ろ意外じゃよ・・・・」
彼は暫く吾輩の顔を意味ありげに見つめたが、やがて言葉を続けた-
「どんな地獄の霊魂でも、若しも地上の人間と連絡を取ることさえ工夫すれば暫時の間位は仮の幽体を造るのはいと容易いことなのじゃ。上手く行けば物質的の肉体でも造れぬことはない。人間界でこちらと取引を結んでいるのは男ならば魔法使い、女ならば先ず巫女と云った連中じゃが、無論彼等に憑るのは大抵は妖精の類で、本当の地獄の悪魔が憑るようなことは滅多にない-もっとも我々が魔術者と取引関係をつけるには余程警戒はせねばならぬ。魔術者などという者は皆意思の強い奴ばかりで、うっかりするとソイツの為に絶対服従を命ぜられる」
「どうして彼等にそんな威力があるのでございます?」
「我々が部下に号令をかけるのと別に変わることはない。つまりただ意思の力によるのじゃ。で、下らぬ弱虫の霊魂は訳なく魔術者の奴隷にされる-もっとも我々のように鉄石の意思を有している者は、アベコベにその魔術者を支配して自己の奴隷にしてしまうことも出来んではない。そうなると実にしめたものじゃ・・・・」
そう言って彼はツと身を起こし、
「それはそうとこれから一緒に芝居でも見物することにしようではないか?」
それっきり皇帝は魔術の件に関してはただの一言も触れなかった。しかし彼がそれまでに述べただけで吾輩の胸に強烈なる印象を与えるには充分であった。
「不思議なことが出来るものだナ!自分も一つやってみようかしら・・・」
吾輩はこんな考えに捕えられるようになってしまった。
当時吾輩が何故この仕事の裏面に潜める危険に気が付かなかったのかは自分にも時々不思議に感ぜられることがある。皇帝がこの問題を提出したのは我輩を危地に陥れようという魂胆に相違ないのであるが、その胸底の秘密を吾輩に悟らせなかったのは矢張り先方が役者が一枚上なのかも知れない。
勿論当時の吾輩とて皇帝に好意があろうとは少しも考えてはしなかった。
「こいつァ人を地上に追い払っておいて、その不在中に謀反人の出るのを待つ計略だナ」
そこまでのことは察した。しかし吾輩は強いてそれを問題にしなかった。
「謀反人が出たら出たでいい。戻って来て叩き潰すまでのことだ・・・」
そう考えた-ところが、皇帝の方では確かにモ一つその奥まで考えていた-吾輩が地上へ降って悪事を行なえば、その罪の為にもう一段地獄の奥へ押し込められ、刃に血塗らずして楽に厄介払いが出来る・・・・。
さすがの吾輩もそこまで洞察する智恵がなく、保養もしたいし、地上も懐かしいし、新しい経験も積みたいしと云った風で、とうとう地上訪問の覚悟を決めてしまった。
間もなく吾輩は自分の領地に戻ったが、果たして予期した通り、国内は内乱の進行中で、一部の謀反者がダントンを牢から引き出して王位に担ぎ上げていた。吾輩がさっさとそんな者を片付けて、一味徒党を再び監獄にぶち込んでしまったことは云うまでもない。吾輩の地上訪問はそれからの話である。
叔父さんがワード氏を書斎に迎えて二言三言挨拶をしている中に、もう陸軍士官が入って来て早速その閲歴談を始めました。これから彼の地獄生活に更に一大転換が起こりかける極めて肝要の箇所であります-
さて前回は吾輩が新領土を手に入れて王位に就いたところまでお話しましたが、実際やってみると王侯たるも又難いかなで、ただの一瞬間も気を緩めることが出来ない。間断なく警戒し、間断なく緊張していないと謀反がいつ何処から勃発せぬとも限らないのです。
早い話が地獄の王様は歯を剥いている一群の猟犬に追い詰められた獲物のようなもので、ちょっとでも隙間があれば忽ち跳びかかられる。我輩はあらん限りの残忍な手段を講じて、謀反人を脅かそうと努めたが、何を試みても相手を殺すことが出来ないのであるからいかんとも仕方がない。刑罰を厳重にすればする程ますます彼等の憎しみと怨みとを増大せしむるに過ぎない。
そうする中に皇帝から使者があって、吾輩の戦勝を祝すると同時に凱旋式への出席を請求して来た。これを拒絶すれば先方を怖れることになる。これに応ずればその不在に乗じて反逆者が決起する。何れにしても余り面白くはないが、兎も角も吾輩は後者の危険を冒して皇帝の招待に応じて度胸を見せてやることに決心した。
さて部下の精鋭に護られつつ、威勢よく先方に乗り込んでみると、先方もさるもの、極度に仰々しい準備を施して吾輩を歓迎した-少なくとも歓迎するらしい振りをした。儀式というのは無論例によりて例の通り、単に空疎なる真似事に過ぎない。楽隊はさっぱり調子の合わぬ騒音を奏する。街区を飾る旗や幟(のぼり)は汚れ切って且つビリビリに裂けている。吾輩の通路に撒かれた花は萎み切って悪臭が鼻を撲(う)つ。行列の先頭を飾る少女達までが、よくよく注意して観ると、その面上には残忍と邪淫との皺が深く深く刻まれていて嘔吐を催させる。
皇帝自身出迎えの行列と出会った上で、我々は連れ立って武術の大試合に臨んだ。それが終わると今度は宮城に行って、大饗宴の席に列したが、例によって空っぽの見掛け倒し、何もかも一切嘘で固めて、本当の事と云えばただ邪悪分子があるのみである。
「時に」と皇帝はおもむろに吾輩をかえり見て言った。
「王位を占むる苦労も中々大抵ではござるまいがナ・・・」
吾輩はからからと高く笑った。
「全くでございますが、しかし陛下のお膝元に居るよりは気が休まります」
「そうかも知れん-が、間断なく警戒のし続けでは、中々大儀なことであろう。その点に於いては余とても同様じゃ。で、その気晴らしの為に余は時々地上に出かけてまいることにしておる。ここで目まぐるしい生活を送った後で地上へ出張するのは中々いい保養になる・・・・」
これを聞いて吾輩の好奇心はむらむらと動き出した。
「地上へ出張と仰られますが、どうしてそんなことが出来るのでございます。一旦幽体を失った以上それは難しいかと存じますが・・・」
「まだ若い若い・・・」と彼は叫んだ。「モちと勉強せんといかんナ!-しかし御身が現在までこれしきの事を知らずにいたとは寧ろ意外じゃよ・・・・」
彼は暫く吾輩の顔を意味ありげに見つめたが、やがて言葉を続けた-
「どんな地獄の霊魂でも、若しも地上の人間と連絡を取ることさえ工夫すれば暫時の間位は仮の幽体を造るのはいと容易いことなのじゃ。上手く行けば物質的の肉体でも造れぬことはない。人間界でこちらと取引を結んでいるのは男ならば魔法使い、女ならば先ず巫女と云った連中じゃが、無論彼等に憑るのは大抵は妖精の類で、本当の地獄の悪魔が憑るようなことは滅多にない-もっとも我々が魔術者と取引関係をつけるには余程警戒はせねばならぬ。魔術者などという者は皆意思の強い奴ばかりで、うっかりするとソイツの為に絶対服従を命ぜられる」
「どうして彼等にそんな威力があるのでございます?」
「我々が部下に号令をかけるのと別に変わることはない。つまりただ意思の力によるのじゃ。で、下らぬ弱虫の霊魂は訳なく魔術者の奴隷にされる-もっとも我々のように鉄石の意思を有している者は、アベコベにその魔術者を支配して自己の奴隷にしてしまうことも出来んではない。そうなると実にしめたものじゃ・・・・」
そう言って彼はツと身を起こし、
「それはそうとこれから一緒に芝居でも見物することにしようではないか?」
それっきり皇帝は魔術の件に関してはただの一言も触れなかった。しかし彼がそれまでに述べただけで吾輩の胸に強烈なる印象を与えるには充分であった。
「不思議なことが出来るものだナ!自分も一つやってみようかしら・・・」
吾輩はこんな考えに捕えられるようになってしまった。
当時吾輩が何故この仕事の裏面に潜める危険に気が付かなかったのかは自分にも時々不思議に感ぜられることがある。皇帝がこの問題を提出したのは我輩を危地に陥れようという魂胆に相違ないのであるが、その胸底の秘密を吾輩に悟らせなかったのは矢張り先方が役者が一枚上なのかも知れない。
勿論当時の吾輩とて皇帝に好意があろうとは少しも考えてはしなかった。
「こいつァ人を地上に追い払っておいて、その不在中に謀反人の出るのを待つ計略だナ」
そこまでのことは察した。しかし吾輩は強いてそれを問題にしなかった。
「謀反人が出たら出たでいい。戻って来て叩き潰すまでのことだ・・・」
そう考えた-ところが、皇帝の方では確かにモ一つその奥まで考えていた-吾輩が地上へ降って悪事を行なえば、その罪の為にもう一段地獄の奥へ押し込められ、刃に血塗らずして楽に厄介払いが出来る・・・・。
さすがの吾輩もそこまで洞察する智恵がなく、保養もしたいし、地上も懐かしいし、新しい経験も積みたいしと云った風で、とうとう地上訪問の覚悟を決めてしまった。
間もなく吾輩は自分の領地に戻ったが、果たして予期した通り、国内は内乱の進行中で、一部の謀反者がダントンを牢から引き出して王位に担ぎ上げていた。吾輩がさっさとそんな者を片付けて、一味徒党を再び監獄にぶち込んでしまったことは云うまでもない。吾輩の地上訪問はそれからの話である。