自殺ダメ



 で、他の霊魂共が、永遠に終わることなき追撃を受けつつある間に、吾輩のみただ一人後に残ることを赦されたのである。
 吾輩の道案内に選び出された鬼というのは吾輩などよりずっと身長が高く、闇の中から生まれたらしいドス黒い体を有していた。が、そいつはものの二分と決して同一格好をしていない。のべつ幕なしに顔も変われば姿も変わる。初めは何やらフワフワした黒い衣服を着ていたように見えたが、見る見る内に素っ裸になった。その中又も一変して山羊みたいなものになった。オヤオヤと驚いている中に更に大蛇の姿に化けた。
 その次の瞬間に彼は又もや人間の姿に立ち返ったが、実は人間というのは大負けに負けた相場で、いかに人相のよくない人間でもコイツのように醜く、憎々しい、呆れ返った容貌の者は広い世界にただの一人も居はいません。眼と云ったら長方形で、蛇の眼のように底光りがしている。鼻と来たら鷲の嘴(くちばし)のように鈎(かぎ)状を呈している。大きな口に生えた歯は何れも皆尖って象の牙のように突き出している。悪意と邪淫とが顔の隅から隅まで漲り渡り、指端はまるで爪みたいに骨っぽい。総身からは闇の雫がジメジメ浸み出るように見える。そうする中に彼の姿が又もや変わって今度は真紅な一本の火柱になったが、ただ不思議なことにはそれから少しも光線というものを放射しない。
 右の火柱の中から「俺の後を付いて来い!」という声が聞こえた。そこで吾輩と動く火柱とが連れ立って進んで行った。間もなく闇の中から調子外れの賛美歌のようなものが聞こえ出した。段々近付いてみると、其処には山らしいものがあって、その山腹の穴の中に沢山の幽霊がウヨウヨしていた。吾輩の案内者はここで再び半分人間臭い姿を取って一緒に穴の中へ入り込んだ。
 鐃(にょうばち=にょうはつ、法会に用いる2種の打楽器)やらラッパやらが穴の中でガチャガチャ鳴ると、それに混じりてもの凄い叫喚声やら調子外れの賛美歌やらが聞こえる。間もなく我々の前面には大きな玉座が現れ、その直ぐ傍では、猛火の凝塊と思わるる大釜が物凄い音を立てて炎々と燃えている。玉座の上に座っているのは気味の悪い面相の大怪物で、件の釜の中に投げ込まるる男女の子供達が、熱がってヒイヒイ悲鳴を挙げるのをさも満足げに見守っている。言う迄もなく地獄の猛火は尋常の火とは訳が違うが、しかしそれに炙られる感じは地上の火で炙られるのと何も変わりはない。
 「どいつも皆子供の姿をしているが、実際子供なのかしら・・・・」
 と吾輩が不審の眉をひそめた。
 「そんなことがあるものか!」と案内の鬼が答えた。「あいつ等は全部皆成人なのだが、無理矢理に子供の姿に縮小されて悪魔の犠牲にされるのだ。本物の鬼というものはしょっちゅう管内を捜し歩いて、捕まえた奴は全部釜の中に放り込むのだ。本当の子供はただの一人もこんな境涯へ来ていはしない-さァ其処へ鬼が沢山やって来た!」
 そう言っている中に猛烈な叫び声が付近に起こった。すると果たして一群の鬼共が穴の内部に突入して来て、吾輩をはじめ、そこいらに居た全部の者を悉(ことごと)く大釜の中に叩き込んだ。
 実際それが燃ゆる火なのか、それとも鬼の念力で火のように熱いのかはよく判らないが、兎に角その時の苦痛と云ったらお話になりはしない。
 漸(ようや)くのことで鬼共が何処かへ消え失せたので、我々は釜の中から這い出した。それから他の連中は最初の通り御祈祷を始めたが、吾輩はそんな事は御免を被って案内者の方に近付いた。
 彼は尖った歯を剥き出して笑った-
 「どうだ、中々この刑罰も楽ではなかろう。余程奮発して沢山の眷族を引き連れて来ないとまだまだこんなお手柔らかなことでは済まないぞ!」
 「連れて来るよ来るよ!」とさすがの吾輩もいくらか慌てて「吾輩いくらでも連れては来るが、しかしどうしてそう沢山の眷族を欲しがるのだ?幾ら連れて来たところでただそれを虐めるだけの話じゃないか?」
 「当たり前だ。俺達には人間が憎いのだ!とても汝達には想像が出来ないほど憎いのだ!汝達も他人を憎むことを知っているつもりだろうが、そりゃホンの真似事だ。俺達の本業は人を憎むことだ。俺達は心から人間が嫌いだ!」
 そう叫んだ時に彼の全身は忽ち炎々たる火の凝塊になってしまった。彼が再び人間の姿に戻ったのはそれから暫く過ぎてからのことだった。
 「さァこれからいよいよ汝の仕事だ!」
 彼はそう吾輩を促し立てて大急ぎで前進した。何やら山坂でも登るような感じであったが、果たして坂があったのかどうかは勿論判りっこはない。
 突然彼は吾輩を捕まえて虚空遙かに跳び上がったように感ぜられたが、ふと気がついて見ると、其処はかつて吾輩が住んでいた上の境涯なのであった。
 案内者はここで吾輩に向かって厳命を下した。
 「コラ汝は何時までもここに居続けることは相成らんぞ。汝の体はもうすっかり汚れ切って重量が殖えているからここに居たところで決して良い気持はしない。こんな所で行方を晦(くら)まそうなどとはせぬことだ。そんなことをすれば、直ぐにひッ捕まえて極度の刑罰に処してくれる。俺にもここは居心地がよくないから下の境涯へ戻っているが、しかし汝がここで何を考え、何を働いているか位のことはチャーンと判っているから気を付けるがいいぜ・・・」
 それっきり案内役の鬼はプイと姿を消してしまった。吾輩はホッと一息つくはついたが、しかし執行猶予の期間は幾らもなかりそうなので、早速仕事に着手することにした。
 段々調べてみると、この付近は所謂吝嗇(りんしょく=ケチ)国というものらしく、他所から自分の所有する黄金を奪いに来はせぬかと、ただそればかり心配している。そのくせ地獄に本物の黄金のあろう筈がない。よしあったにしたところで、地獄で黄金は何の役にも立ちはせぬ。それにもかかわらず生前から持ち越しの欲気と怖気とに悩まされ続けている。
 吾輩は彼等の癖を上手く利用して自己の目的を達すべき妙計を考えた。ある奴には、悪魔を拝めばいくらでも黄金を貰えると言い聞かせた。又ある奴には、悪魔に縋(すが)れば決して所有の黄金を他人に奪われる心配はないと説明した。兎に角大車輪の活動のお陰で、吾輩はかなり優勢の眷族を糾合することに成功した。吾輩は早速そいつ達を唆(そそのか)して悪魔供養祭の執行に着手した。
 最初はいくら祈願をこらしても悪魔の方で受け付けてくれる模様が見えなかったが、暫くして感応があり出した。何やら強い無形の力でグイグイ引っ張られるような感じ・・・。他の連中にはそれが何のことやらさっぱり訳が判らなかったが、吾輩は忽ち、いよいよ来たナと感づいた。この引着力は、相互の間に一の精神的連鎖が成立しつつあることの確かな証拠で、それは引力の法則と同様に次第次第に勢いを加えて行った。最後に自分達の立っている地面が足の下からズルズルズルズル下方に向かって急転直下、奈落の奥深く沈んで行った・・・・。