自殺ダメ



 「私にはあなた様が真の天使であらせらるることがよく判ります」と吾輩は言いかけた。「ついてはここから連れ出して頂けますまいか?もうもうウンザリです、こんな境涯は・・・・」
 「真心からそう思うなら救ってあげぬではないが・・・」
 「勿論真心からでございます!」
 「それならあなたはここに跪いて神様に祈祷なさるがよかろう。祈祷の文句を忘れているといけないから私が一緒についてあげる・・・」
 吾輩は辺りを見回すと、広場にはいつしか又沢山の人だかりなのでちょっときまりが悪かった。が、又思い返して言われるままに地に跪き、天使の後について祈祷を捧げた。
 それが済むと天使は叫んだ-
 「それでよい。さぁ一緒に出かけましょう。今後他から何と誘惑されても決してそれに惑わされてはいけませんぞ」
 我々は急いで市を通過したが、途中で多少の妨害に遭わぬではなかった。我々が街端に来た時である、二人の男が矢庭に前面に立ち塞がって叫んだ-
 「これこれ汝達は一体何処へ逃げ出すつもりだ?」
 「そなた方の知ったことではない」と天使は凛々たる声で、
 「そなたはそなた、こちらはこちら・・・」
 「ところがそうは行かない」と先方が叫んだ。「それを調べるのが俺達の仕事だ。汝みたいな性質の良くない代物がちょいちょい俺達の仲間を誘拐して困るのだ。汝達の囈言(れご=うわごと)然たる説教にはもうウンザリした。余計な世話は焼かないで、その男を俺達の手に渡してしまえ。そうしないと後悔することが出来るぞ」
 吾輩の保護者は片手を高く頭上に差し上げて厳然として叫んだ-
 「邪魔すな!汝呪われたる亡者ども!」
 すると二人は精一杯の大声で叫び出した-
 「間諜(かんちょう=スパイ)だ-!みんなここへ集まって来い!」
 瞬く間に群衆が八方から馳せ集まって威嚇的の態度を執り出した。
 が、私の保護者はきっと身構えて、片手を差し上げながら精神を込めて言い放った-
 「邪魔すな!最高の神の御名に於いて去れ!」
 そして何の恐れる気色もなくヅカヅカ前進されるので吾輩もその後に続いた。群衆はなだれを打って後ずさった。口だけには強がり文句を並べているが、手出しをする者は一人もいない。強烈なる意思の前には反抗する力は失せてしまうものらしい。
 が、いよいよ大丈夫といささか気を緩めた瞬間に、一人の女が群衆の中からいきなり飛び出して来て、吾輩の首玉にしがみついた。見ればそいつは生前吾輩が堕落させた女で、飽くまで吾輩を自分のものにする気らしいのである。さすがの吾輩もこれには大いにへこたれていると、天使が近付いて女の両腕を摑まえて首からもぎ離してくれたので、女は悲鳴を挙げて群衆の裡(うち)へと逃げ込んだ。
 入れ代わって今度は最初の二人が吾輩の喉笛へ飛びついて来た。今度は吾輩も大いに勇気を鼓舞してそいつ達を地面に投げつけたが、起き上がって又飛びつく。持てあましているところへ、又も天使の助け船・・・。天使の方では先方の腕に軽くちょっと指で触れるだけであるが、触れられた箇所がたちまち火傷みたいに腫れ上がるのだから堪らない。キーキー叫んで逃げてしまう。
 それっきり乱民共は遠く逃げ去って近寄らなくなったので、我々は無事にその場を通過した。間もなく差し掛かったのはだだっ広い田舎道・・・。もっとも田舎道と云ったところで、木もなければ草もなく、花もなければ鳥もいないガラン堂の小砂利原、ただ家がないのが田舎くさいというだけで、田舎らしい気分は少しもなき殺風景極まる地方なのである。暫く其処を辿って行くと、遙かの彼方に星の光のようなものが微かに見え出した。
 吾輩がびっくりして訊ねた-
 「ありゃどなたか他の天使なのでございますか?」
 「そうではない」と天使が答えた。「あれは救済の為に地獄に往来する天使達の休憩所から漏れる光で、我々は今彼処(かしこ)を指して行くのじゃ。暫く彼処で休憩して力をつけておけば、地獄の残る部分が楽に通過されるであろう。彼処が下の境涯と上の境涯との境目なのじゃ」