自殺ダメ


 次第次第に右の光は強さを加え、自分達の足元がほのぼのと明るくなって来た。辿り行く道は甚だ狭いが、大変によく人の足で踏みならされていた。
 「誰がこんなにこの道を踏みつけたのです?」
 と吾輩が訊いた。
 「これは地獄に堕ちている霊魂達を救い出すべく、あちこち往来する天使達が踏みつけたのじゃ。実は地上の暦で数え尽くせぬ永い歳月、天使達は救済の為にここまで降りて来ている。キリストの地上に現れるずっと以前から引き続いての骨折りじゃがな・・・・」
 「そうしますと死後の世界は耶蘇(やそ)期限の開ける前からこんな組織になっていたのでございますか?」
 「そうじゃとも。が、その時分には地獄に堕ちる霊魂の数が現在よりも遙かに多数であった。大体に於いて人間が死ぬる時に無智であればあるほど、その人の精神的方面が発達していない。精神的方面が発達していなければいない程その人の幽界生活は永引き、そして兎角地獄に堕ち易い傾きがある。しかし人類発達の歴史に於いて、智的方面の進歩が、ともすれば精神的方面の進歩を阻害するような場合も起らんではない。そんな際には早晩文化の頽廃(たいはい)を来たす虞がある。
 例えばギリシャ、ローマの文明がそれじゃった。あの時代には理性が勝ち過ぎて精神方面の発達がそれに伴わなかった。故にその頃の地獄には神を信ぜず、来世を信ぜざる人間の霊魂が充満していた。その古代文明が没落すると共に、一時文運の進歩は遅れたる観があった。が、しかし西欧の人士はその間に於いて却って精神方面の発達を遂げることが出来た。事によると同様の災厄がもう一度人類を襲うべき必要に迫られているかも知れぬと思う-が、神は飽くまでも慈悲の眼を垂れ玉い、又我々とても霊界から新たなる心霊の光を人心の奥に植えつけるべく努め、あんな災厄の再び降らぬように力を尽くしている。
 人類の初期、所謂原始時代にありては、殆ど一切の死者の霊魂の落ち着く先は幽界と地獄とに限っていたものである。それは精神的に発達した者が少なかった為である」
 「それは少々不公平ではないでしょうか?」と吾輩が言葉を挟んだ。「無智な者が無智であるのは当然ではないでしょうか?」
 「イヤ決して不公平ではない。それはただ大自然の法則の発露に過ぎない。一生の間ただ戦闘その他の残忍な仕事に従事していた者は、死後に於いても長い期間に亙りて同様の行動を執るに決まっている。死んで余程の歳月を経過せねば中々翻然として昨非を悟るというところまで進み得るものではない。
 死後の霊魂に取りて最大の誘惑は憑依作用である。よくこの誘惑に堪え得た者は、恐らく幽界生活中に次第に心霊の発達を遂げ、やがて霊界に向かって向上の進路を辿るであろう。ところが原始民族というものは兎角死後人体に憑依したがる傾向が甚だ強い。その当然の結果として地獄に堕ちる」
 「そういたしますと、人間は生前の行為によりて裁かれるのですか?それとも又死後の行動によりて行先地を決められるのですか?」
 「それは一概にも行かぬであろう。老齢に達してから死ぬ者はその幽体が消耗しているので幽界生活を送るべき余裕がない。従って生前の罪によりて地獄の何処かへ送られる。青年時代若しくは中年時代に死ぬる者は、これに反してその幽体がまだ消耗せずにいるのみならず、同時にその性格も充分発達し切っておらぬ。地上に出現して憑依現象を起すのは多くはこの種の霊魂で、つまりそうすることによりて生前し足りなかった自分の欲望を満足しようとするのである。憑依現象中でこの種のものが一番性質が良くない」
 「イヤお蔭様でよく判りました」と吾輩が叫んだ。「私などは酒と色と、それから復讐心との為に、生きている人間の体によく憑依したものですが、最後のヤツが一番罪が深く、そのお蔭で私は地獄のドン底まで堕とされてしまいました・・・・」
 「全くその通りじゃ-一体ある人間の生活状態と、死後その者の犯し易い罪悪との間には中々密接な関係が或る。淫欲の盛んな者が死後に於いて人間に憑依するのは、主にその淫欲の満足を求むる為で、従ってそんな人物は最後に地獄の邪淫境に送られる-おおいつの間にやらもう休憩所へ着いている・・・・」
 そう言われて見ると、成る程我々の直ぐ面前には質素な、しかし頑丈な一つの建物があった。入り口の扉は極めて狭く、窓はただの一つも付いていない。ただ扉の上にちっぽけな口が開いていて、遠方から我々を導いてくれた光明はつまりそこから放射されていたのであった。
 天使がコツコツ扉を叩いて案内を求めると同時に内部から扉が開いて、それからパッと迸(ほとばし)り出づる光の洪水!天使は吾輩の手を執って引っ張り込んでくれたらしかったが、吾輩は眼がすっかり眩んでしまっているので何が何やら周囲の状況が少しも判らなかった。ただ背後で扉の閉まる音がドシンと響いただけであった。