自殺ダメ



 もうこんなものの見物にはウンザリしたので吾輩は守護神の所に立ち返り、それに導かれて市街の中央部をさして出掛けた。すると、其処には煉瓦造りのゴシックまがいの碌でもない寺院があったので試みにこれに入ってみた。
 丁度内部では祈祷が始まっている最中で、でっぷり太った一人の僧がねばねばした偽善者声を出して何か喋っているので先ず吾輩の癇癪に触った。お祈りの文句などはただベラベラと器械的の述べるのみで、熱は少しもない。全てがただ形式一遍、喋る方も聴く方もお互いにお茶を濁しているに過ぎない。
 彼の説教の内で耳にとまった文句の二、三を少し紹介するとこうだ-
 「親愛なる兄弟姉妹諸氏、あなた方は私を助けてこの大都市の裡(うち)に何ら悪徳の影も潜まぬように力を尽くして頂かねばなりません。若し裏面に於いて何らかの不倫の行為に耽っている者があらば、その真相を徹底的に暴き出すことが必要であります。たとえそれがあなた方の親友であり、又親族でありましても容赦なく弾劾することがあなた方の責務であります。若しあなた方がこの大事業に一臂(ぴ)の力を添えられようと思し召さるるなら何時でも私の所にお出でになり、疑わしいと思われるところを御遠慮なく私に密告して頂きます。悪事の跋扈横行ほど恐ろしいものはないのですから、常にそれを双葉の中に刈り取ることの工夫が肝要であります。私は常にあなた方の味方であります。悪徳駆除の為には如何なる手段も選びません。
 ここに一例を申し上げておきます。あなた方の御友人の某夫人が近頃寺院に参拝しない。どうもその方がある紳士と姦通の疑いがある-そんな場合にはあなた方はその方に同情するフリをするのです。そうして成るべくその人をおびき出して自白させるのです。同時に彼女の夫には密かに警告を与え、なかんすぐ私まで一切の事情を報告して頂くのです」
 こんな調子で暫く論じ立て、最後にこう結論した-
 「兎にも角にも罪悪の証拠充分なりと見ればそんな社会の公敵に対して何らの慈悲恩恵を施すべきでありません。一時も早くかの城壁の塔より永久返ることのない大奈落に突き落とすべきであります-つきましては明日皆様と一堂に会して大宴会を催し、その際寺院改良に宛つべき資金の調達を試みたいと存じます。何とぞ公共の為に皆様の御出席を希望いたします」
 飛んだ説教もあったものだ。吾輩が寺院を出ようとすると、聴衆は密かにこんなことを語り合っていた-
 「牧師さんはいつもいつも寺院改良の為だと云って資金の募集をやるが、一体あの金子はどうするのでしょうな?」
 「そりゃ無論自分の懐中にねじ込むのでさ。少なくともその大部分を・・・・」
 「私もそう思いますね・・・。しかしあの金子は何に使うのでしょうな?」
 「二重生活をすると金子がかかりますよ-御承知の通りあの人には妻君の外に囲い者がありますからね」
 吾輩はそれだけしか聴かなかった。が、翌日の大宴会というものには是非出席してみようと決心した。で翌日は都合をつけて、少し早目に寺院に出かけて行ってみると、大会堂には牧師が控え、その周囲には彼を崇拝する婦人の一団が早やぎっしり集まっていた。牧師が何か一言喋れば、何れも先を争ってそれに調子を合わせ、そして隙間を見計らって誰かの告げ口をする。中には随分口にするにも耐えないような悪口も混じっていた。
 ようやくのことで、吾輩はある機会を見付けて牧師に話しかけた-
 「牧師さん、私は折り入って一つの簡単な問題についてお訊ねしたいのですが、一体あなたさまはキリスト教を心から御信仰なさいますか?それとも博学な高僧達の多くと同じくそれをただ一篇の神話と御考えになられますか?つまり神、天国、地獄などというものが果たしてあるものかないものか、御腹蔵のないところを伺いとうございます」
 彼は両手を組み合わせ、例のねばねばした口調で答えた-
 「そりゃ信仰という言葉の意味次第であります。牧師というものには大責任がありますから、滅多に心弱き者を躓かせるような事は言われません」
 色々と言を左右に托して逃げを張ったが、吾輩が追窮して止まないので、とうとう彼は本音を吐いた-
 「イヤ個人として言うならば、私はキリストの物語を一つの神話・・・・甚だ美しき一篇の神話と考えます。聖ポールをはじめ、古代のキリスト教徒は恐らく皆そう考えたに相違ありません。キリストの事跡は一大真理を教えたところの一つの象徴であります。丁度エジプト人がオシリス神の死と復活とを説くようなもので、教育のあるエジプト人がオシリス神の実在を信じていたとはどうしても思えない。あれは単なる一つの寓言に過ぎません。不幸にも無智無学の徒はこれ等の寓言を字義通りに信仰し、中世時代に及んで、それが一般の信仰となってしまった。近頃になってから、我々は次第に真理に目覚め、迷信の滓(かす)の中から脱却しつつある-が、勿論我々は大きな声でこれ等の事実を一般人に聞かせることは出来ません。若しもそんなことでもしようものなら恐らく牧師の職を棒にふることになるかも知れません・・・・」
 「そうしますと、若しもキリスト教義の全体が単なる寓言に過ぎないとすれば、教会の必要は何処にございましょうか?」
 「そりゃ大々的に必要があります。本来教育というものは偉大なる道徳的勢力の源泉であるべきで、今後は恐らく一切の迷信的分子から脱却することになりましょう。が、現在ではまだそうするのは早過ぎます。大多数の民衆の為には取るにも足らぬ寓言比喩をも政策上使用せねばなりません」
 「では天国、地獄、神などは実際は存在せぬと御考えですか?」
 「その点に関しては私は明答を避けたい。或る人々にとりては、神の観念を有することが必要である。さもないと道徳的法則を遵守せぬことになりますからな。が、私一個の私見としては、必ずしも神はないものと断定もせぬが、又神を必要かくべからざるものとも考えない。私はこの世界が幾つかの法則で支配され、なかんずく道徳的法則が何より貴いものであるように思います。道徳的法則を破る者は早晩その法則によって懲戒を受けますから、必ずしも万能の創造者が必要とは認められない-いやしかし私はこんな事を一般民衆には公言する訳ではありません・・・」
 「けれども」と吾輩が彼の雄弁を遮って言った。「何も神を万能の専制君主と見なす必要はないでしょう。神は一切を見通すところの賢明なる審判者であって、あなたの所謂法則なるものはつまり神から発するもの、神が整理さるるものではないでしょうか?」
 「それはそうかも知れない。しかし淡白に言うと、天国だの地獄だのというものはあれは皆嘘です。各人の受ける賞罰は、つまり疾病の有無、又は社会の待遇等によりて決まるもので、決して天国だの地獄だのがあって賞罰を与えるのではない。私の地位としては死後の生活がないと公言することを憚(はばか)るが、しかし実はあんなことは到底信じられない」