自殺ダメ



 1914年9月7日の霊夢に、ワード氏は陸軍士官と会ってその物語の続きを聞きました。
 陸軍士官はその際例の調子で次の如くに語ったのであります-

 地獄の第六境の都会をぶらついている内に、吾輩は一の学術協会らしい建物を見つけた。内部を覗いて見ると、其処には何やらしきりに討論が行なわれていた。討論の議題は『死後の生活の有無』というのでした。
 一人の弁士は左の如く論じ立てた-
 「人間が死後なお生存するということにつきては其処に何らの確証がない。成る程或る人々はこう論ずる-我々は一旦死んだ。然るに今尚かく生きているのであるから、死後生命が存続することの証左であると。が、これは論理的でない。我々は今なお生きている。故に我々は初めから死なないのである。我々は皆重い病気に罹った。病気から回復してみると、辺りがこんなどんよりと曇った世界に一変していた-単にそれだけである」
 「それだから」と他の一人が言葉を挟んだ。「我々は死んで地獄に居るに相違ない」
 「もっての外の御議論です」と最初の弁士が叫んだ。「我々は病気以前と同様気持ちよくここに暮らしている。私は地獄の存在などは少しも信じない。よし一歩を譲りて地獄が存在するとしても、此処が地獄であり得ないと云うことには諸君も賛成されるに相違ない。牧師達は我々に告げます。地獄は永久の呵責の場所で、ワシも死する能(あた)はず、火も消えることがないと。然るにそのような模様は微塵も此処にないではないか。成る程下らない心配、下らない仕事が連日引き続くので退屈ではあります。けれどもそれは地上生活に於いても常に見出すところである。我々は所謂天国の悦楽をここに見出し難いと同時に、所謂永久呪われたる者の苦痛も見出し得ない。この点が我々の死んでいないことの最も有力なる証左である。若し死後の生活などと云うものがあるならば、それは地上の生活と全然相違しているべき筈である。此処の生活は我々の若かりし時の生活とは相違しているに相違ないが、肉体を離れた霊魂の生活としては余りに具体的であり、実質的である。諸君、我々は死後生命の存続を証明すべき何ら有力なる確証を持たぬという私の動議に御賛成を願います」
 それに続いてその反対論が出た。が、それは随分つまらない議論で、至極平凡な論理を辿り、自分達は確かに一旦死んでいる。現在の住所が何処であるかは不明だが、多分煉獄であろうなどと述べた。すると清教徒(ピューリタン革命)達はそれに大反対で煉獄などというのはカトリックの寝言だと反駁し、議場は相当に混乱状態に陥った。
 やがて次の弁士が立ち上がって一の名論?を吐いた-
 「私は自分の死んだことをよく死っております。そして現在我々の送りつつある生活をただ一場の夢と考える者であります。人間の頭脳なるものは生命が尽きたと称せられる後に於いても、暫時活動を持続する。しかし最早肉体を完全に統御する力はなく、その期間に於いて一種の夢を見るのである。従ってその状態は永久続くものとは思えない。我々が地上にいる時でも、随分長い夢を見ることがあった。夢の中に幾日、幾週を経過したように考えた。しかし、覚めてみるとたった五分間ばかりの転寝に過ぎなかった。かく述べると諸君は言うであろう-それなら我々は単に頭脳の生み出した一の幻影に過ぎないのかと-その通りです。ここには都会もなく、議場もなく、あるものはただ自分だけであります。私はただ夢を見ているだけであります。幾ばくもなくして私の頭脳は消耗し、同時に夢も又消えるでありましょう。御覧なさい、現在我々は地上に居った時と全然同様な仕事を器械人形の如くただ何回も繰り返しているに過ぎません。死後の生命なるものはただ死しつつある頭脳の一場の夢に過ぎません。しかしこんなことを述べるのは、つまり自己の空想の産物に向かって説法をすることなのであるから甚だつまらない。私はもう止めます」
 そう言って彼は陰気な顔つきをして座についた。
 満場どっと笑い崩れた。
 その時吾輩が飛び出して叫んだ。
 「諸君、私は御当地を通過するただ一介の旅客にすぎません。けれども若し諸君が私の言葉を信じて下さるならば、私は死後生命の存続することを証明し、天国の有無は兎に角、地獄は確かに存在し、そして此処が地獄の一部分であることを立証してあげることが出来ます。此処よりももっと下層に行けば人々はいかにも地獄に相応しい呵責を受けております。一度私が死んでからの波乱に富んだ閲歴をお聞きになってもらいましょうか?」
 が、皆まで言い終わらぬ内に満場総立ちになって怒鳴り出し、その中の数人は城壁の塔から吾輩を放り出すぞと威嚇した。仕方が無いから吾輩はよい加減に見切りをつけて建物を立ち出でると、一人の男が吾輩の後に追いすがって言った-
 「イヤあなたが只今仰った事は皆道理に適っています。あなたは地獄の各地を通過して、最後にここを脱出さるるお方に相違ありません。ついては私のことを同行しては頂けますまいか?」
 吾輩がそれに答える前に彼の守護神が姿を現して言った-
 「我が兒(こ)よ、余は汝を導いて、愛する友の喜んで助けを与える美しき境涯に入らしめるであろう。余は汝の胸に救助を求める精神の宿るまで、止むことを得ず差し控えていたが、今こそ再び立ち返りて汝の将来を導くであろう」
 右の人物と天使とは相連れ立ちて何処かへ行ってしまった。