自殺ダメ
右の自動書記に引き続いて今度は霊夢式の現象が起こり叔父さんから今度送られるべき通信の内容につきて細々説明がありました。それは1914年1月26日の晩の出来事であります-
叔父「今回ワシ達が自動書記を始めたのは大当たりじゃった。これから自動書記で続き物の通信を送って、一つ霊界生活につきて纏まった記事を作らせることにしよう。段々調べて見ると、今まで有りふれた霊界通信は兎角当人の直接見聞した体験のみに偏しているようじゃ。ワシの意見はそれと違って、自分の体験の外に自分の上に居る者や下に居る者の体験談をも加えて発表したらと思うのじゃ。そうすれば少なくとも三つの境涯の事情が判ることになる。尚ワシの友達で近頃上の境涯に昇った者もあるが、その人が一段上の境涯とも接触を保つつもりじゃというから、ざっとそう云った種類のものが出来上がることになるであろう。勿論ワシ自身の死後の経験も詳しく述べる。一体死んだ時には、さっぱり訳の判らぬことだらけであったが、その後ワシの守護神に導かれて地上に出掛け、他人の死ぬる実況を霊界から見物したので、近頃は大分勝手が判って来た・・・。
ところで霊界の配置じゃが、段々調べてみると大分在来の説明とは相違の点がある。但し昔の教典が間違っているというよりも、教師達の解釈の仕方が間違っているのが多いようじゃ。その中で一番優れたものでも、やっと真理の一面を掴み得た位のものに過ぎない。我々じゃとて、無論一切の真理を掴み得たという訳ではない。真理というものは多角多面のダイヤモンドそっくりで、それぞれの面が真理の一部分を有しているに過ぎない。又その面には大きいのと小さいのとがある。で、どんな小さい教理でも真理の一面をもっていさえすれば生存に堪えるが、ただ真理の要素がまるで欠けている信仰は、とても存在し得ない。成らうことなら其の面は大きいに限る。世界の宗派の中で、ローマカトリック教などは一番真理の面の大きい方じゃが、あれにも決して一切の真理が含まれてはいない。尚霊界には仏教徒が居る。沢山の異教徒が居る。その他ありとあらゆる宗教の信者が居る。我々はこんな宗派被れの境涯から脱却して一切の真理を腹に蔵めることが出来た時に、初めて本当に神の思し召しが判ったといい得るのじゃが、それは前途中々遼遠じゃ。
が、ワシの手に集めた新材料を説くのにも、在来の学説に当てはめた方が理解し易かろうと思われるから、ワシも大体に於いて天国、煉獄、地獄の概念を採用することにしよう。しかし多くの人達の説くところとワシのとは大分文字の用法が違うから、そのつもりでいてもらいたい。大雑把な説明をするには、在来の分類法に便利な点もないではないが、ワシの知る限り、地獄が永久的のものだという証拠は少しも見出し得ない。一時も早くこの考えは棄てるに如(し)くはない。一旦この考えを棄てると共に、この他の問題が判り易くなる。無論地獄という所には大変永く押し込められている霊魂があるにはある。例えばローマのネロなどは現に今でも地獄に居る。そして今後も中々出られそうにない。
しかし地獄から脱出した実例としては、現に先般お前に紹介したあの陸軍士官がある。それを見ても地獄が永久呵責の場所でないことは確かである。ただ地上の人間と交通する大概の霊魂は、地獄へ行った経験が無いので、殆ど地獄の状況を説く者がない。多くの者はその存在さえも知らない。陸軍士官の物語が素敵に面白いは主としてこの点に存ずる。まだワシも詳しいことは聞かないからよく判らぬが、地獄というものは、つまり無信仰者の入って居る所と思えばよいようじゃ。又煉獄というのはつまり我々の境涯を指して居る。何ら信仰の閃きがなければ地獄にやられるが、多少なりともお光に接した者は我々の境涯に入って来る。キリストはわざわざ地獄に降りて、霊魂達に信仰を教えたというが、成る程そんなこともあったろう。今でも高級の霊魂は、宣教の為にわざわざ地獄へ降りて行かれる。
それから天国じゃが、我々には残念ながらそちらのことはまだ一向分からない。天国は上帝と共に在る所-そう思っていれば現在の我々には充分である。ワシなどは煉獄の最下層に居る身の上であるのだから、其処へ達するまでの道中はまだまだ長い・・・」
右の自動書記に引き続いて今度は霊夢式の現象が起こり叔父さんから今度送られるべき通信の内容につきて細々説明がありました。それは1914年1月26日の晩の出来事であります-
叔父「今回ワシ達が自動書記を始めたのは大当たりじゃった。これから自動書記で続き物の通信を送って、一つ霊界生活につきて纏まった記事を作らせることにしよう。段々調べて見ると、今まで有りふれた霊界通信は兎角当人の直接見聞した体験のみに偏しているようじゃ。ワシの意見はそれと違って、自分の体験の外に自分の上に居る者や下に居る者の体験談をも加えて発表したらと思うのじゃ。そうすれば少なくとも三つの境涯の事情が判ることになる。尚ワシの友達で近頃上の境涯に昇った者もあるが、その人が一段上の境涯とも接触を保つつもりじゃというから、ざっとそう云った種類のものが出来上がることになるであろう。勿論ワシ自身の死後の経験も詳しく述べる。一体死んだ時には、さっぱり訳の判らぬことだらけであったが、その後ワシの守護神に導かれて地上に出掛け、他人の死ぬる実況を霊界から見物したので、近頃は大分勝手が判って来た・・・。
ところで霊界の配置じゃが、段々調べてみると大分在来の説明とは相違の点がある。但し昔の教典が間違っているというよりも、教師達の解釈の仕方が間違っているのが多いようじゃ。その中で一番優れたものでも、やっと真理の一面を掴み得た位のものに過ぎない。我々じゃとて、無論一切の真理を掴み得たという訳ではない。真理というものは多角多面のダイヤモンドそっくりで、それぞれの面が真理の一部分を有しているに過ぎない。又その面には大きいのと小さいのとがある。で、どんな小さい教理でも真理の一面をもっていさえすれば生存に堪えるが、ただ真理の要素がまるで欠けている信仰は、とても存在し得ない。成らうことなら其の面は大きいに限る。世界の宗派の中で、ローマカトリック教などは一番真理の面の大きい方じゃが、あれにも決して一切の真理が含まれてはいない。尚霊界には仏教徒が居る。沢山の異教徒が居る。その他ありとあらゆる宗教の信者が居る。我々はこんな宗派被れの境涯から脱却して一切の真理を腹に蔵めることが出来た時に、初めて本当に神の思し召しが判ったといい得るのじゃが、それは前途中々遼遠じゃ。
が、ワシの手に集めた新材料を説くのにも、在来の学説に当てはめた方が理解し易かろうと思われるから、ワシも大体に於いて天国、煉獄、地獄の概念を採用することにしよう。しかし多くの人達の説くところとワシのとは大分文字の用法が違うから、そのつもりでいてもらいたい。大雑把な説明をするには、在来の分類法に便利な点もないではないが、ワシの知る限り、地獄が永久的のものだという証拠は少しも見出し得ない。一時も早くこの考えは棄てるに如(し)くはない。一旦この考えを棄てると共に、この他の問題が判り易くなる。無論地獄という所には大変永く押し込められている霊魂があるにはある。例えばローマのネロなどは現に今でも地獄に居る。そして今後も中々出られそうにない。
しかし地獄から脱出した実例としては、現に先般お前に紹介したあの陸軍士官がある。それを見ても地獄が永久呵責の場所でないことは確かである。ただ地上の人間と交通する大概の霊魂は、地獄へ行った経験が無いので、殆ど地獄の状況を説く者がない。多くの者はその存在さえも知らない。陸軍士官の物語が素敵に面白いは主としてこの点に存ずる。まだワシも詳しいことは聞かないからよく判らぬが、地獄というものは、つまり無信仰者の入って居る所と思えばよいようじゃ。又煉獄というのはつまり我々の境涯を指して居る。何ら信仰の閃きがなければ地獄にやられるが、多少なりともお光に接した者は我々の境涯に入って来る。キリストはわざわざ地獄に降りて、霊魂達に信仰を教えたというが、成る程そんなこともあったろう。今でも高級の霊魂は、宣教の為にわざわざ地獄へ降りて行かれる。
それから天国じゃが、我々には残念ながらそちらのことはまだ一向分からない。天国は上帝と共に在る所-そう思っていれば現在の我々には充分である。ワシなどは煉獄の最下層に居る身の上であるのだから、其処へ達するまでの道中はまだまだ長い・・・」