自殺ダメ
「ワシは何やらまだ腑に落ちなかったので、更に質問を続けた-
「もう一つ質問させて頂きます。一つの思想がまるきり無関係の新思想を創造することが出来ないというのに、何故それが人間には出来るのでしょう?人間はある場合に於いて残忍な悪思想を創造し、その思想を以って他人を残忍な行為に導くことが出来ると同時に、次の瞬間には親切な善思想を創造し、これを以って他人を善道に導くことが出来ます。何故こんな相違が生じて来るのでございましょうか?」
先生「それなら又訊ねますが、一体人間は何と何とから出来ております?」
私「物質、形、力の三つから成ります」
先生「思想は何から出来ております?」
私「単に形のみかと存じます・・・」
先生「それであなたの疑問は解けている筈でしょう」
私「ああ判りました。力と称するものの有無によりて相違が生ずるのでございましょう。が、力とは一体何でございますか?」
先生「ある人は力は神だと言います。又ある人は力と物質とが神だと言います。又ある人は力と物質とは同一で、神の神たる所以はここに存ずるのだと言います。人間は力か物質かの内どれかを創り得ますか?」
私「イヤ人間はただ形を創造し得るだけかと存じます」
先生「あなたの疑問はまだそれですっかり解けてしまいませんか?」
私「私の最初の疑問はまだ解かれていないかと存じます。私の疑問はこうです-人間は種々の思想を創造し得る力量があるのに何故人間の思想にはそれが有り得ないか?」
先生「神はあなたを創ります。あなたはあなたの思想を創ります。あなたの思想は他を感化します。
思想の働きはそれを創った思想によりて縛られます。あなたの行為はあなたを創造した力によりて縛られます。神は何物によりても縛られません」
私「すっかり判ってまいりました。我々人間には自分達の知らぬ事物につきて思考する能力がありません。然るに神は全智であり、従って全能であります」
先生「神は一切なのであります-あなたの第一課程は首尾よく終わりました。皆さんに休暇を許します。戸外へ出て宜しい」
次の瞬間に我々一同は小学校の生徒そのまま戸外に飛び出して、思い思いの勝手な遊戯に耽ったものである。が、霊界の遊びというのは皆精神的のもので、そして地上で業務と称するものが、つまりここでは皆娯楽なのであるから大分勝手が異なっている。ワシのことだから、自ずと建築に趣味を持っている人々の組に入って遊びました。可笑しなことには仲間は皆それぞれ背の高さが違う。それは各自の霊性の発達が同一でないからである。やがて仲間の一人が、昔地上にあったある有名な建築物の見学に出掛けようと言い出した。
「さぁ」とワシが言った。「口外の風致を損ねる俗悪極まる別荘の見物なら有難くもないが・・・」
「例えば君が造ったような代物かね。あんなものは全く有難くない・・・」
一人の少年がそうワシのことを皮肉った。若しもこんなことを言われたなら、生きている時分であったなら恐らくむかっ腹を立てたと思うが、ワシはただ高笑いで済ました。すると先に発議した大柄の少年が傍から口を出した-
「君、そんな心配は一切無用だよ。俗悪な建物は霊界へは来ないで皆地獄の方へ行ってしまう。勿論霊界にあるものだって最上等の種類ではない。最上等のものはずっと上の方の界へ行くからね。しかし霊界のだとてそう馬鹿にしたものではない。一つ非常によく出来ているアッシリアの建築があるから行って見ようではないか?」
こんな相談の結果我々は打ち連れてそのアッシリア建築物の見物に出掛けたのであったがワシにとってそれは何よりの保養であった」
「ワシは何やらまだ腑に落ちなかったので、更に質問を続けた-
「もう一つ質問させて頂きます。一つの思想がまるきり無関係の新思想を創造することが出来ないというのに、何故それが人間には出来るのでしょう?人間はある場合に於いて残忍な悪思想を創造し、その思想を以って他人を残忍な行為に導くことが出来ると同時に、次の瞬間には親切な善思想を創造し、これを以って他人を善道に導くことが出来ます。何故こんな相違が生じて来るのでございましょうか?」
先生「それなら又訊ねますが、一体人間は何と何とから出来ております?」
私「物質、形、力の三つから成ります」
先生「思想は何から出来ております?」
私「単に形のみかと存じます・・・」
先生「それであなたの疑問は解けている筈でしょう」
私「ああ判りました。力と称するものの有無によりて相違が生ずるのでございましょう。が、力とは一体何でございますか?」
先生「ある人は力は神だと言います。又ある人は力と物質とが神だと言います。又ある人は力と物質とは同一で、神の神たる所以はここに存ずるのだと言います。人間は力か物質かの内どれかを創り得ますか?」
私「イヤ人間はただ形を創造し得るだけかと存じます」
先生「あなたの疑問はまだそれですっかり解けてしまいませんか?」
私「私の最初の疑問はまだ解かれていないかと存じます。私の疑問はこうです-人間は種々の思想を創造し得る力量があるのに何故人間の思想にはそれが有り得ないか?」
先生「神はあなたを創ります。あなたはあなたの思想を創ります。あなたの思想は他を感化します。
思想の働きはそれを創った思想によりて縛られます。あなたの行為はあなたを創造した力によりて縛られます。神は何物によりても縛られません」
私「すっかり判ってまいりました。我々人間には自分達の知らぬ事物につきて思考する能力がありません。然るに神は全智であり、従って全能であります」
先生「神は一切なのであります-あなたの第一課程は首尾よく終わりました。皆さんに休暇を許します。戸外へ出て宜しい」
次の瞬間に我々一同は小学校の生徒そのまま戸外に飛び出して、思い思いの勝手な遊戯に耽ったものである。が、霊界の遊びというのは皆精神的のもので、そして地上で業務と称するものが、つまりここでは皆娯楽なのであるから大分勝手が異なっている。ワシのことだから、自ずと建築に趣味を持っている人々の組に入って遊びました。可笑しなことには仲間は皆それぞれ背の高さが違う。それは各自の霊性の発達が同一でないからである。やがて仲間の一人が、昔地上にあったある有名な建築物の見学に出掛けようと言い出した。
「さぁ」とワシが言った。「口外の風致を損ねる俗悪極まる別荘の見物なら有難くもないが・・・」
「例えば君が造ったような代物かね。あんなものは全く有難くない・・・」
一人の少年がそうワシのことを皮肉った。若しもこんなことを言われたなら、生きている時分であったなら恐らくむかっ腹を立てたと思うが、ワシはただ高笑いで済ました。すると先に発議した大柄の少年が傍から口を出した-
「君、そんな心配は一切無用だよ。俗悪な建物は霊界へは来ないで皆地獄の方へ行ってしまう。勿論霊界にあるものだって最上等の種類ではない。最上等のものはずっと上の方の界へ行くからね。しかし霊界のだとてそう馬鹿にしたものではない。一つ非常によく出来ているアッシリアの建築があるから行って見ようではないか?」
こんな相談の結果我々は打ち連れてそのアッシリア建築物の見物に出掛けたのであったがワシにとってそれは何よりの保養であった」