自殺ダメ



 続いて叔父さんは語り出した-
 間もなく崖の上に一人の醜穢(しゅうわい)な物体がやっとのことで引き上げられた。両眼は一種の包帯で覆われ、よろよろと力無げにその指導者の側に倒れた。すると指導の天使は優しくこれを助け起こした。
 新来の人は暗灰色のボロボロの衣服を纏うていたが、それには色々の汚物が付着し、地獄の闇が浸み込んで脱け切れないように見えた。彼の手足も同様に汚れ切っていた。
 「おおひどい光明じゃ!」と彼は呻いた。「包帯をしていても眼にしみてしようがない・・・」
 私達にとりては、それはほんのりとした薄明かりで、丁度ロンドンの濃霧がかっている時を思い出させる景色であった。
 「どうも酷い汚れようですね。何という汚らしい着物でしょう!」
 私がうっかりしてそうPさんに言った。するとPさんはおもむろに口を開いた-
 「そりゃ私達の眼には汚く見えます。しかし当人はあれで結構清潔に見えるのです。あなたでも御自分の衣服は清潔に見えるでしょうが・・・」
 「そりゃそうでございます」
 「ところが、私が見るとあなたの衣服にはかなり沢山のシミが見えます。私の着ている衣服なども、私の守護神にはきっと汚く見えるに相違ありません」
 そうPさんにたしなめられてワシは心から恥じ入って、口をつぐんでしまった。
 やがてPさんは前方へ進み出でて新来者の手をとって言った-
 「ようこそ御無事に!私はあなたがこの新境涯に進入の好機会に立ち会うことを許されて衷心から喜んでおります・・・・」
 「あっ先生でございますか!わざわざ私のような者をお迎えに来てくだすってこんな嬉しい事はございません-しかしこの光明は酷いですね!私は闇の中に戻りたいように思います・・・・」
 「ナニ少しも心配するには及ばない。光明には直ぐ慣れて来ます-ちょっと御紹介しますが、ここにお見えの方は私の友人であなたを歓迎の為に同行してくだすったのです」
 「そう言ってPさんはワシを手招きするので、ワシはその人と初めて握手した。ワシはこれからこの人を陸軍士官と言う名称で呼ぶことにする。
 それからワシ達はおもむろに地獄の入り口に達する傾斜地を降り切って、やがて地面に腰をおろした。ここで右の陸軍士官は現世に居った時分の打ち明け話をしたが、それは既に大体お前に通信してある。その際地獄の話も少しは出たが、それは改めて当人自身に物語ってもらうことにするつもりじゃから、ここでは述べまい。身の上話が一通り済んだ時に陸軍士官の守護神がこう言われた-
 汝は一切の罪を懺悔したからもう包帯を取ってもこの光明に堪えられる・・・・」
 そう言って直ちに手づからその包帯を取ってやった。すると陸軍士官は堪らないと云った風に体を地面に押し付けて、両手で左右の眼を覆った。
 ワシの守護神は言った-
 「さぁこれでそろそろ戻るとしよう」
 「この仕官さんはどうなります?」
 「後からついて来るであろう。しかし速力は遅い。あの人にはまだ飛べないからな・・・」
 ワシ達はやがて空中に舞い上がり、間もなく自分達の懐かしい住所に戻った。陸軍士官は数日後にようやく我々の許に到着したが、それまでには小石だらけの荒野のような所を横断し、更に一帯の山脈を登らねばならなかったようで、その山脈を越すと直ぐに緩傾斜の平原になり、それが取りも直さず、ワシ達の住んでる所であったようである。
 この平原を横切る際に彼は罪悪に充ちたるその前世の恐ろしい幻影に悩まされたということで、それはワシが目撃したのと性質は似てはいるが、しかしとても比較にならぬ程一層凄惨を極めたものであったらしい。その際ワシ達にとっては僅々数日の別れであったが、彼自身の感じでは数年も経ったように思われたとのことで、その幻影は今でもなお悪夢式の混沌状態を続けているらしく、従って彼は無論まだ学校にも行かれず、ただぼんやり日を送っている。
 これで目下お前と通信を開始しようとしている三人の人達が霊界でどんな状態にあるか大体明瞭になったであろう。しかし霊界の事は中々人間に判り切るものではない。例えばあの地獄の闇の物凄さなどはワシにはとてもその観念を伝える力はない。よしあってもお前がそれを地上の人々に伝えることは不可能であろう。実際それは呼吸を詰まらせ、血潮を凍らせる恐ろしい光景であった。今思い出してもゾッとする・・・・」