自殺ダメ



 叔父「これからもう少し他の方面のことをお前に紹介してあげよう」と叔父は言葉を続けました。「霊界には色々の美術が栄え、又科学も発達しているか、無論その標準は地上よりも遙かに高い。先ず絵画から紹介することにしよう」
 二人は極度に荘厳な、文藝復興期風の建物の前に立ちましたが、それは従来未だかつて地上に出現した例のないものでした。
 叔父「この建物はワシと共同経営をやっているフランス人が設計したものじゃ。こんな精巧を極めたものはとても地上に建てることは出来ないので、霊界に建てる事になったのじゃ。無論人間流に鋸や鉋を使って造ったものではない。それは思想そのままの形、換言すれば彼自身の精神の原料で造ったものなのじゃ。その点はもう少し先へ行ってから詳しく説明することにしよう」
 二人は建物の内部へ歩み入りましたが、それは地上の所謂展覧会に相当するもので、ただその配列法が地上のよりは遙かに行き届いておりました。
 ワード「絵画展覧会がある位なら、勿論博物館などもございましょうな?」
 叔父「ないこともないがお前の期待するほど沢山はない。霊界では古代の物品をなるべく元の建物の中に収めることにしてある。例えばエジプトの椅子ならエジプトの宮殿に据え付け、又宝石類ならその元の所有者又は制作人の身に付けさせるの類じゃ。
 霊界で造った美術品は通常その製作者の所有になるが、ただ一部の美術品は最初からそれを公開する目的で制作にかかる。それらがつまり博物館に収まるのじゃ。又古代の物品で、品物は壊れたがそれを仕舞ってあった建物がまだ地上に残存しているのがある。そんな場合には右の品物を陳列する為の小博物館が霊界にも設けられる。
 兎も角もよくこれ等の絵を観るがよい。こんな高邁な思想はとても地上の美術家の頭脳にはうつらんので霊界に置いてあるのじゃ。が、それは寧ろ例外で霊界の美術家の大部分は自分の思想を地上の美術家に伝えようとして骨を折っている」
 叔父さんからそう言われてワード氏は絵画の方に注意を向けることになりましたが、成る程地上のものとは全く選を異にし、何とも名状し得ないところが沢山ありました。第一色彩が飛び離れて美しく、しかもそれが素敵によく調和が取れていて、おまけにその中から一種の光線が放散するのでした。又描かれた人物の容貌態度は額面から脱け出たように活き活きしており、遠近のけじめもくっきりとして実景そのまま、若しそれ空気の色の出し方などの巧妙さ加減ときては真にふるいつきたい位。題材も又極めて豊富で、風景、肖像、劇画等何でも揃っている-が、なかんずく最も興味ある傑作は、他に適当な用語がないから、しばらく[情の高鳴り]とでも言うべきものを取り扱ったものでした。
 例えばそこに[神の愛]と題した一つの傑作がありました。ただ見る一人の天使-それが実に威あって猛からず、正義と同時に慈悲を包める、世にも驚くべき表情を湛えて、足下の人類の群をじっと見つめていました。ここに不可思議なるは右の人類の表現法で、それは二種類に描き分けられていました。即ち甲は肉体に包まれた地上の人々、乙は肉体を棄てた幽界の人々で、その間の区別がいかにもくっきりとしており、しかも一人一人の容貌が、生きている人と同様にそれぞれ特色を持っているのでした。
 が、何が美しいと言っても、この絵画の中で真に驚くべきは中心の大天使で、いかにも[神の愛]と言う標題に相応しき空気がその一点一角の中に瀰漫しきっているように見えるのでした。
 二人は暫くそれを見物してからやがて会場を辞し、とある公園を通過して、他の展覧会へと入りました。
 叔父「ここは彫刻の展覧会場じゃ。絵画や建築と同じく、大抵の連中は地上の人間に自分の思想を吹き込むようにしているが、一部の者はそんなことをせずに自分の作品をここへ陳列する・・・」
 ワード「これ等の人物像は本物の大理石で出来ているのですか?どこからこんなものを持って来るのでしょう?」
 叔父「イヤ前にも言う通り霊界では自分の精神の原料で全てを造るのじゃ。大理石であろうが、青銅であろうが望み通りのものが勝手に出来る。早い話がこの銀像でも、製作者が銀が一番適当であると考えたので、この通り銀像になったのしゃ」
 これ等の神品ばかり集めてある展覧会を幾つも幾つも見物してから最後に入って行ったのは一の公園でありました。それが又彫刻物の陳列の為に設けられたもので、林間に巧みに配置された記念碑類、細い道の奥に沸々と珠玉を湧かす噴泉の数々、遠き眺め、滑らかな草原、千態萬状の草、木、花、さては水の流れ、何ともはや美事なもので、なかんずく水の巧みな応用ときては素敵なもので、それが全体の風致を幾段も引き立たせておりました。