自殺ダメ


 これは、オーエンの『ヴェールの彼方の生活』の第三巻に書かれていた話で、暗黒界、つまり地獄と呼ばれている界層に住む住民達を救う為に、高級霊が地獄に下って行く話です。オーエンはキリスト教の牧師だったので、所々にキリスト教的な表現が沢山あるので、今までの人生でキリスト教に接することがなかった人にとっては、少々難しいかもしれません。しかし、そのような細かい点に粘着するのではなく、大まかな流れとして、この暗黒界の探訪の様子を読んで頂きたい。



 1917年 大晦日

 ここまでの我々の下降の様子はいたって大まかに述べたにすぎません。が、これから我々はいよいよ光輝が次第に薄れ行く境涯へ入って行くことになります。これまでに地上へ降りて死後の世界について語った霊は、生命躍如たる世界については多くを語っても、その反対の境涯についてはあまり多くを語っておりません。いきおい我々の叙述は理性的正確さを要します。と言うのも、光明界と暗黒界について偏りのない知識を期待しつつも、性格的に弱く、従って喜びと美しさによる刺激を必要とする者は、その境界の“裂け目”を我々と共に渡る勇気がなく、怖気付いて背を向け、我々が暗黒界の知識を携えて光明界へ戻ってくるのを待つことになるからです。
 さて、地上を去った者が必ず通過する(既にお話した)地域を通り過ぎて、我々はいよいよ暗さを増す境涯へと足を踏み入れた。すると強靱な精神力と用心深い足取りを要する一種異様な魂の圧迫感が急速に増していくのを感じた。それというのも、この度の我々は一般に高級霊が採用する方法、つまり身は遠く高き界に置いて通信網だけで接触する方法は取らないことにしていたからです。これまでと同じように、つまり自らの身体を平常より低い界の条件に合わせてきたのを、そこから更に一段と低い界の条件に合わせ、その界層の者と全く同じではないがほぼ同じ状態、つまり見ようと思えば見え、触れようと思えば触れられ、我々の方からも彼等に触れることの出来る程度の鈍重さを身にまとっていました。そしてゆっくりと歩み、その間もずっと右に述べた状態を保つ為に辺りに充満する雰囲気を摂取していました。そうすることによって同時に我々はこれより身を置くことになっている暗黒界の住民の心情をある程度まで察することが出来ました。
 その土地にも光の照っている地域があることはあります。が、その範囲は知れており、直ぐに急斜面となってその底は暗闇の中にある。そのささやかな光の土地に立って深い谷底へ目をやると、一帯を覆う暗黒の濃さは物凄く、我々の視力では見通すことが出来なかった。その不気味な黒い霧の上を薄ぼんやりとした光が射しているが、暗闇を突き通すことは出来ない。それほど濃厚なのです。その暗黒の世界へ我々は下って行かねばならないのです。
 貴殿のご母堂が話された例の“光の橋”はその暗黒の谷を越えて、その彼方の更に低い位置にある小高い丘に掛かっています。その低い端まで(暗黒界から)辿り着いた者は一旦そこで休息し、それからこちらの端まで広い道(光の橋)を渡って来ます。途中には幾つかの休憩所が設けてあり、ある場所まで来ては疲れ果てた身体を休め、元気を回復してから再び歩み始めます。と言うのも、橋の両側には今抜け出て来たばかりの暗闇と陰気か漂い、しかも今なお暗黒界に残っているかつての仲間の叫び声が、死と絶望の深い谷底から聞こえてくる為に、やっと橋まで辿り着いても、その橋を通過する時の苦痛は並大抵のことではないのです。
 我々の目的はその橋を渡ることではありません。その下の暗黒の土地へ下って行くことです。

-今仰った“小高い丘”、つまり光の橋が掛かっている向こうの端のその向こうはどうなっているのでしょうか。

 光の橋の向こう側はこちらの端つまり光明界へ繋がる“休息地”程は高くない尾根に掛かっています。さほど長い尾根ではなく、こちら側の端が掛かっている断崖と平行に延びています。その尾根も山の如くそびえており、形は楕円形をしており、直ぐ下も、“休息地”との間も、谷になっています。そのずっと向こうは谷の底と同じ地続きの広大な平地で、表面はデコボコしており、あちらこちらに大きな窪みや小さな谷があり、その先は一段と低くなり暗さの度が増していきます。暗黒界を目指す者は光の橋に辿り着くまでにその斜面を登って来なければならない。尾根はさほど長くはないと言いましたが、それは荒涼たる平地全体の中での話であって、実際にはかなりの規模で広がっており、途中て道を見失って何度も谷に戻って来てしまう者が大勢います。いつ脱出出来るかは要は各自の視覚の程度の問題であり、それは更に改悛の情の深さの問題であり、より高い生活を求める意志の問題です。
 さて我々はそこで暫し立ち止まり考えをめぐらした後、仲間の者に向かって私がこう述べた。
 「諸君、いよいよ陰湿な土地にやってまいりました。これからはあまり楽しい気分にはさせてくれませんが、我々の進むべき道はこの先であり、せいぜい足をしっかりと踏みしめられたい」
 すると一人が言った。
 「憎しみと絶望の冷気が谷底から伝わってくるのが感じられます。あの苦悶の海の中ではロクな仕事は出来そうにありませんが、たとえ僅かでも、一刻の猶予も許せません。その間も彼等は苦しんでいるのですから・・・・」
 「その通り。それが我々に与えられた使命です」-そう答えて私は更にこう言葉を継いだ。「しかも、ほかならぬ主の霊もそこまで下りられたのです。我々はこれまで光明を求めて主の後に続いてきました。これからは暗黒の世界へ足を踏み入れようではありませんか。なぜなら暗黒界も主の世界であり、それを主自ら実行してみせたからです」(暗黒界へ落ちた裏切り者のユダを探し求めて下りたこと。訳者)
 かくして我々は谷を下って行った。行く程に暗闇が増し、冷気に恐怖感さえ漂い始めた。しかし我々は救済に赴く身である。酔狂に怖いものを見に行くのではない。そう自覚している我々は躊躇することなく、しかし慎重に、正しい方角を確かめながら進んだ。我々が予定している最初の逗留地は少し右へ逸れた位置にあり、光の橋の真下ではなかったので見分けにくかったのです。そこに小さな集落がある。住民はその暗黒界での生活にうんざりしながら、ではその絶望的な境涯を後にして光明界へ向かうかというと、それだけの力も無ければ方角も判らぬ者ばかりである。行く程に我々の目は次第に暗闇に慣れてきた。そして、ちょうど闇夜に遠い僻地の赤い灯も見届けるように、辺りの様子がどうにか見分けがつくようになってきた。辺りには朽ち果てた建物が数多く立ち並んでいる。幾つかが一塊になっている所もあれば、一つだけポツンと建っているものもある。いずこを見てもただ荒廃あるのみである。我々が見た感じではその建物の建築に当たった者は、どこかがちょっとでも破損すると直ぐにその建物を放置したように思える。或いは、折角仕上げても、少しでも朽ちかかると直ぐに別の所に建物を建てたり、建築の途中で嫌になると放置したりしたようである。やる気の無さと忍耐力の欠如が辺り一面に充満している。絶望から来る投槍の心であり、猜疑心から来るやる気の無さである。共に身から出た錆であると同時に、同類の者によってそう仕向けられているのである。
 樹木もあることはある。中には大きなものもあるが、その大半に葉が見られない。葉があっても形に愛らしさがない。すすけた緑色と黄色ばかりで、あたかもその周辺に住む者の敵意を象徴するかのように、槍のようなギザギザが付いている。幾つか小川を渡ったが、石ころだらけで水が少なく、その水もヘドロだらけで悪臭を放っていた。
 そうこうしている内に、ようやく目指す集落が見えてきた。市街地というよりは大小様々な家屋の集まりといった感じである。それも、てんでんばらばらに散らばっていて秩序が見られない。通りと言えるものは見当たらない。建物の多くは粘土だけで出来ていたり、平たい石材でどうにか住居の体裁を整えたにすぎないものばかりである。外は明り用にあちらこちらで焚き火が焚かれている。その周りに大勢が集まり、黙って炎を見つめている者もいれば、口喧嘩をしている者もおり、取っ組み合いをしている者もいるといった具合である。
 我々はその中でも静かにしているグループを見つけて側まで近付き、彼等の例の絶望感に満ちた精神を大いなる哀れみの情をもって見つめた。そして彼等を目の前にして我々仲間同士で手を握り合って、この仕事をお与え下さった父なる神に感謝の念を捧げた。