自殺ダメ


訳者注-最近(2001年)になってにわかに脚光を浴び始めた聖書翻訳家にウィリアム・ティンダルがいる。数冊の伝記が出ているが、訳者が入手したのは二冊で、歴史というものは裏に何が隠されているか分からないことを、今更のように思い知らされた。
 ウィリアム・ティンダルという名前は大きい英和辞典なら必ず出ているほど、よく知られたキリスト教学者である。そして「聖書翻訳家。殉教者」と記されている。殉教者と聞けば誰しもキリスト教の信仰に殉じた聖職者と思うに決まっているが、驚くなかれ、聖書を英語に翻訳したことで火あぶりの刑に処せられたのである。これは一体どういうことであろうか。
 ティンダルの正確な生年は不明であるが、1494~5年頃に生まれて1536年に火刑に処せられている。そしてその一年後から英国の一般人が聖書を自国語の英語で読めるようになった。ということは、それまでの聖書は一般人には全く読めなかったのであるが、では聖職者には読めたのかというと、実はそれも怪しく、ラテン語やギリシャ語やヘブライ語(旧約)がまともに読める者は少なかったという。
 ちなみに上記の二冊の内の前者によると、ティンダルが勉学中だった時代(十六世紀初頭)の司教連中の不勉強ぶりは時のカンタベリー大主教も嘆いている程で、それから三十年後の調査でも、ティンダルが属していたグロスターシャーの司教200人あまりの内、『モーセの訓戒』の数を(日本語では「十戒」と訳すので“10”と分かるが)知らなかった者が9人、聖書のどこに出ているかを知らなかった者が33人、暗記していなかった者は実に168人もいたという。なお『モーセ五書』(旧約聖書の最初の五書)もティンダルが訳している。
 それまで一般人はキリスト教という信仰教義を「ただ信ぜよ」式に教え込まれていて、「なぜ?」という疑問を抱く余地がなかった。そんな中で、オックスフォード大学で学んでギリシャ語もラテン語もヘブライ語も読める程の語学の天才だったティンダルが、自ら大きな疑問を抱くようになった。教会で説いている「三位一体」だの「地獄・極楽」だの「贖罪」だのという難解な教義は聖書には書いてないではないか、という疑問である。
「聖書を平易な英語に翻訳して全ての人が読めるようにしてあげたい」-これがティンダルが聖書の英語版を出そうと思い立ったきっかけである。時あたかもドイツで宗教改革が勃興し、ルーテルがドイツ語聖書を出し、また英国本土ではヘンリー八世が王妃と離婚して侍女のブーリンと結婚する為という、いたって我侭な理由から、離婚を禁じるローマ・カトリック教会から離脱して「英国国教会」の独立宣言をした激動の時代でもあった。ティンダルの翻訳が完成したのはその頃で、「民衆を混乱に陥れる不届き者」というかどで逮捕の命令が出される。危険を感じたティンダルはヨーロッパ大陸へ逃亡するが、執拗な追跡から逃れることはできず、ついにベルギーのブリュッセルで逮捕され処刑された。その処刑の仕方の惨さは書くことすら憚(はばか)られる程である。
 一体これは何を意味するのか。色んなことが思い浮かぶが、少なくともこれまで訳者一人に限らず大方の人々が漠然と認識していたことが間違っていたことだけは確かであろう。即ち教会では牧師が聖書を手にしてイエスさまの教えを説いていたのではないということである。
 そうなったのは実はティンダルの翻訳聖書が普及し始めた十六世紀中頃からのことで、それまでは世界各地の民話や神話・伝説がない交ぜにされて説かれていた。それを善良ではあっても無知な民衆は神の言葉として疑うことなく信じていた。実際は、聖なるものでもなければ敬虔なるものでもなく、宗教性や真実性は欠片もなかった。
 本書の本文の冒頭から出てくるアリウスという司教は、早くからそうした点を指摘して論争が絶えなかった。その混乱を収束すべく開かれたのが『第一回ニケーア公会議』だったのであるが、表向きに標榜された目的とは裏腹に、コンスタンティヌス一派による政治的陰謀が企まれていた。その真相を暴いたのが本書である。