自殺ダメ


 実は本書の冒頭に「コンスタンチヌスの生涯」と題する、編者によるかなり長い一文がある。特に珍しい内容でもないので割愛したが、それとない交ぜにしながら、「公会議」以後について概略を叙述しておきたい。

 「ニケーア会議」が終わって

 コンスタンチヌスの、歯の浮くようなもったいぶった閉会の辞が終わると、総会はキリスト教の国教化の採決という最大の山場を迎えた。
 コンスタンチヌスという男はもともと宗教とか信仰といった類のものを理解する資質が欠落した人間だったのではあるが、自分はもとより歴代の帝王によるキリスト教迫害の歴史を見て、その、いかなる迫害にもめげない強靱な精神力(信仰心)がどこから生まれるのかの理解は出来ないながらも、これをローマの国教とすれば、人心を収攬(しゅうらん)する上での強力な手綱となるのではないかと考えたのだった。
 勿論コンスタンチヌスにも相談相手のブレーンがいたが、いずれもご機嫌取りを第一に考える連中であったから、コンスタンチヌスが言い出したことは全てその通りに決定されていった。

 アリウス派との対立

 キリスト教の国教化もそうであったが、根本的教義である三位一体説、贖罪説をはじめとする教説には、コンスタンチヌスの「要望」に過ぎないものが多い。
 例えば贖罪説は、妻や子の殺害など散々残虐の限りを尽くしてきたので、神の子イエスを信じれば死後全ての罪をイエスが背負ってくれて、無垢となって天国に召される、というもので、側近の者達も
 「閣下ほどの大帝であれば、それくらいのことは許されるでしょう」
ということで決まったようである。しかし、そうなるとイエスを神の子と認めない、つまり三位一体説を否定するアリウス派が反対するに決まっている。そして議決に際して大混乱が起きることは間違いない。期間中にローマ兵を待機させたのは、そうした事態を想定した上でのことだった。
 案の定、いよいよ議決となった時、アリウス派が大挙して乱入し、議長席へ詰め寄って阻止しようとした為に、議場は大混乱に陥った。それから後のことは既に本文で述べた通りである。ローマ兵が呼び入れられてアリウス派を場外へ連れ出し、神職を剥奪した上で国外追放した。更にアリウスは二年後に暗殺されている。
 議場に残ったのはコンスタンチヌス派のみで、当然のことながら、全ての案件が「満場一致」で採択された。同時に、四ヶ月にわたる会期中に改ざんに改ざんを重ねてきたバイブルを教典とすることも満場一致で議決された。
 かくして西洋史を汚し続けた悪逆非道が、「神の意志」の口実のもとに行なわれることになった。言うなれば、「地獄のふた」が開かれたようなものだった。『自由論』のミルをはじめ世界の心ある敬虔なクリスチャンが嘆くのもムべなるかな、である。