自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
体がなくなって、こちらの世界に引き移って来ても、現世の執着が容易に除れるものでない事は、既に申し上げましたが、ついでにモー少しここで自分の罪過を申し上げておくことに致しましょう。口頭ですっかり悟ったようなことを申すのは何でもありませぬが、実地に当たってみると思いの外に心の垢の多いのが人間の常でございます。私も時々こちらの世界で、現世生活中に大変名高かった方々にお会いすることがございますが、そう綺麗に魂の磨かれた方ばかりも見当たりませぬ。『あんな名僧知識と謳われた方がまだこんな薄暗い境涯に居るのかしら・・・・』時々意外に感ずるような場合もあるのでございます。
さてお約束の懺悔でございますが、私にとりて、何より身に染みているのを一つお話し致しましょう。それは私の守刀の物語でございます。忘れもしませぬ、それは私が三浦家へ嫁入りする折のことでございました、母は一振りの懐剣を私に手渡し、
『これは由緒ある御方から母が拝領の懐剣であるが、そなたの一生の慶事の記念に、守刀としてお譲りします。肌身離さず大切に所持してもらいます・・・・・』
両目に涙を一杯溜めて、真心籠めて渡された記念の懐剣-それは刀身といい、又装具といい、誠に申し分のない、立派なものでございましたが、しかし私にとりましては、懐剣そのものよりも、それが懐かしい母の形見であることが、他の何物にも代えられぬ程大切なのでございました。私は一生涯その懐刀を自分の魂と思って肌身に付けていたのでした。
いよいよ私の病勢が重なって、もうとても難しいと思われました時に、私は枕辺に座っておられる母に向かって頼みました。『私の懐剣はどうぞこのまま私と一緒に棺の中に納めて頂きとうございますが・・・』すると母は即座に私の願いを容れて、『その通りにしてあげますから安心するように・・・・』と、私の耳元に口を寄せて力強く囁いてくださいました。
私がこちらの世界に眼を覚ました時に、私は不図右の事柄を想い出しました。『母はあんなに固く請合ってくだされたが、果して懐剣が遺骸と一緒に墓に収めてあるかしら・・・・』そう思うと私はどうしてもそれが気懸かりで気懸かりで堪らなくなりました。とうとう私はある日指導役のお爺様に一部始終を物語り、『もしもあの懐剣が、私の墓に収めてあるものなら、どうぞこちらに取り寄せて頂きたい。生前と同様あれを守刀に致しとうございます・・・・』とお頼みしました。今の世の方々には守刀などと申しても、或いは頭に力強く響かぬものかも存じませぬが、私共の時代には、守刀はつまり女の魂、自分の生命から二番目の大切な品物だったのでございます。
神様もこの私の願を無理からぬ事と思し召されたか、快くお引き受けしてくださいました。そして例の通り、ちょっと精神の統一をして私の墓を透視されましたが、直ぐにお判りになったものと見え『フムその懐剣なら確かに彼処(かしこ)に見えている。宜しい神界のお許しを願って、取り寄せてつかわす・・・』
そう言われたかと見ると、次の瞬間には、お爺さまの手の中に、私の世にも懐かしい懐剣が握られておりました。無論それは言わば刀の精だけで、現世の刀ではないのでございましょうが、しかしいかに調べてみても、金粉を散らした、濃い朱塗りの装具といい、又それを包んだ真紅の錦襴(きんらん)の袋といい、生前現世で手慣れたものに寸分の相違もないのでした。私は心から嬉しくお爺様に厚くお礼を申し上げました。
私は右の懐剣を現在とても大切に所持しております。そして修行の時にはいつもこれを御鏡の前に備えることにしておるのでございます。
これなどは、一段も二段も上の方から御覧になれば、やはり一種の執着と言われるかも存じませぬが、私共の境涯では、どうしてもまだこうした執着からは離れ切れないのでございます。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
体がなくなって、こちらの世界に引き移って来ても、現世の執着が容易に除れるものでない事は、既に申し上げましたが、ついでにモー少しここで自分の罪過を申し上げておくことに致しましょう。口頭ですっかり悟ったようなことを申すのは何でもありませぬが、実地に当たってみると思いの外に心の垢の多いのが人間の常でございます。私も時々こちらの世界で、現世生活中に大変名高かった方々にお会いすることがございますが、そう綺麗に魂の磨かれた方ばかりも見当たりませぬ。『あんな名僧知識と謳われた方がまだこんな薄暗い境涯に居るのかしら・・・・』時々意外に感ずるような場合もあるのでございます。
さてお約束の懺悔でございますが、私にとりて、何より身に染みているのを一つお話し致しましょう。それは私の守刀の物語でございます。忘れもしませぬ、それは私が三浦家へ嫁入りする折のことでございました、母は一振りの懐剣を私に手渡し、
『これは由緒ある御方から母が拝領の懐剣であるが、そなたの一生の慶事の記念に、守刀としてお譲りします。肌身離さず大切に所持してもらいます・・・・・』
両目に涙を一杯溜めて、真心籠めて渡された記念の懐剣-それは刀身といい、又装具といい、誠に申し分のない、立派なものでございましたが、しかし私にとりましては、懐剣そのものよりも、それが懐かしい母の形見であることが、他の何物にも代えられぬ程大切なのでございました。私は一生涯その懐刀を自分の魂と思って肌身に付けていたのでした。
いよいよ私の病勢が重なって、もうとても難しいと思われました時に、私は枕辺に座っておられる母に向かって頼みました。『私の懐剣はどうぞこのまま私と一緒に棺の中に納めて頂きとうございますが・・・』すると母は即座に私の願いを容れて、『その通りにしてあげますから安心するように・・・・』と、私の耳元に口を寄せて力強く囁いてくださいました。
私がこちらの世界に眼を覚ました時に、私は不図右の事柄を想い出しました。『母はあんなに固く請合ってくだされたが、果して懐剣が遺骸と一緒に墓に収めてあるかしら・・・・』そう思うと私はどうしてもそれが気懸かりで気懸かりで堪らなくなりました。とうとう私はある日指導役のお爺様に一部始終を物語り、『もしもあの懐剣が、私の墓に収めてあるものなら、どうぞこちらに取り寄せて頂きたい。生前と同様あれを守刀に致しとうございます・・・・』とお頼みしました。今の世の方々には守刀などと申しても、或いは頭に力強く響かぬものかも存じませぬが、私共の時代には、守刀はつまり女の魂、自分の生命から二番目の大切な品物だったのでございます。
神様もこの私の願を無理からぬ事と思し召されたか、快くお引き受けしてくださいました。そして例の通り、ちょっと精神の統一をして私の墓を透視されましたが、直ぐにお判りになったものと見え『フムその懐剣なら確かに彼処(かしこ)に見えている。宜しい神界のお許しを願って、取り寄せてつかわす・・・』
そう言われたかと見ると、次の瞬間には、お爺さまの手の中に、私の世にも懐かしい懐剣が握られておりました。無論それは言わば刀の精だけで、現世の刀ではないのでございましょうが、しかしいかに調べてみても、金粉を散らした、濃い朱塗りの装具といい、又それを包んだ真紅の錦襴(きんらん)の袋といい、生前現世で手慣れたものに寸分の相違もないのでした。私は心から嬉しくお爺様に厚くお礼を申し上げました。
私は右の懐剣を現在とても大切に所持しております。そして修行の時にはいつもこれを御鏡の前に備えることにしておるのでございます。
これなどは、一段も二段も上の方から御覧になれば、やはり一種の執着と言われるかも存じませぬが、私共の境涯では、どうしてもまだこうした執着からは離れ切れないのでございます。