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自殺してはならない霊的な理由

★『小桜姫物語』

自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 いよいよこれから、こちらの世界のお話になりますが、最初はまだ半分足を現世にかけているようなもので、やはり娑婆臭い、お聞き苦しい事実ばかり申し上げることになりそうでございます。-ナニその方が人間味があって却って面白いと仰るか・・・。御冗談でございましょう。話すものの身になれば、こんな辛い、恥ずかしいことはないのです・・・・。
 これは後で神様から聞かされた事でございますが、私はやはり、自力で自然に眼を覚ましたというよりか、神様のお力で眼を覚まさして頂いたのだそうでございます。その神さまというのは、大国主神(おおくにぬしのかみ)様のお指図を受けて、新しい帰幽者の世話をして下さる方なのでございます。これにつきては後で詳しく申し上げますが、兎に角新たに幽界に入ったもので、こういった神のお神使、西洋で申す天使のお世話に預からないものは一人もございませんので・・・・。
 幽界で眼を覚ました瞬間の気分でございますか。それはうっとりと夢でも見ているような気持、そのくせ、何やら心の奥の方で『自分の居る世界はモー違っている・・・・』と言った、微かな自覚があるのです。四辺は夕暮れの色に包まれた、いかにも森閑とした、丁度山寺にでも寝ているような感じでございます。
 そうする中に私の意識は少しずつ回復してまいりました。
 『自分はとうとう死んでしまったのか・・・・・』
 死の自覚が頭脳の内部ではっきりすると同時に、私は次第に激しい昂奮の暴風雨の中に巻き込まれて行きました。私が先ず何より辛く感じたのは、後に残した、老いたる両親のことでした。散々苦労ばかりかけて、何の報いるところもなく、若い身上で、先立ってこちらへ引越してしまった親不幸の罪、こればかりは全く身を切られるような思いがするのでした。『済みませぬ済みませぬ、どうぞどうぞお許しくださいませ・・・・』何回私はそれを繰り返して血の涙に咽んだことでしょう!
 そうする中にも私の心は更に他の様々の暗い考えに搔き乱されました。『親にさえ背いて折角三浦の土地に踏み止まりながら、自分は遂に何の仕出かしたこともなかった!なんという不甲斐なさ・・・・なんという不運の身の上・・・・口惜しい・・・・悲しい・・・・情けない・・・・』何が何やら頭脳の中はただごちゃごちゃするのみでした。
 そうかと思えば、次の瞬間には、私はこれから先の未知の世界の心細さに戦慄しているのでした。『誰も迎えに来てくれるものはないのかしら・・・』私はまるで真っ暗闇の底無しの井戸の内部へでも突き落とされたように感ずるのでした。
 殆ど気でも狂うかと思われました時に、ひょっくりと私の枕辺に一人の老人が姿を現しました。身には平袖の白衣を着て、帯を前で結び、何やら絵で見覚えの天人らしい姿、そして何ともいえぬ威厳と温情との兼ね具わった、神々しい表情でじっと私を見つめておられます。『一体これは誰かしら・・・・』心は千々に乱れながらも、私は多少の好奇心を催さずにおられませんでした。
 このお方こそ、前に私がちょっと申し上げた大国主神様からのお神使なのでございます。私はこのお方の一方ならぬ導きによりて、辛くも心の闇から救い上げられ、尚その上に天眼通その他の能力を仕込まれて、ドーやらこちらの世界で一人立ちが出来るようになったのでございます。これは前にも述べた通り、決して私にのみ限ったことではなく、どなたでも皆神様のお世話になるのでございますが、ただ身魂の因縁とでも申しましょうか、めいめいの踏むべき道筋は違います。私などは随分厳しい、険しい道を踏まねばならなかった一人で、苦労も一しほ多かったばかりに、幾分か他の方より早く明るい世界に抜け出ることにもなりました。ここで念の為に申し上げておきますが、私を指導してくだすった神様は、お姿は普通の老人の姿を執っておられますが、実は人間ではございませぬ。つまり最初から生き通しの神、あなた方の自然霊というものなのです。こう言った方のほうが、新しい帰幽者を指導するのに、まつわる何の情実もなくて、人霊よりもよほど具合が宜しいと申すことでございます。
       
       
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自殺ダメ


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 私がお神使の神様から真っ先に言い聞かされたお言葉は、今ではあまりよく覚えてもおりませぬが、大体こんなような意味のものでございました。-
 『そなたはしきりに先刻から現世の事を思い出して、悲嘆の涙に暮れているが、何事がありても再び現世に戻ることだけは叶わぬのじゃ。そんなことばかり考えていると、良い境涯へはとても進めぬぞ!これからはワシがそなたの指導役、何事もよく聞き分けて、尊い神様の裔孫(みすえ)としての御名を汚さぬよう、一時も早く役にも立たぬ現世の執着から離れるよう、しっかりと修行をしてもらいますぞ!執着が残っている限り何事も駄目じゃ・・・・』
 が、その場合の私には、こうした神様のお言葉などは殆ど耳にも入りませんでした。私は色々の難題を持ち出して散々神様を困らせました。お恥ずかしいことながら、罪滅ぼしのつもりで一つ二つここで懺悔いたしておきます。
 私が持ちかけた難題の一つは、早く良人に会いたいという注文でございました。『現世で怨みが晴らせなかったから、良人と二人力を合わせて怨霊となり、せめて仇敵を取り殺してやりたい・・・・』-これが神さまに向かってのお願いなのでございますから、神さまもさぞ呆れ返ってしまわれたことでしょう。勿論、神様はそんな注文に応じてくださる筈はございませぬ。『他人を怨むことは何より罪深い仕業であるから許すことは出来ぬ。又良人には現世の執着が除れた時に、機会を見て会わせてつかわす・・・』いとも穏やかに大体そんな意味のことを諭されました。もう一つ私が神様にお願いしたのは、自分の遺骸を見せてくれとの注文でございました。当時の私には、せめて一度でも眼前に自分の遺骸を見なければ、何やら夢でも見ているような気持で、諦めがつかなくなって仕方がないのでした。神様は暫し考えておられたが、とうとう私の願いを容れて、あの諸磯の隠宅の一間に横たわったままの、私の遺骸をまざまざと見せてくださいました。あの痩せた、蒼白い、まるで幽霊のような醜い自分の姿-私は一目見てぞっとしてしまいました。『モー結構でございます』覚えずそう言って御免を蒙ってしまいましたが、この事は大変私の心を落ち着かせるのに効能があったようでございました。
 まだ外にも色々ありますが、あまりにも愚かしい事のみでございますので、一先ずこれで切り上げさせて頂きます。現在の私とて、まだまだ一向駄目でございますが、帰幽当座の私などはまるで醜い執着の凝塊、只今思い出しても顔が赤らんでしまいます・・・。
 兎に角神様もこんな聞き分けのない私の処置にはほとほとお手を焼かれたらしく、色々と手をかえ、品をかえて御指導の労を執ってくださいましたが、やがて私の祖父・・・・私より十年程前に亡くなりました祖父を連れて来て、私の説諭を仰せ付けられました。何しろとても会われないものと思い込んでいた肉親の祖父が、元の通りの慈愛に溢れた温容で、泣き悶えている私の枕辺のひょっくりとその姿を現したのですから、その時の私の嬉しさ、心強さ!
 『まあお爺さまでございますか!』私は覚えず跳び起きて、祖父の肩に取り縋ってしまいました。帰幽後私の暗い暗い心胸に一点の光明が射したのは実にこの時が最初でございました。
 祖父は様々に私を労わり、且つ励ましてくれました。-
 『そなたも若いのに亡くなって、誠に気の毒なことであるが、世の中は全て老少不定、寿命ばかりは何とも致し方がない。これから先はこの祖父も神様のお手伝いとして、そなたの手引きをして、是非ともそなたを立派なものに仕上げて見せるから、こちらへ来たとて決して決して心細いことも、又心配なこともない。請合って、他の人達よりも幸福なものにしてあげる・・・・』
 祖父の言葉には格別これと取り立てて言う程のこともないのですが、場合が場合なので、それは丁度しとしとと降る春雨の乾いた地面に浸みるように、私の荒んだ胸に融け込んで行きました。お蔭で私はそれから幾分心の落ち着きを取り戻し、神様の仰せにも段々従うようになりました。人を見て法を説けとやら、こんな場合にはやはり段違いの神様よりも、お馴染みの祖父の方が、却って都合のよいこともあるものと見えます。私の祖父の年齢でございますか-確か祖父は七十余りで亡くなりました。色白で細面で、小柄の老人で、歯は一本なしに抜けておりました。生前は薄い頭髪を茶筅(ちゃせん)に結っていましたが、幽界で私の許に訪れた時は、意外にもすっかり頭を丸めておりました。私と違って祖父は熱心な仏教の信仰者だった為でございましょう・・・・・。
       
       
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 話が少し後に戻りますが、この辺で一つ取り纏めて私の最初の修行場、つまり、私がこちらの世界で真っ先に置かれました境涯につきて、一通り申し述べおくことに致したいと存じます。実は私自身も、初めてこちらの世界に眼を覚ました当座は、唯一途に口惜しいやら、悲しいやらで胸が一杯で、自分の居る場所がどんな所かというような事に、注意するだけの心の余裕とてもなかったのでございます。それに四辺が妙に薄暗くて気が滅入るようで、誰しもあんな境遇に置かれたら、恐らくあまり朗らかな気分にはなれそうもないかと考えられるのでございます。
 が、その中、あの最初の精神の暴風雨が次第に収まるにつれて、私の傷付けられた頭脳にも少しずつ人心地が出てまいりました。うとうとしながら私は考えました。-
 『私は今こうして、たった一人ぼっちで寝ているが、一体ここはどんな所かしら・・・・。私が死んだものとすれば、ここはやはり冥途とやらに相違ないであろうが、しかし私は三途の川らしいものを渡った覚えはない・・・・閻魔様らしいものに会った様子もない・・・何が何やらさっぱり腑に落ちない。モー少し光明が射してくれると良いのだが・・・』
 私は少し枕から頭部をもたげて、覚束(おぼつか)ない目つきをして、あちこち見回したのでございます。最初は、何やらモヤでもかかっているようで、物のけじめも判りかねましたが、その中不図何処からともなしに、一條の光明が射し込んで来ると同時に、自分の置かれている所が、一つの大きな洞穴-岩屋の内部であることに気付きました。私は少なからずびっくりしました。-
 『オヤオヤ!私は不思議な所に居る・・・・私は夢を見ているのかしら・・・・それともここは私の墓場かしら・・・』
 私は全く途方に暮れ、泣くにも泣かれないような気持で、ひしと枕に噛り付くより外に詮術もないのでした。
 その時不意に私の枕辺近くお姿を現して、色々と有り難い慰めのお言葉をかけ、又何くれと詳しい説明をしてくだされたのは、例の私の指導役の神様でした。痒い所へ手が届くと申しましょうか、神様の方では、いつもチャーンとこちらの胸の中を見透かしていて、時と場合にぴったり当てはまった事を説き聞かせてくださるのでございますから、どんな判りの悪い者でも最後には大人しく耳を傾けることになってしまいます。私などは随分我執の強い方でございますが、それでも段々感化されて、肉親のお祖父様のようにお慕い申し上げ、勿体ないとは知りつつも、私はいつしかこの神様を『お爺さま』とお呼び申し上げるようになってしまいました。前にも申し上げた通り私のような者がドーやら一人前のものになることが出来ましたのは、偏(ひとえ)にお爺さまのお仕込みの賜物でございます。全く世の中に神様ほど有り難いものはございませぬ。善きにつけ、悪しきにつけ、影身に添いて、人知れず何かとお世話を焼いてくださるのでございます。それがよく判らないばかりに、兎角人間は我儘が出たり、慢心が出たり、飛んだ過失をしでかすことにもなりますので・・・。これはこちらの世界に引越してみると、段々判ってまいります。
 うっかりつまらぬ事を申し上げお手間を取らせました。私は急いで、あの時、神様が幽界の修行の事、その他について私に言い聞かせて下されたお話の要点を申し上げることに致しましょう。それは大体こうでございました。-
 『そなたには今岩屋の内部に居ることに気付いて、色々思い惑っているらしいが、この岩屋は神界に於いて、そなたの修行の為に特にこしらえてくだされた、有り難い道場であるから、当分ここでみっしり修行を積み、早く上の境涯へ進む工夫をせねばならぬ。勿論ここは墓場ではない。墓は現界のもので、こちらの世界に墓はない・・・。現在そなたの眼にはこの岩屋が薄暗く感じるであろうが、これは修行が積むにつれて自然に明るくなる。幽界では、暗いも、明るいも全てその人の器量次第、心の明るいものは何処に居ても明るく、心の暗いものは、何処へ行っても暗い・・・。先刻そなたは三途の川や、閻魔様の事を考えていたらしいが、あれは仏者の方便である。嘘でもないが又事実でもない。あのようなものを見せるのはいと容易いが、ただ我が国の神の道として、一切方便は使わぬことにしてある・・・。そなたはただ一人この道場に住むことを心細いと思うてはならぬ。入口には注連縄が張ってあるので、悪魔外道の類は絶対に入ることは出来ぬ。又たとえ何事が起こっても、神の眼はいつも見張っているから、少しも不安を感ずるには及ばぬ・・・・。全て修行場は人によりてめいめい違う。家屋の内部に置かるるものもあれば、山の中に置かるる者もある。親子夫婦の間柄でも、一所には決して住むものでない。その天分なり、行状なりが各自違うからである。但し会おうと思えば差し支えない限りいつでも会える・・・・』
 一応お話が終わった時に、神様はやおら私の手を執って、助け起してくださいました。『そなたも一つ元気を出して、歩いてみるがよい。病気は肉体のもので、魂に病気はない。これから岩屋の模様を見せてつかわす・・・・・』
 私はついふらふらと起き上がりましたが、不思議にそれっきり病人らしい気持が失せてしまい、同時に今まで敷いてあった寝具類も煙のように消えてしまいました。私はその瞬間から現在に至るまで、ただの一度も寝床の上に寝たいと思った覚えはございませぬ。
 それから私は神様に導かれて、あちこち歩いてみて、すっかり岩屋の内外の模様を知ることが出来ました。岩屋はかなり大きなもので、高さと幅はおよそ三、四間、奥行は十間余りもございましょうか。そして中央の所がちょっと折れ曲がって、斜めに外に出るようになっております。岩屋の所在地は、相当に高い、岩山の麓で、山の裾をくり抜いて造ったものでございました。入口に立って四辺を見ると、見渡す限り山ばかりで、海も川も一つも見えません。現界の景色と比べて別に格段の相違もありませぬが、ただこちらの景色の方がどことなく清らかで、そして奥深い感じが致しました。
 岩屋の入口には、神様の言われました通り、果して新しい注連縄が一筋張ってありました。
       
       
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 一通り見物が済むと、私達は再び岩屋の内部へ戻って来ました。すると神様は私に向かい、早速修行のことにつきて、噛んでくくめるように色々と説き諭してくださるのでした。
 『これからのそなたの生活は、現世のそれとはすっかり趣が変わるから一時も早くそのつもりになってもらわねばならぬ。現世の生活にありては、主なるものが衣食住の苦労、大概の人間はただそれっきりの事にあくせくして一生を過ごしてしまうのであるが、こちらでは衣食住の心配は全然ない。大体肉体あっての衣食住で、肉体を棄てた幽界の住人は、出来るだけ早くそうした地上の考えを頭脳の中から払い除ける工夫をせなければならぬ。それからこちらの住人として何より慎まねばならぬは、怨み、そねみ、又諸々の欲望・・・・そう言ったものに心を奪われるが最後、つまりは幽界の亡者として、いつまで経っても浮かぶ瀬はないことになる。で、こちらの世界で、何よりも大切な修行というのは精神の統一で、精神統一以外には殆ど何物もないといえる。つまりこれは一心不乱に神様を念じ、神様と自分とを一体に纏めてしまって、他の一切の雑念妄想を払い除ける工夫なのであるが、実地にやってみると、これは思いの外に難しい仕事で、少しの油断があれば、姿はいかに殊勝らしく神様の前に座っていても、心はいつしか悪魔の胸に通っている。中身よりも外形を尊ぶ現世の人の眼には、それで結構眩ませることが出来ても、こちらの世界ではその誤魔化しは利かぬ。全ては皆神の眼に映り、又或る程度お互いの眼にも映る・・・・・。で、これからそなたも早速この精神統一の修行にかからねばならぬが、勿論最初から完全を望むのは無理で、従って或る程度の過失は見逃しもするが、眼にあまる所はその都度厳しく注意を与えるから、そなたもその覚悟でいてもらいたい。又何ぞ望みがあるなら、今の中に遠慮なく申し出るがよい。無理のないことであるなら全て許すつもりであるから・・・・・』
 漸く寝床を離れたと思えば、モーすぐこのような厳しい修行のお催促で、その時の私は随分辛いことだ、と思いました。その後こちらで様子を窺っておりますと、人によりては随分寛いだ取り扱いを受け、まるで夢のような、呑気らしい生活を送っているものも沢山見受けられますが、これはドーいう訳か私にもよく判りませぬ。私などはとりわけ、厳しい修行を仰せ付けられた一人のようで、自分ながら不思議でなりませぬ。やはりこれも身魂の因縁とやら申すものでございましょうか・・・・。
 それは兎も角も、私は神様から何ぞ望みのものを言えと言われ、色々と考え抜いた末にたった一つだけ注文を出しました。-
 『お爺さま、どうぞ私に一つの御神鏡を授けて頂きとう存じます。私はそれを御神体としてその前で精神統一の修行を致そうと思います。何かの目標がないと、私にはとても神様を拝むような気分になれそうもございませぬ・・・・』
 『それは至極もっともな願いじゃ、直ちにそれを頂いてつかわす』
 お爺様は快く私の願いを入れ、ちょっとあちらを向いて黙祷されましたが、モー次の瞬間には、白木の台座の付いた、一体の御鏡がお爺さまの掌に載っていました。右の御鏡は早速岩屋の奥の、程よき高さの壁の凹所に据えられ、私の礼拝の最も神聖な目標となりました。それからモー四百余年、私の境涯はその間に幾度も幾度も変わりましたが、しかし私は今も尚その時頂いた御鏡の前で静座黙祷を続けておるのでございます。
       
       
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 参考の為に少し幽界の修行の模様を聞きたいと仰いますか・・・。宜しうございます。私の存じていることは何なりとお話致しますが、しかし現界でやるのと格別の相違もございますまい。私達とてやはり御神前に静座して、心に天照大御神様の御名を唱え、又八百万の神々にお願いして、出来るだけ汚い考えを払い除ける事に精神を打ち込むのでございます。もとより肉体はないのですから、現世でやるような、斎戒沐浴は致しませぬ。ただ斎戒沐浴をしたと同一の清らかな気持になればよいのでございまして・・・。
 それで、本当に深い深い統一状態に入ったとなりますと、私共の姿はただ一つの球になります。ここが現世の修行と幽界の修行との一番目立った相違点かも知れませぬ。人間ではどんなに深い統一に入っても、体が残ります。いかに御本人が心で無と観じましても、側から観れば、その姿はチャーンとそこに見えております。しかるに、こちらでは、本当の精神統一に入れば、人間らしい姿は消え失せて、側から覗いても、たった一つの白っぽい球の形しか見えませぬ。人間らしい姿が残っているようでは、まだ修行が積んでない何よりの証拠なのでございます。『そなたの、その醜い姿は何じゃ!まだ執着が強過ぎるぞ・・・・』私は何度醜い姿をお爺さまに見つけられてお叱言を頂戴したか知れませぬ。自分でも、こんな事では駄目であると思い返して、一生懸命神様を念じて、あくまで清らかな気分を続けようと焦るのでございますが、焦れば焦る程、チラリチラリと暗い影が射して来て統一を妨げてしまいます。私の岩屋の修行というのは、つまりこうした失敗とお𠮟言の繰り返しで、自分ながらほとほと愛想が尽きる位でございました。私というものはよくよく執着の強い、罪の深い、女性だったのでございましょう。-この生活が何年位続いたかとのお訊ねでございますか・・・。自分では一切夢中で、さほど永いとも覚えませんでしたが、後でお爺さまから伺いますと、私の岩屋の修行は現世の年数にして、ざっと二十年余りだったとの事でございます。
 現世的執着の中で、私にとりて、何よりも断ち切るのに骨が折れましたのは、前申す通りやはり、血を分けた両親に対する恩愛でございました。現世で何一つ孝行らしい事もせず、ただ一人先立ってこちらの世界に引越してしまったのかと考えますと、何とも言えず辛く、悲しく、残り惜しく、相済まなく、座しても立ってもおられないように感ぜられるのでございました。人間何が辛いと申しても、親と子とが順序を変えて死ぬる程、辛いことはないように思われます。無論私には良人に対する執着もございました。しかし良人は私よりも先に亡くなっており、それに又神さまが、時節が来れば会わしてもやると申されましたので、そちらの方の観念は割合早くつきました。ただ現世に残した父母の事はどう焦りましても諦め兼ねて悩み抜きました。そんな場合には、神様も、精神統一も、まるきりあったものではございませぬ。私はよく間近の岩へ噛り付いて、悶え泣きに泣き入りました。そんな真似をしたところで、一旦死んだ者が、とても現世へ戻れるものでない事は充分承知しているのですが、それでやはり止めることが出来ないのでございます。
 しかし何より困るのは、現世に残っている父母の悲嘆が、ひしひしと幽界まで通じて来ることでございました。両親は怠らず、私の墓へ詣でて花や水を手向け、又十日祭とか、五十日祭とか申す日には、その都度神職を招いて丁重なお祭祀をしてくださるのでした。修行未熟の、その時分の私には、現界の光景こそ見えませんでしたが、しかし両親の心に思っておられることは、はっきりとこちらに感じて参るばかりか、『姫や姫や!』と呼びながら、絶え入るばかりに泣き悲しむ母の音声までも響いて来るのでございます。あの時分のことは今思い出しても自ずと涙がこぼれます・・・。
 こう言った親子の情愛などと申すものは、いつまで経っても中々消えて無くなるものではないようで、私は現在でもやはり父は父として懐かしく、母は母として慕わしく感じます。が、不思議なもので、段々修行が積むにつれて、ドーやら情念の発作を打ち消して行くのが上手になるようでございます。それがつまり向上なのでございましょうかしら・・・。
       
       
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