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自殺してはならない霊的な理由

★『小桜姫物語』

自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 あまり多愛のないお話ばかり続きましたので、今度は少しばかり複雑な話・・・一つ願掛けのお話を致してみましょう。この願掛けにはあまり性質の良いのは少なうございます。大抵は男に情婦が出来て夫婦仲が悪くなり、嫉妬のあまりその情婦を呪い殺す、と言ったのが多いようで、偶(たま)には私の所へもそんなのが持ち込まれることもあります。でも私としては、全然そう言った厭らしい祈願にはかかり合わないことにしております。呪詛が利く神は、あれは又別で、正しいものではないのでございます。話の種子としては或いはその方が面白いか存じませぬが、生憎私の手許には一つもその持ち合わせがございませぬ。私の存じておりますのは、ただきれいな願掛けのお話ばかりで、あまり面白くもないと思いますが、一つだけ標本として申し上げることに致しましょう・・・。
 それは或る鎌倉の旧家に起こりました事件で、主人夫婦は漸く五十になるか、ならぬ位の年輩、そして二人の間にたった一人の娘がありました。母親が大変器量よしなので、娘もそれに似てひなに稀なる美人、又才気もはじけており、婦女の道一通りは申し分なく仕込まれておりました。これが年頃になったのでございますから、縁談の口は諸方から雨の降るようにかかりましたが、諺にも、帯に短し襷に長しとやら、中々思う壺にはまったのがないのでございました。
 すると或る時、鎌倉のある所に、能狂言の催しがありまして、親子三人連れでその見物に出掛けました折、ふと間近の席に人品の賤しからぬ若者を見かけました。『これなら娘の婿として恥ずかしくない・・・』両親の方では早くもそれに目星をつけ、それとなく言葉をかけたりしました。娘の方でも、まんざら悪い気持ちもしないのでした。
 それから早速人を頼んで、段々先方の身元を調べてみると、生憎男の方も一人息子で、とても養子には行かれない身分なのでした。これには双方とも大変に困り抜き、何とか良い工夫はないものかと、色々相談を重ねましたが、元々男の方でも女が気に入っており、又女の方でも男が好きだったものでございますので、最後に、『二人の間に子供が出来たらそれをやる』という約束が成り立ちまして、とうとう黄道吉日を選んでめでたく婿入りということになったのでした。
 夫婦仲は至って円満で双方の親達も大そう悦びました。これで間もなく身篭って、男の子でも生まれれば、何のことはないのでございますが、そこがままならぬ浮世の習いで、一年経っても、二年過ぎても、三年が暮れても、ドウしても子供が生まれないので、婿の実家の方ではそろそろ焦り出しました。『この分で行けば家名は断絶する・・・』-そう言って騒ぐのでした。が、三年ではまだ判らないというので、更に二年程待つことになりましたが、しかしそれが過ぎても、やはり懐胎の気配もないので、とうとう実家では我慢がし切れず、止むを得ないから離縁して帰ってもらいたい、ということになってしまいました。
 二人の仲はとても濃(こま)やかで、別れる気などは更になかったのでございますが、その頃は何よりも血筋を重んずる時代でございましたから、お婿さんは無理々々、あたかも生木を裂くようにして、実家へ連れ戻されてしまったのでした。今日の方々は随分無理解な仕打ちと御思いになるか存じませぬが、往時はよくこんな事があったものでございまして・・・。
 兎に角こうして飽きも飽かれもせぬ仲を割かれた娘の、その後の嘆きと言ったら又格別でございました。一月二月と経つ中に、どことはなしに体がすっかり衰えて行き、やがて頭脳が少しおかしくなって、良人の名を呼びながら、夜中に臥床から起き出して歩き回るようなことが、二度も三度も重なるようになってしまいました。
 保養の為に、この娘が一人の老女に付き添われて、三崎の遠い親戚に当たるものの離座敷に引越して参りましたのは、それから間もないことで、ここではしなくも願掛けの話が始まるのでございます。
       
       
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自殺ダメ


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 或る夜社頭の階段の辺に人の気配が致しますので、心を鎮めてこちらから覗いてみますと、そこには二十五、六の若い美しい女が、六十位の老女を連れて立っておりましたが、血走った眼に洗い髪をふり乱している様子は、どうみても只事とは思われないのでした。
 女はやがて階段の下に跪いて、細々と一部始終を物語った上で、『何卒神様のお力で子供を一人お授け下さいませ。それが男の子であろうと、女の子であろうと、決して勝手は申しませぬ・・・』と一心不乱に祈願を籠めるのでした。
 これで一通り女の事情は判ったのでございますが、男の方を調べなければ何とも判断しかねますので、私は直ぐその場で一層深い精神統一状態に入り、仔細にその心の中まで探ってみました。すると男も至って志操の確かな、優しい若者で、他の女などには目もくれず、堅い堅い決心をしていることがよく判りました。
 これで私の方でも真剣に身を入れる気になりましたが、何分にもこんな祈願は、まだ一度も手掛けたことがないものでございますから、どうすれば子供を授けることが出来るのか、更に見当がとれませぬ。よんどころなく私の守護霊に相談をかけてみましたが、あちらでもやはりよく判らないのでございました。
 そうする中にも、女の方では、雨にも風にもめげないで、初夜頃になると必ず願掛けに参り、熱誠を籠めて、早く子供を授けて頂きたいとせがみます。それを聴く私は全く気が気でないのでございました。
 とうとう思案に余りまして、私は指導役のお爺さんに御相談をかけますと、お爺さんからは、こんな御返答がまいりました。-
 『それは結構なことであるから、是非子供を授けてやるがよい。但しその方法は自分で考えなければならぬ。それがつまり修行じゃ。こちらからは教えることは出来ない・・・・』
 私としては、これはとんでもないことになったと思いました。兎に角相手なしに妊娠しないことはよく判っておりますので、とりあえず私は念力を籠めて、あの若者を三崎の方へ呼び寄せることに致しました・・・。つまり男にそう思わせるのでございますが、これは中々並大抵の仕事ではないのでございまして・・・。
 幸いにも私の念力が届き、男はやがて実家から脱け出して、ちょいちょい三崎の女の許へ近付くようになりました。そこで今度は産土の神様にお願いして、その御計らいで首尾よく妊娠させて頂きましたが、これがつまり神の申し子と申すものでございましょう。只その詳しい手続きは私にもよく判りかねますので・・・。
 これで先ず仕事の一段落はつきましたようなものの、ただこのままに棄て置いては、折角の願掛けが叶ったのか、叶わないのかが、さっぱり人間の方に判りませんので、何とかしてそれを先方に通じさせる工夫が要るのでございます。これも指導役のお爺さんから教えられて、私は女が眠っている時に、白い珠を神様から授かる夢を見せてやりました。御存知の通り、白い珠はつまり男の子のしるしなのでございまして・・・。
 女はそれからも引き続いてお宮に日参しました。夢に見た白い球がよほど気掛かりと見えまして、いつもいつも『あれはどういう訳でございますか?』と訊ねるのでございましたが、幽明交通の途が開けていない為に、こればかりは教えてやることは出来ないので甚だ困りました。-が、その中、妊娠ということが次第に判って来たので、夫婦の歓びは一通りでなく、三崎にいる間は、よく二人で連れ立ちてお礼に参りました。
 やがて月満ちて生まれたのは、果たして珠のような、きれいな男の子でございました。俗に神の申し子は弱いなどと申しますが、決してそのようなものではなく、この子も立派に成人して、父親の実家の後を継ぎました。私のところに参る信者の中では、この人達などが一番手堅かった方でございまして・・・。

 こう言った実話は、まだいくらでもございますが、そのおうはさは別の機会に譲り、これからごく簡単に神々のお受持につきて、私の存じているところを申し上げて、一先ずこの通信を打ち切らせて頂きとうございます。
       
       
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 神々のお受持と申しましても、これは私がこちらで実地に見たり、聞いたりしたところを、何の理屈もなしに、ありのまま申し上げるのでございますから、何卒そのおつもりで聞いて頂きます。こんなものでも幾らか皆様の手掛かりになれば何より本望でございます。
 現世の方々が、何は措いても第一に心得て置かねばならぬのは、産土の神様でございましょう。これはつまり土地の御守護に当たるる神様でございまして、その御本体は最初から活き通しの自然霊・・・・つまり龍神様でございます。現に私共の土地の産土様は神明様と申し上げておりますが、やはり龍神様でございまして・・・稀に人霊の場合もあるようにお見受けしますが、その補佐にはやはり龍神様が付いておられます。ドーもこちらの世界のお仕事は、人霊のみではなにかにつけて不便があるのではないかと存じられます。
 さて産土の神様の任務の中で、何より大切なのは、やはり人間の生死の問題でございます。現世の役場では、子供が生まれてから初めて受け付けますが、こちらでは生まれるずっと以前から、それがお判りになっておりますようで、何にしましても、一人の人間が現世に生まれると申すことは、中々重大な事柄でございますから、右の次第は産土の神様から、それぞれ上の神様にお届けがあり、やがて最高の神様のお手許までも達するとの事でございます。申すまでもなく、生まれる人間には必ず一人の守護霊が付けられますが、これも皆上の神界からのお指図で決められるように、承っております。
 それから人間が亡くなる場合にも、第一に受け付けてくださるのが、やはり産土の神様で、誕生のみが決してその受持ちではないのでございます。これは氏子として是非心得ておかねばならぬことと存じられます。もっともそのお仕事はただ受け付けて下さるだけで、直接帰幽者をお引き受け下さいますのは大国主命様(おほくにぬしのみことさま)でございます。産土神様からお届け出がありますと、大国主命様の方では、直ぐに死者の行くべき所を見定め、そしてそれぞれ適当な指導役をお付けくださいますので・・・。指導役はやはり龍神様でございます。人霊では、ややもすれば人情味があり過ぎて、こちらの世界の躾をするのに、あまり面白くないようでございます。私などもやはり一人の龍神さんの御指導に預かったことは、かねがね申し上げております通りで、これは私に限らず、どなたも皆、その御世話になるのでございます。つまり現世では主として守護霊、又幽界では主として指導霊、のお世話になるものとお思いになれば宜しうございます。
 尚生死以外にも産土の神様のお世話に預かることは数限りもございませぬが、ただ産土の神様は言わば万事の切り盛りをなさる総受付のようなもので、実際の仕事には皆それぞれ専門の神様が控えておられます。つまり病気には病気治しの神様、武芸には武芸専門の神様、その外世界中のありとあらゆる仕事は、それぞれ皆受け持ちの神様があるのでございます。人間と申すものは兎角自分の力一つで何でも出来るように考え勝ちでございますが、実は大なり、小なり、皆蔭から神々の御力添えがあるのでございます。
 さすがに日本国は神国と申されるだけ、外国とは違って、それぞれ名の付いた、尊い神社が至る所に見出されます。それ等の御本体を調べてみますと、二通りあるように存じます。一つは優れた人霊を御祭神としたもので、橿原(かしはら)神宮、香椎(かしいの)宮、明治神宮などがそれでございます。又他の一つは活神様を御祭神と致したもので、出雲の大社、鹿島神宮、霧島神宮等がそれでございます。但し、いかに優れた人霊が御本体でありましても、その控えとしては、必ず有力な龍神様がお付遊ばしておられますようで・・・。
 今更申し上げるまでもなく、全ての神々の上には皇孫命様がお控えになっておられます。つまりこの御方が大地の神霊界の主宰神におわしますので・・・・。更にそのモー一つ奥には、天照大御神がお控えになっておられますが、それは高天原・・・つまり宇宙の主宰神におわしまして、とても私共から測り知ることの出来ない、尊い神様なのでございます・・・・。
 神界の組織はざっと右申し上げたようなところでございます。これ等の神々の外に、この国には観音様とか、不動様とか、その他様々のものがございますが、私がこちらで実地に調べたところでは、それはただ途中の相違・・・つまり幽界の下層におる眷族が、かれこれ区別を立てているだけのもので、奥の方は皆一つなのでございます。富士山に登りますにも、道は色々つけてございます。教えの道もやはりそうした訳のものではなかろうかと存じられます。では一と先ずこれで・・・・。
(完結)
       
       
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小桜姫は実在の人 守護霊と私

 浅野多慶子

 そもそも小桜姫という女性を霊視したのは大正五年の春の頃でございます。当時私は、横須賀に住み、神の存在すら知らず、ごく平凡な毎日を送っておりました。
 相州走水神社に参拝の折、「弟橘姫の命により、この石笛を、小桜姫に賜う」との霊視の下に、境内にて二つ穴の開いた、拳大の石を拾いましたが、ただ不思議な事と思いつつ、そのまま意味を深く考えもせず過ごしてしまいました。
 時を経て、昭和四年春に至り、愛児新樹の突然の死により、霊界との通信を始める事になりました。霊界からの新樹の、たっての希望により、私が、受信する事になりましたが驚くべき事には、子桜姫も、通信を送り、霊界より、協力したいとの、お申し出がございました。当時、私共は、この通信を受ける為日々、精進に努めました。あの石笛の清澄な響の内に、深い深い統一に入るという状態を得るのは、並々ならぬ事でございました。子桜姫は、私の守護霊であるという事は、その頃になって、新樹より知らされました。
 子供は、母の守護霊を度々訪問致し、親しみを抱きながら、霊界の探求に勤しみました。その有様は、幽明を異にしていても、現世と少しも、変わりませんでした。
 子桜姫は、お読み下さいます通り、神社に祀られておられます。三浦の何処の地か、全く判りませんでした。
 昭和五年の春、岡田氏、主人(浅野和三郎)と、私、娘(美智子)と四人連れで、神社を探しに出向きました。
 あちらこちら、それらしき森を訪ね歩き、最後に、油壺の岩場の対岸に、神社と思われるただ住まいを発見、折よく、猟師に頼み、渡してもらいました。
 鳥居の奥には、神社が正面に、その左右に小さな社がございました。向かって左の社に、額づきますと、子桜姫が、鎮座遊ばすお姿に接し、「ここが、子桜姫のお社です」と、思わず、喜びの声をあげてしまいました。その時、浜にいた古老も、子桜姫をお祀りしてあると申しておりました。
 心霊講座に紹介してございます外国の物理現象、霊言現象、その他の心霊現象について、主人が、英国、米国よりの帰朝論文を発表致して、待つ間もなく、日本にも、多数の霊媒が現れました。東京、大阪、名古屋、その他の都市における講演会、物理実験会は、世間の学者、名士の御理解を深め、今から、思いますと、日本の心霊研究の、一番充実した時期であったと思われます。多事多難の研究に、子桜姫の御助力を賜りつつ、八年に及ぶ膨大な通信は、その折々の、問題解決の諸になりました。
 通信も、回を重ね、霊界通信として、出版の運びになりました。安住画伯の筆になる、姫の御姿は、数ある内で一番良いのを選び、表紙となりました。昭和十二年二月に、出版される直前に、主人(浅野和三郎)は急逝致しました。出版は、当時大変な反響を呼びました。以後読者が、全国より、子桜神社に参拝されております。又、子桜姫と私との間には、以後、多方面にわたり、霊界通信が続きました。
 折から、私も齢八十六歳となりました。昭和四十四年秋、横須賀、衣笠城跡に在住の、岩間尹先生の御訪問を受けました。
 先生は、現在、日本の国史研究の権威として、日本をはじめ、欧米諸国にまで知られ、著書も多数にて、五十年にわたって、史実の研究に努力をされている方です。
 また先生は、三浦直系四十一代、三浦一族会長として、活躍をされております。
 先生は、十年位前より、一週に一度又は二度、美しい婦人の訪問を、枕辺で受け続けていました。時刻は午前一時より二時までの丑の刻で、夢の中の婦人は、身分の高い三十歳位の美しい方で、お召になっている衣装の色や形、態度、表情等、霊界通信の中の子桜姫物語の姫と、あまりにも一致する点が多いので、史実的に調査をしたい旨の御相談でございました。
 以後、三浦一族の研究として子桜姫様をお祀りしてある諸磯の若宮様、墓所、慰霊の仏像、その他姫にゆかりのあるお地蔵様、馬頭観音等、また津波の件は霊界通信と史実が、一致すること、姫の御実家、鎌倉浄明寺の屋敷跡の確認、と数々の発見に、子桜姫は、三浦荒次郎の奥方として、確かに実在していたという調査結果が出ました。

 「三浦氏十七代の三浦介義意の夫人子桜姫殿に昭和四十四年十二月二十四日丑の刻に別紙の通り、おくりなを致しました。然らば、明年好月好日に、諸磯の神明社の若宮に鎮めまするが最もよろしいと存じますので御承知下さい。

 岩間尹

 昭和四十四年十二月二十四日

 おくりな

 三浦都比花開美女命(ミウラツコノハナサクヤヒメノミコト)

 この一族会のお便りによりますと、その当時のしきたりで、お子様に恵まれず、早く世を去られました子桜姫は、三浦家の系図に記入されておりませんでした。
 その様な事情で、子桜姫は実在したという事を証明する為、十年の歳月にわたり出現されていたと思われます。
 明けて昭和四十五年一月五日、再び丑の刻に出現され、「私は子桜姫です。もうこれにて出て参りません」との一言を残して立ち去る後姿を、淋しい心地で御送りしたとの事です。
 十年の夢路に通った人の表情は、落城当時の悔しい悲しい面影は少しもなく、極く穏やかな、やさしい表情でいられました由、長い長い霊界生活の内に何の執着も打ち捨て、実在したという事を、知らせる為、出現されたものと姫の御心中を察し、ただただ涙に暮れるばかりでございます。
 姫の御召物は、当時の形にて、薄い藤色や、空色の美しい事、額には、眉墨をつけておられました。
 目下諸磯に鎮座まします若宮様は、幾星霜変わらぬ潮の香に包まれ祀られております。
 霊魂不滅、死後の存続を、姫の御性格そのまま控え目に、しかも正しく、この昭和の時代にお知らせ下さいました事、心より褒め称えたく存じます。
 この拙い筆を書き残して、私のなすべき一生の使命は、八十八歳の天寿を全うして、終わりを告げる事でございましょう。
 昭和四十六年五月五日 節句の日

 いにしえの姫神したいおとづれば 苔むす宮居に何と語らむ

 多慶子

 注 母・多慶子は虫が知らせるという話そのままに、これを書き終り、米寿の祝を終え、すぐ床につき亡くなりました。昭和四十六年八月二日歿。

 (長女・秋山美智子)
       
       
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 多慶子夫人の守護霊が《小桜姫》の名で知られる、戦国時代の武将・三浦荒次郎の妻であることは浅野氏による『小桜姫物語』で広く知られているが、その夫人が霊媒となり浅野氏が審神者(さにわ)となって入手した膨大な量の霊言通信がその根拠となっているにもかかわらず、多慶子夫人ご自身は米寿(八十八歳)を迎える前年の昭和四十四年(1969)までは実感をもってそのことを信じたことはなかったという。「なぜ?」と驚かれる方が少なくないことであろう。
 夫人は霊媒のタイプとしては入神霊媒、英語でいうトランス霊媒 Trance Mediumの部類に入るが、生涯この子桜姫と名乗る霊以外の霊が喋ったことはない。子桜姫が最初で最後だったということであるが、トランス状態から通常意識に戻った時、トランス中のことは夫人自身には何一つ記憶がない。従って子桜姫がいくら自分はこの女性の守護霊ですと述べても、夫人は浅野氏からそう言われて「そうなのか」と思っただけで、何の感慨もなかったという。そんな中、昭和四十四年、即ち浅野氏が他界して三十二年が経って、《三浦一族会》の会長を名乗る岩間 尹氏が浅野家を訪ねて来た。そして、次のような興味津々の心霊話を語った。
 ある夜の丑三つ時(二時)頃、ふと目が覚めると、平安朝風の着物を纏った美しい女性が数メートル先に伏目がちの姿勢で座っているのが目に入った。誰だろうと思っている内に消え入るように見えなくなった。何かの錯覚だろうと思いながらその夜は直ぐに寝入った。が、翌日の夜もほぼ同じ時刻に目が覚めて同じ映像を見た。違うのは前夜より少し近付いていて、見えた時間も少し長かったことである。次の夜も、更に次の夜も同じことが続き、距離と時間が日毎に延び、姿勢もキチンと正し、数日後にはついに口を開いて、自分は横浜の鶴見に住む浅野多慶子という未亡人の守護霊で、地上時代は三浦荒次郎の妻だったという趣旨のことを述べたという。
 多慶子夫人はこの話を聞いた時初めて、死後の世界と守護霊の実在に得心がいったという。応接間で撮ったハガキ大の岩間氏の写真の裏には「昭和四十四年十一月二十五日 三浦一族会長 岩間 尹先生 七十五才」という、多慶子夫人直筆の記入がある。よほど嬉しかったのであろう。
       
       
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