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カテゴリ: ★『私の霊界紀行』

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 フォックス氏は夢と幽体離脱体験との相互関係を論じている。彼は体験希望者に、夢を見ている最中に〝アラ探しの感覚〟を駆使する訓練をするよう奨励する。夢であれば必ずどこかに辻褄の合わないところがあるので夢であることが分かる。するとそれが〝体験夢〟-意識的な夢へと移行し、そこに新たな意識のレベルが出来上がる。
 又彼は夢からの見せ掛けの覚醒があることを指摘する。つまり自分では目覚めているつもりでも、実際はトランス状態にあり、経験したことのない感覚を伴っているという。意識的離脱体験は純粋に精神的なものであるというのが彼の持論である。
 彼は離脱中に自分の幽体を見ることが出来る。見たところでは色んな衣服を纏っていて、裸の姿を見たことは一度もないという。が、自分の肉体も、それからシルバーコードも一度も見たことがないという。肉体から離脱する時は頭部の小さい〝通風孔〟から出て行く感じがするというが、同じことを言う人が他にも多い。これは、トンネル又は煙突のような抜け穴から出て行く感じがするという報告とも関連がありそうである。
 他の体験者と同じくフォックス氏も離脱中の体験に実体感があり夢とは全く異質のものである点を強調する一人である。氏の体験は全て主観的なものばかりであるが、一度だけ客観的実証性をもった体験をしている。ある夜、氏の友人の女性が幽体で訪れた。彼にはその女性の姿が明確に見えたし、女性の方も後でそれを回想して部屋の様子や家具について驚く程細かく叙述した。普段一度も訪れたことがないのに正確だった。別の機会に、代わってフォックス氏の方からその女性の家を早朝に訪れたが、女性の方はそのことを憶えていたのに、氏は回想出来なかったという。

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 イーラム氏の著書は1912年に始まった体験を基礎にしている。二、三年前に他界されたと聞いているが、本名その他、私的な細かい事は家族の要望で公表されていない。
 その著書によると彼は離脱能力の開発の為に精神統一、呼吸法、弛緩法などを修業している。が、そうしたものより大切なのは道徳的生活、利己的欲望の排除、愛他精神であると考えている。
 離脱体験はまず自分の部屋の内部から始めるようにと彼は勧めている。家具は一種独特の燐光性の光を発しているという。彼も離脱中の体験の絶対的実体感を強調し、それは〝冷徹なる事実〟であるとまで表現している。遠距離の旅行をしたいと思うと〝複体を構成している要素が肉体へ帰され、それよりもっと精妙な形体に宿ってから出掛ける〟という。
 ある時自分の肉体を抱きしめてみたら温かく筋肉の堅さは感じられなかったという。シルバーコードは際限なく伸びることが出来、幽体全体の表面と無数の糸で結ばれているという。背後霊は滅多に姿を見せていない。ある時、既に他界している友人と会うことが出来て、長時間にわたって会話を交わしたという。
 霊界へ旅行すると、時折低級霊に襲われている。そんな時に最も強力な武器となるのは愛の想念であるという。
 離脱する時刻は数時間眠った後の早朝四時~五時が一番良いという。その訳は、潜在意識による邪魔が少なくなるからだそうである。又彼は一晩の内に数回離脱出来たことがあるという。つまり一回目の離脱から戻って来てその間の体験をメモし、又エネルギーを新たに加えて離脱するということを繰り返した。奥さんと一緒に霊界旅行を楽しんだことも何度かある。

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 C・D・ラーセン女史はこの分野での体験をもつ女性として私が知った最初の方である。著書を見た限りでは幽体離脱の為の特別の訓練はしておられないが、我々としてはその点について、更には心霊的な予備知識をどの程度もっていたかについて、もっと詳しく知りたいところである。
 女史の最初の離脱体験はいたって突発的なもので、1910年の秋のことだった。その当時既に中年にさしかかっていて髪も白くなり、隠居生活を楽しんでいた。そんなある日、突然重苦しい圧迫感と不安感に襲われた。失神の前の発作の感じによく似ていたという。そのうち麻痺が起き始め、全身の筋肉が痺れて来た。やがて意識が失くなり、次に気がついた時は床に立っていて、ベッドに死体のように横たわっている青白い顔の自分の身体を見下ろしていた。それから化粧室へ行き、鏡の前に立つと、そこに映った自分はすっかり若返り、そして美しく、素敵な白く輝く衣装を纏っていた。
 その化粧室にいても階下で夫と三人の仲間が四重奏の練習をしているのがはっきりと見え、その曲も聞こえた。その階下へ下りて行こうとしたところ女性の霊に呼び止められて、肉体に戻るように言われた。意識を留めたまま肉体と繋がり、やがて喘ぎながら目を覚ましてハッとした。彼女は述べる-〝これが私の体外遊離の最初の体験でした。が、それ以来、何度となく体験しております。宇宙を遠く広く旅行し、多くの天体を訪れました。霊界も訪れました。そこで地上では絶対に叶えられないと思えるようなことを見たり聞いたりしました〟
 旅行中は必ず指導霊が付き添い、いつも同じ霊だっとという。ローマの貴婦人のような服装をしていて、彼女のことを(カロリンをつづめて)カロロと呼んだという。

 ラーセン女史の体験をスカルソープ氏の体験と比較してみると、総体的には一致しているが、全く同一の体験というものはない。それよりも、女史はスカルソープ氏に見られない情報を提供してくれている。特に地上圏及び大気圏の霊界の情報が多い、「私の霊界旅行記」の大半が地上圏の霊界の叙述で占められている。既に他界している知人や最近他界したばかりでまだ死の自覚のない友人と会っている。遠い昔に他界した霊が地上の人間及び他界したばかりの霊と交歓し合っている興味深い光景が叙述されている。また地上の為に働いている霊団の活躍ぶりも見ている。
 そうした言わば〝地上の霊の生活〟ぶりを見た後、女史は上層界へ案内されている。最初の界を女史は〝新来者の為の一種の収容施設〟であるといい、スカルソープ氏と細かい点までよく似た情景を描写している。女史のいう第二界にはもはや地縛霊というものは存在せず、指導霊のもとで能力開発に勤しんでいる。第三及び第四界はその一、二界と〝果てしない暗黒の空間〟によって仕切られており、その光輝溢れる美しさは地上の言語では表現出来ず、そこの住民は完成された高級霊ばかりであるという。
 また女史は〝子供の国〟へも訪れ、そこで開かれていたオーケストラによるコンサートを見ている。演奏された音楽は荘厳さと情感に溢れ、女史は圧倒されて耐え切れなかったという。最後に女史は太陽系の外側に広がる〝無限の空間〟への旅を叙述し、宇宙に充満する無数の霊的存在に驚嘆している。その霊達は強烈な白色光を放ち、それが各々の身体を炎の輝きによって包んでおり、その強さは霊力に応じて異なっていたという。
 以上の僅かな抜粋だけで女史の著書の価値の重要性を語るには十分であろう。それは実質的にスカルソープ氏の体験を確証付ける形になっている。

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 マルドゥーン氏は十二歳の時に最初の離脱体験をしている。それは初めから終わりまで意識的なもので、これは珍しいことである。「幽体離脱」を書いた時は既に何百回もの体外遊離及び幽体旅行を体験しており、その大半が〝体験夢〟で始まっている。彼も幽体離脱中の強烈な現実感を強調する一人で、これを一度体験したから絶対に死後の存続を信じると主張する。幽体旅行中に霊に会うことはあっても、全て地上界の旅行に限られている。
 彼の説はどれをとっても一考に値するものばかりであるが、ここでそれを全部考察するにはスペースが少なすぎる。例えば、意識的生活はある種の〝霊力〟を消耗しており、睡眠がそれを補う上で不可欠で、睡眠とは幽体が肉体から遊離した時に生じる現象であると考えている。病気の時に遊離体験が多いのはその為であるという。又、所謂夢遊歩行の現象は睡眠中に幽体が遊離してしかも意識がないのと同じであるという。
 初歩の段階の離脱は大抵睡眠中に幽体から数フィートの高さまで硬直状態のまま上昇して、そこで直立し、それから床に降り立つ。そこでシルバーコードの波打つような動きで前後左右に揺れ、その内硬直状態がほぐれて自由な動きが出来るようになる。彼はそのシルバーコードに揺れる範囲を肉体から六ないし十八フィート(健康状態その他の条件によって異なる)と計算し、その時のコードの太さは直径1.5インチであるという。その長さを超えるとコードは淡灰色の細い紐となって見え、幽体は遠距離まで自由に行動出来るようになる。
 よく肉体に戻る際に不快感を伴うことがあるが、その原因は、幽体が肉体に近付いた時点で再び硬直状態になり、更に肉体へ入って筋肉と結び付く時の衝動であると推定している。肉体への入り方には三つの型があるという。①らせん運動による場合、②直線的の場合、③ゆっくりとした振動を伴う場合。この最後の③の場合が一番気持がいいという。この三種類になるのには二つの力が要因となっているという。一つはシルバーコードの引く力、もう一つは幽体への一種の重力作用である。その重力が強過ぎる時に直線的な入り方をし、弱過ぎる時にらせん運動となり、丁度よい強さの時に振動を伴ったものとなる、という。
 こうした現象は離脱時にも生じる。その際に一番大切なのは感情のコントロールである。またマルドゥーン氏は幽体が離脱すると波長が高められると考えている。そう考えないと、同じく幽体を宿している生者の身体を突き抜けてしまう事実が証明出来ないというのである。
 シルバーコードは幽体の後頭部から出て肉体の前頭部か後頭部と繋がっている。他の部分、例えば太陽神経叢(みぞおち)には観察されたことがないという。太陽神経叢の周りには〝神経エネルギー〟が凝縮しているのが見られ、白色光のような光を発していて、それが幽体に青光を与えている。
 マルドゥーン氏は幽体離脱には〝超意識〟精神が働いていると想定する。また体験が意識的なものにせよ無意識なものにせよ、潜在意識によって影響されることがあるし、通常意識による暗示を受けたり、〝習慣による強制〟によって行動することもあるという。こうした原理に基づいて離脱の方法をいくつか述べている。
 あるときマルドゥーン氏は道路ではだかの電線に触れて、もう少しで感電死しそうになり、そのショックで意識的な遊離体験をしたことがある。それ以来、彼は何回も同じシーンを夢で見るようになり、しばしば自室での離脱と結び付くこともあり、一度は数ブロックも離れているその感電場所まで再現されたという。こうした体験は、例えば非業の死を遂げた時のシーンが繰り返されるのを見るとかいった現象を解く鍵を与えてくれそうである。それを幽界の霊が見ている夢であるとする説明も出来ないことはない。

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 この分野もぼつぼつ大学教授によって取り上げられるようになってきた。その先駆けとなったのは(大学教授が中心となって結成された)英国心霊研究協会で、生者と死者の〝幽霊現象〟の中から信頼性の高いものを収集した。が、大学関係者に共通した唯物思考のせいで、幽霊現象は全て何らかの幻影であると見なされた。
 近年ではホーネル・ハート教授が果敢にこの幽体離脱をテーマとして研究に取り組んでいる。教授はそれを〝ESPプロジェクション〟と呼んでいる。1959年に出版された「死後存続の謎」The Enigma of Survival by Hornell Hart の中で死後存続の問題との関連におけるESPプロジェクションの重要性を指摘している。
 教授は155人の大学生を対象に調査した結果、42~27%の学生が体外遊離体験をしていることが明らかとなったと述べている。その内70%の学生が一度きりでなく複数回の体験をしている。こうした数字は離脱体験がけっして珍しい現象でないことを示している。

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