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カテゴリ: ★『私の霊界紀行』

初期の頃私はよく霊界での講演会へ連れて行かれた。しかし他の体験と違ってなぜか講義の内容は肉体に戻った時に回想出来なかった。指導霊の説明によると、思想の内容が高度で、従って波長の次元が高いので、物的精神では理解も、或は受け止めることも出来ないということだった。私にはそれがよく分かる。というのは、例えば予言がなぜ可能か、どういう過程で行われるかについて、地上の言語で適格に説明出来た霊は一人もいないのである。
 講演会で聞いたことは霊的精神によって記憶されている。そのことは、次の講演会に出席した時に、会場へ入った途端に前回までの講義内容が一度に思い出されてくることで分かる。その事で興味深いのは、思い出す順序はきちんと最初から思い出されるのに、全体を思い出すのが一瞬の間だということである。これが霊的精神のスピードで、これでは物的精神には薄ぼんやりとしか思い出せないのも無理はないことになる。初めての講演会の時に面白いことがあった。会場は小じんまりとしたホールで、青色のブラシ天(ビロードの一種)の椅子が円形に並べてあった。私は新入生なので遠慮して一番外側の席を選んだ。ところが椅子に腰を降ろすや否や身体がふわっと浮いて、一番前の席に座らされた。
 その後に出席した講演会は地上の教室に似た椅子の配置をしていた。ある時隣の席に新しい生徒が座っているので何気なく目をやっていると、驚いたことにそれは私自身だった。私はしばしその素敵な姿に見とれていたが、ふと我に返った時にその二つの身体が合体した。
 二、三週間後にも同じ体験をした。が、その時は背後霊団も予め準備していたらしく、二つの身体が分離した状態を保たせて、私の『もう一つの自分』をじっくり観察させてくれた。とても若々しく、二十代の青年のようで、髪もふさふさとしていた。肉体の頭はずいぶん薄いのだが・・・。
 これは実に奇妙な現象であるが、同時に実に大切な意味をもっている。私と同じように離脱体験のある人の中にも別の自分に会った体験を述べている人がいるが、要するに霊的身体も一個ではなく複雑に出来ていることを意味している。
 さて、そこの会館にはいくつかの講演会場があり、ある時その一つを通りかかった時に、開いていたドアから講師の顔が見えた。その講師は1914年に私が所属していた陸軍の将校だった。その容貌から既にかなり向上しておられることが窺われ、私は嬉しかった。講師も私の思念を受け止められたらしく、私の方を向いてにっこりとされた。

私が霊界旅行中に一番長時間付き合った動物は馬である。その時の体験は私にとって最も貴重な体験の一つに数えられるのではないかと思っている。
 ある日、肉体を離脱した後の霊界での意識の回復が非常にゆっくりだったことがあった。そして完全に意識が戻ってみると一頭の馬にしっかりと跨がっていた。霊的身体に感じられるその境涯のバイブレーションは非常に気持ちがよく素敵だった。
 辺りを大勢の人が歩いており、その人達がみな色彩豊かな衣装をつけ、のどかさと優雅さに溢れていた。その衣装は地上の衣服とはおよそ概念が異なるものであるが、その界層において見ると少しも違和感がなく、自然そのものに見える。
 私の直感では、ある儀式が今終わったばかりで、解散して別れていく前にお互いに挨拶し合っているところのようだった。全員が無垢の友愛のバイブレーションにおいて完全に融合し合い、一体となり切っている。それでいて一人一人が個性ある存在であり、お互いが無くてはならない存在なのである。これが本当の意味での『仲間』なのである。個が幾つか集まって仲間を構成するが、その個と個との間に『仕切り』がない。霊的同胞精神があるからである。
 この境涯のバイブレーションは格別に私を引きつける作用があり、反応が顕著である。周りには幾百とも知れぬ霊がいて、馴染みのある顔は一つとして無いのに、どの人も『赤の他人』という感じがしない。その感じは説明できる性質のものではない。
 間もなく私達は何らかの動作に移らねばならないと考えたーというよりは、そう感じ取った。そして馬を見下ろすと、馬は今か今かと待ちかねている様子だった。その間、ぴくりともしなかったことに私は非常に感心した。すると私のその気持ちがすぐに伝わって『嬉しさ』と『友愛』と『奉公』の心情の温かみが返ってくるのを感じた。これは両者のオーラが融合した時の思念の相互作用だと理解した。
 私はその人波の中に自然に出来た抜け道を見つけて、そこから出ようと思った。するとその思いを馬がすぐに察して、私が命じないうちにその方角へ進み始めた。そして、そこから通路へ出て田園地帯までの長い道のりを行く間中、馬は私の思念を『先取り』して、手綱を引くことは一度もなかった。私の直感ではその馬は既に霊界へ来てかなりの年月が経っていて、その界層の人達の愛と思いやりに深く馴染んでいるようだった。
 私はかなりの遠乗りを楽しんでから、いい気分のうちに引き返して来た。そしてそろそろ元の位置に近づいた頃になって眠気を催し始めた。これは高いバイブレーションの世界にいると必ず起きる現象で、間もなくふわっと浮き上がる気分がして、気がつくと肉体へ戻っていた。その時は一つの界層への一回だけの旅行で、真夜中のことだった。
 私はそれまで霊界旅行によって睡眠に影響を受けたことはなかったのであるが、その日だけは、どこかで休日を楽しんで帰ってきたような、爽快な気分になっていた。

初期の頃の離脱は決まって夜中にベッドに横になって行ったが、その後、日曜日の午後などに肘掛け椅子に座った状態で離脱出来るようになった。そしてさらにその後は時間と条件が揃えばいつでも出来るようになった。 
 そんな時私はただ背後霊に離脱の希望を念じるだけでよいのであるが、それが必ずしも全て叶えられるとは限らない。これまでどう念じても離脱できない日が何日もあった。ある時は私もしびれを切らして自力で離脱してやろうと思ったが、どうしても出来ないことがあった。その事は誰にも口外しなかったのであるが、ある日霊媒をしている友人のところにいた時に、その友人が突然真顔になって『もしかして最近自力で離脱しようとしたんじゃない?』と聞いた。私が正直に認めると、厳しい口調で、二度とそういうことをしてはいけない、とたしなめられ『背後霊が一番いい時を知っているのだから』と諭された。
 たしかに、私が離脱している間は背後霊の誰かが肉体を監視してくれているようである。そして私の家庭内での出来事を逐一確認してくれている。肉体に戻れなくなったことがないのはそのお陰である。万一家庭の用事で私が必要になった時は穏やかに連れ戻され、やがて私を呼びに来る足音が聞こえてくる、といった具合である。
 背後霊による保護は他にもある。霊的身体が傷つけられることは有り得ないが、肉体が受けた不快や苦痛は玉の緒を通じて霊的身体の同じ箇所に感じられる。肉体が咳をしたり、いびきをかいたり、しびれを切らしたり、窮屈な思いをした為に旅行先から連れ戻されたことが何度かある。大きな音がしても戻されることがある。みな自力で動けない肉体の防御本能がしからしめるところであるが、時として次のような奇妙な体験もある。
 ある時霊界のある通りを歩いていると大きないびきをかき始めた。変だなと思いながらも止めることが出来なくて困ってしまった。その困ったという感情が霊的法則に従って私を肉体へ引き戻してしまった。戻ってみると仰向けになって寝ており、風邪の影響で大きないびきをかいていた。
 またある晩ベッドで離脱して妻が働いている療養所へ行った。そして廊下を横切って妻の部屋へ行こうとしたところでむせるように咳き込み、それが原因で一気に肉体に戻された。戻ってみたら肉体はまた咳き込んでいた。
 もう一つ例をあげると、霊界の工場を見学した後外を歩いていると突然、両足が交差して動かなくなった。私はかがみ込んで無理矢理引き離した。そして歩き出すとまた交差し、またかがみ込んで引き離した。これを数回 繰り返し、それに戸惑ったことが自動的に肉体へ引き戻される原因になった。戻ってみると両足を交差させた状態で腰掛けたまま離脱した為に痺れが切れたのだった。
 時には、地上に残した肉体に異常が生じていることが分かることもある。例えば、ある時霊界で軍服を着た男と話をしていた。話の内容から私はその男が未だに自分が死んだことに気づいていないことを知った。こんな時いきなり『あなたはもう死んでるんですよ』と言って聞かせることは必ずしも感心しないので、私はその男に地上の最後にいた土地を思い出させようとしていた。その時である。突然私の幽体の右腕に痛みを覚え始めたので、これは肉体がベッドの上で右を下にして寝ていて右腕が圧迫されているなと察した。私はそれを無視しようとして話を続けたが、その相手の男が突然『おや、お体の輪郭がぼやけて見えますよ』と言った。明らかに私の幽体が彼の目にぼやけて見え始めたのである。
 腕の痛みがますますひどくなってきた時、私の脇にまた例の少女が現れた。私はその子の肩に手を置き、肉体に意志を集中したところ、ベッドに戻った。早速起きて右腕をさすったら痺れが取れたので、もう一度離脱しようとしてみた。が、さすったりした動きで肉体の呼吸と血行が盛んになった為に、もはや無理だった。
 少女は私が二度目の離脱の時に例の他界直後の人を介抱するホールを案内してくれた子である。あの時私は形体がゆらゆらと揺れている婦人を見て気味悪く思ったが、今回の軍服姿の男の目に映った私の姿もそれと同じだったのだろうと思うと興味深い。
 幽体が傷つくことはないことは既に述べた。それを自分で体験してみたことはないが、背後霊によって無理矢理体験させられたことがある。
 ある時明るい境涯へ案内され、地上の年齢でいうと二十三から二十五歳程度に見える若者の一団と話をしていた。霊界では進化した霊は大抵その程度の年齢に見える。容貌はとても上品で、オーラからの放射物が私の幽体に心良さを感じさせるので、そういう人達と一緒にいるのは私にとって大きな楽しみの一つである。
 そのうちの一人が突然私の手のひらにナイフを突き刺した。一瞬びっくりしたが、少しも痛みを感じないので、今度は笑い出した。みんなも笑っていた。そのうちの一人が『よくご覧なさい』と言うので見ると、手のひらに穴が開いている。が、私の方で何の意志も働かせないのに自然に穴は塞がっていった。

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