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カテゴリ: ★『ベールの彼方の生活』

自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(二)]P108より抜粋

 1913年11月28日 金曜日

 人類の救世主、神の子イエス・キリストが〝天へ召される者は下界からも選ばれる〟と述べていることについて考察したい。下界に見出されるのみならず、その場において天に召されるという。その〝下界から選ばれる者〟はいずこに住む者を言うのであろうか。これにはまず、イエスが〝下界〟という用語をいかなる意味で用いているかを理解しなければならない。この場合の下界とはベールの彼方において特に物質が圧倒的影響力をもつ界層のことを指し、その感覚に浸る者は、それとは対照的世界すなわち、物質は単に霊が身に纏い使用する表現形体に過ぎぬことを悟る者が住む世界とは、霊的にも身体的にも全く別の世界に生活している。
 それ故、下界の者と言う時、それは霊的な意味において地上に近き界層にいる者を指す。時に地縛霊と呼ぶこともある。肉体に宿る者であろうと、既に肉体を棄てた者であろうと、同じことである。身は霊界にあっても魂は地球に鎖で繋がれ、光明の世界へ向上して行くことが出来ず、地球の表面の薄暗き界層にたむろする者同士の間でしか意志の疎通が出来ない。完全に地球の囚われの身であり、彼らは事実上地上的環境の中に存在している。
 さてイエスはその〝下界〟より〝選ばれし者〟を天界へ召されたという。その者達の身の上は肉体を纏ってはいても霊体によって天界と疎通していたことを意味する。その後の彼らの生活態度と活躍ぶりを見ればその事実に得心が行く。悪の蔓延る地上をやむを得ぬものと諦めず、悪との闘いの場として敢然と戦い、そして味方の待つ天界へと帰って行った彼ら殉教者の不屈の勇気と喜びと大胆不敵さは、その天界から得ていたのであった。そして同じことが今日の世にも言えるのである。
 これとは逆に地上の多くの者が襲われる恐怖と不安の念は地縛霊の界層から伝わって来る。その恐怖と不安の念こそがそこに住む者達の宿業なのである。肉体は既に無く、さりとて霊的環境を悟る程の霊覚も芽生えていない。が、それでも彼らはその界での体験を経て、やがては思考と生活様式の向上により、それに相応しい霊性を身に付けて行く。
 かくて人間は〝身は地上にあっても霊的にはこの世の者とは違うことが有り得る〟という言い方は事実上正しいのである。
 これら二種類の人間は、こちらへ来ればそれ相応の境涯に落ち着くのであるが、いずれの場合も自分の身の上については理性的判断による知識はなく、無意識であった為に、置かれた環境の意外性に驚く者が多い。
 このことを今少し明確にする為に私自身の知識と体験の中から具体例を紹介してみよう。かつて私は特別の取り扱いを必要とする男性を迎えに派遣されたことがある。特別というのは、その男は死後の世界について独断的な概念を有し、それに備えた正しく且つ適切な心がけはかくあるべしとの思想を勝手に抱いていたからである。地球圏より二人の霊に付き添われて来たのを私がこんもりとした林の中で出迎えた。二人に挟まれた格好で歩いて来たが、私の姿を見て目が眩んだのか、見分けのつかないものを前にしたような当惑した態度を見せた。
 私は二人の付き添いの霊に男を一人にするようにとの合図を送ると、二人は少し後方へ下がった。男は始めの内私の姿がよく見えぬようであった。そこで、こちらから意念を集中すると、ようやく食い入るように私を見つめた。
 そこでこう尋ねてみた。「何か探しものをしておられるようだが、この私が力になってさしあげよう。その前に、この土地へお出でになられてどれ程になられるであろうか。それをまずお聞かせ願いたい」
 「それがどうもよく判りません。外国へ行く準備をしていたのは確かで、アフリカへ行くつもりだったように記憶しているのですが、ここはどう考えても想像していた所ではないようです」
 「それはそうかも知れない。ここはアフリカではありません。アフリカとは随分遠く離れた所です」
 「では、ここは何という国でしょうか。住んでいる人間は何という民族なのでしょうか。先程のお二人は白人で、身なりもきちんとしておられましたが、これまで一度も見かけたことのないタイプですし、書物で読んだこともありません」
 「ほう、貴殿程の学問に詳しい方でもご存知ないことがありますか。が、貴殿もそうと気付かずにお読みになったことがあると思うが、ここの住民は聖人とか天使とか呼ばれている者で、私もその一人です」
 「でも・・・」彼はそう言いかけて、直ぐに口をつぐんだ。まだ私に対する信用がなく、余計なことを言って取り返しのつかぬことにならぬよう、私に反論するのを控えたのである。何しろ彼にしてみればそこは全く見知らぬ国であり、見知らぬ民族に囲まれ、一人の味方もいなかったのであるから無理もなかろう。
 そこで私がこう述べた。「実は貴殿は今、かつてなかった程の難問に遭遇しておられる。これまでの人生の旅でこれほど高くそして分厚い壁に突き当たったことはあるまいと思われます。これから私がざっくばらんにその真相を打ち明けましょう。それを貴殿は信じて下さらぬかも知れない。しかし、それを信じ得心が行くまでは貴殿に心の平和はなく、進歩もないでしょう。貴殿がこれより為さねばならないことは、これまでの一切の自分の説を洗いざらいひっくり返し裏返して、その上で自分が学者でも科学者でもない、知識の上では赤子に過ぎないこと、この土地について考えていたことは一顧の価値もない-つまり完全に間違っていたことを正直に認めることです。酷なことを言うようですが、事実そうであれば致し方ないでしょう。でも私をよく見つめて頂きたい。私が正直な人間で貴殿の味方だと思われますか、それともそうは見えぬであろうか」
 男はしばし真剣な面持ちで私を見つめていたが、やがてこう述べた。「あなたの仰ることは私にはさっぱり理解出来ませんし、何か心得違いをしている狂信家のように思えますが、お顔を拝見した限りでは真面目な方で私の為を思って下さっているようにお見受けします。で、私に信じて欲しいと仰るのは何でしょうか」
 「〝死〟についてはもう聞かされたことでしょう」
 「さんざん!」
 「今私が尋ねたような調子でであろう。なのに貴殿は何もご存知ない。知識というものはその真相を知らずしては知識とは言えますまい」
 「私の理解出来ることを判り易く仰って下さい。そうすればもう少しは呑み込みがよくなると思うのですが・・・・」
 「ではズバリ申し上げよう。貴殿は所謂〝死んだ人間〟の一人です」
 これを聞いて彼は思わず吹き出し、そしてこう述べた。
 「一体あなたは何と仰る方ですか。そして私をどうなさろうと考えておられるのでしょうか。もし私をからかっておられるだけでしたら、それはいい加減として、どうか私を行かせて下さい。この近くにどこか食事と宿をとる所がありますか。少しこれから先のことを考えたいと思いますので・・・」
 「食事を摂る必要はないでしょう。空腹は感じておられないでしょうから・・・宿も必要ありません。疲労は感じておられないでしょうから・・・それに夜の気配がまるで無いことにお気付きでしょう」
 そう言われて彼は再び考え込み、それからこう述べた。「あなたの仰る通りです。腹が空きません。不思議です。でもその通りです。空腹を感じません。それに確かに今日という日は記録的な長い一日ですね。訳が分かりません」
 そう言って再び考え込んだ。そこで私がこう述べた。
 「貴殿は所謂死んだ人間であり、ここは霊の国です。貴殿は既に地上を後にされた。ここは死後の世界で、これよりこの世界で生きて行かねばならず、より多く理解して行かねばならない。まずこの事実に得心が行かなければ、これより先の援助をするわけには参りません。暫く貴殿を一人にしておきましょう。よく考え、私に聞きたいことがあれば、そう念じてくれるだけで馳せ参じましょう。それに貴殿をここまで案内してきた二人がいつも付き添っています。何なりと聞かれるがよろしい。答えてくれるでしょう。ただ注意しておくが、先程私の言い分を笑ったような調子で二人の言う事を軽蔑し嘲笑してはなりません。謙虚に、そして礼儀を失いさえしなければ二人のお伴を許しましょう。貴殿は中々良いものを持っておられる。が、これまでも同じような者が多くいましたが、自尊心と分別の無さもまた度が過ぎる。それを二人へ向けて剥き出しにしてはなりませんぞ。その点をとくと心して欲しい。と言うのも、貴殿は今、光明の世界と影の世界との境界に位置しておられる。そのどちらへ行くか、その選択は貴殿の自由意志に任せられている。神のお導きを祈りましょう。それも貴殿の心掛け一つに掛かっています」
 そう述べてから二人の付き添いの者に合図を送った。すると二人が進み出て男の側に立った。そこで三人を残して私はその場を離れたのであった。

 -それからどうなりました。その男は上を選びましたか下を選びましたか。

 その後彼からは何の音沙汰もなく、私も久しく彼のもとを訪れていない。根が中々知識欲旺盛な人間であり、二人の付き添いがあれこれと面倒を見ていた。が、次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己に克(か)った。その時点において二人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。
 そこで私は前に迎えた時と同じ木陰で彼に面会した。その時は遙かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、直ぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私を嘲笑ったことをえらく後悔していたようであった。
 やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、直ぐ前まで来て跪き、両手を目を覆った。嗚咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。
 私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。
 こうしたことはよくあることである。

 ザブディエルという霊からの通信

自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(四)]P86より抜粋

 1918年2月22日 金曜日

 今夜お話することは多分貴殿には本題から外れているように思えるかも知れません。が、地上で当たり前と思われている生活とは異なる要素を正しく理解する上で大切な事柄について貴殿の認識を改めておく必要があるのでお話します。
 それは、同じく地上から霊界へ誕生してくる者の中でも、地上で個的存在としての生活を一日も体験せずにやってくる、所謂死産児のことです。そういう子供は眠ったままの状態でこちらへやって参ります。その子達にとってのこちらでの最初の目覚めは、地上での誕生時と同じ過程であることは理解して頂けるでしょう。ただ、地上の空気を吸ったことがなく、光を見たことも無く、音を聞いたこともありません。要するに五感のどれ一つとして母胎内での自然な過程の中で準備してきた、その本来の形で使用されたことがありません。従ってそれぞれの器官はほぼ完全に近い状態であっても完全に出来上がってはいません。その上、脳髄が五官からのメッセージを処理する操作をしたことがありません。そういうわけで、死産児としてこちらへ来た子供は潜在的には地上的素質を具えてはいても、経験的にはそれが欠けています。ただ、たとえ数分間にせよ、或いはそれ以下にせよ、実際に生きて地上に誕生した後他界した子供はまだ事情が異なります。
 こういう次第ですから、死産児の霊の世話に当たる人達が解決しなければならない問題はけっして小さいものではないのです。まずその霊が自然な発育をするように霊的感覚器官を発達させてやらねばなりません。それから霊的脳髄にその器官からの情報を処理する訓練をさせてやらねばなりません。数分間でも生きていた子の場合であれば脳と器官との連絡が僅かながらも出来ておりますから、その経験をその後の発育の土台として使用することが出来ます。が、死産児にはそれが欠けていますから、こちらの世界でそれをこしらえてやる必要があります。それが確立されさえすれば、後は普通の子供と同じように、発育の段階を一つ一つ重ねていくだけとなります。
 この段階での育児には、たとえ面倒でも、様々な手段が講じられます。例えばその子供と地上の両親との間、特に母親との間には特殊な繋がりがあります。そこで、出来るだけ母体からの出産に似た体験をその子にさせて、その体験を通じて母胎からの肉体的分離つまり独立した個体となったという感触を味わわせます。無論これは肉体では出来ませんから、子供の霊的身体と母親の霊的身体とを使って行ないます。これによって自然な出産がもたらす程の密接な脳と器官との連絡関係が得られる訳ではありませんが、一応、地上の親との関係は確立されます。そしてその時点からその子供は地上の母親との繋がりを保ち、可能な限り普通の子供と同じような発育をするよう配慮されます。それでもやはり、地上に誕生した体験をもつ子供との間にある種の相違点がどうしてもあります。地上体験から得られる厳しさに欠けている面がある一方、地上体験のある子供よりも性格と考え方に霊性が見られます。しかし、成長と共に地上体験のある子供は霊性を身に付け、死産児は母親との繋がりを通じて、更に成長してから他の家族との繋がりを通じて、地上の知識を身に付けていきますから、その相違点は次第に小さくなり、遂にはほぼ同等の友情関係まで持てるようになり、互いに自分に欠けているものを補い合えるようになります。
 かくして一方は柔らかさを身に付け、他方は力強さを身に付け、一つの共同体の中で、有益であると同時に楽しい〝多様性〟の要素をもたらすことになります。
 以上の話から貴殿も、地上の両親の責任が死後の世界の子孫にとっていかに大きいかがお分かりになるでしょう。死後の育児にとっても両親との接触が必要だからです。地上の血縁関係の人との接触のない子供は正常な発育が得られない-他の何ものによっても補えない、欠落した要素があるのです。仮に両親が邪悪な生活を送っている場合は、地上の時間にして何年もの間その両親に近付かないようにしておいて、そうした子供の保育に当たっている人達(地上において子宝に恵まれず母性本能が満たされないまま他界した女性)からみて大丈夫と思えるだけの体力と意志力と叡智を身に付けるように指導する必要があります。
 ところが、子供が地上的影響力に晒されても安全という段階に至らない内に、親の方が地上の寿命が尽きてこちらの世界へ来るというケースがよくあります。そうなった場合子供は祈りを頼りとする他なくなります。
 その場合の親には最早地上で乳房をふくませた子供に対する情愛は持ち合わせません。或いは自分にそんな子がいたことすら知らないでしょう。ですから、二人の間の絆は-仮に残っていても弱いものですが-子供が向上していくにつれてますます薄れて行き、一方母親の方は浄化の為の境涯へと下りて行きます。その浄化の為の期間を終えて再び戻って来た頃には、子供の方は既に母親の手の届かない高い境涯へと進化していることでしょう。
 子供の方では母親を認識しております。そして母親の気付かない内にも色々と援助しております。しかし親と子を結び付ける本来の温かい情愛の絆は、向上進化を基調とした天界での通常の生活では存在しないし、有り得ないことになります。
 この話を持ち出したのは、我々から見ると地上にはこうした(水子の)問題において母性がもつ重責があまりに無視されているからです。地上にて花開くことなくつぼみの内にむしり取られた、そうした優しい花はあまりにも可憐であり、親を知らないことから来る物憂げな表情が歴然としている為に、それを見る者は悲痛な思いをさせられるものです。といって今のその子達が不幸だと言っているのではありません。およそ不幸といえるものとは縁遠いものです。ただ、先も言った通り、他の何ものによっても補えない欠落した要素があり、これは地上で母性本能を満たされなかった女性が母親代わりに世話してあげても、ほんの部分的に補えるだけです。そこで(永い永い進化の旅の中で)一方が他方の欠けているものを与え、また自分に欠けているものを受け取っていくということになるのです。その関係は見ていて実に美しいものです。

 アーネルという霊より

自殺ダメ


 これは、オーエンの『ヴェールの彼方の生活』の第三巻に書かれていた話で、暗黒界、つまり地獄と呼ばれている界層に住む住民達を救う為に、高級霊が地獄に下って行く話です。オーエンはキリスト教の牧師だったので、所々にキリスト教的な表現が沢山あるので、今までの人生でキリスト教に接することがなかった人にとっては、少々難しいかもしれません。しかし、そのような細かい点に粘着するのではなく、大まかな流れとして、この暗黒界の探訪の様子を読んで頂きたい。



 1917年 大晦日

 ここまでの我々の下降の様子はいたって大まかに述べたにすぎません。が、これから我々はいよいよ光輝が次第に薄れ行く境涯へ入って行くことになります。これまでに地上へ降りて死後の世界について語った霊は、生命躍如たる世界については多くを語っても、その反対の境涯についてはあまり多くを語っておりません。いきおい我々の叙述は理性的正確さを要します。と言うのも、光明界と暗黒界について偏りのない知識を期待しつつも、性格的に弱く、従って喜びと美しさによる刺激を必要とする者は、その境界の“裂け目”を我々と共に渡る勇気がなく、怖気付いて背を向け、我々が暗黒界の知識を携えて光明界へ戻ってくるのを待つことになるからです。
 さて、地上を去った者が必ず通過する(既にお話した)地域を通り過ぎて、我々はいよいよ暗さを増す境涯へと足を踏み入れた。すると強靱な精神力と用心深い足取りを要する一種異様な魂の圧迫感が急速に増していくのを感じた。それというのも、この度の我々は一般に高級霊が採用する方法、つまり身は遠く高き界に置いて通信網だけで接触する方法は取らないことにしていたからです。これまでと同じように、つまり自らの身体を平常より低い界の条件に合わせてきたのを、そこから更に一段と低い界の条件に合わせ、その界層の者と全く同じではないがほぼ同じ状態、つまり見ようと思えば見え、触れようと思えば触れられ、我々の方からも彼等に触れることの出来る程度の鈍重さを身にまとっていました。そしてゆっくりと歩み、その間もずっと右に述べた状態を保つ為に辺りに充満する雰囲気を摂取していました。そうすることによって同時に我々はこれより身を置くことになっている暗黒界の住民の心情をある程度まで察することが出来ました。
 その土地にも光の照っている地域があることはあります。が、その範囲は知れており、直ぐに急斜面となってその底は暗闇の中にある。そのささやかな光の土地に立って深い谷底へ目をやると、一帯を覆う暗黒の濃さは物凄く、我々の視力では見通すことが出来なかった。その不気味な黒い霧の上を薄ぼんやりとした光が射しているが、暗闇を突き通すことは出来ない。それほど濃厚なのです。その暗黒の世界へ我々は下って行かねばならないのです。
 貴殿のご母堂が話された例の“光の橋”はその暗黒の谷を越えて、その彼方の更に低い位置にある小高い丘に掛かっています。その低い端まで(暗黒界から)辿り着いた者は一旦そこで休息し、それからこちらの端まで広い道(光の橋)を渡って来ます。途中には幾つかの休憩所が設けてあり、ある場所まで来ては疲れ果てた身体を休め、元気を回復してから再び歩み始めます。と言うのも、橋の両側には今抜け出て来たばかりの暗闇と陰気か漂い、しかも今なお暗黒界に残っているかつての仲間の叫び声が、死と絶望の深い谷底から聞こえてくる為に、やっと橋まで辿り着いても、その橋を通過する時の苦痛は並大抵のことではないのです。
 我々の目的はその橋を渡ることではありません。その下の暗黒の土地へ下って行くことです。

-今仰った“小高い丘”、つまり光の橋が掛かっている向こうの端のその向こうはどうなっているのでしょうか。

 光の橋の向こう側はこちらの端つまり光明界へ繋がる“休息地”程は高くない尾根に掛かっています。さほど長い尾根ではなく、こちら側の端が掛かっている断崖と平行に延びています。その尾根も山の如くそびえており、形は楕円形をしており、直ぐ下も、“休息地”との間も、谷になっています。そのずっと向こうは谷の底と同じ地続きの広大な平地で、表面はデコボコしており、あちらこちらに大きな窪みや小さな谷があり、その先は一段と低くなり暗さの度が増していきます。暗黒界を目指す者は光の橋に辿り着くまでにその斜面を登って来なければならない。尾根はさほど長くはないと言いましたが、それは荒涼たる平地全体の中での話であって、実際にはかなりの規模で広がっており、途中て道を見失って何度も谷に戻って来てしまう者が大勢います。いつ脱出出来るかは要は各自の視覚の程度の問題であり、それは更に改悛の情の深さの問題であり、より高い生活を求める意志の問題です。
 さて我々はそこで暫し立ち止まり考えをめぐらした後、仲間の者に向かって私がこう述べた。
 「諸君、いよいよ陰湿な土地にやってまいりました。これからはあまり楽しい気分にはさせてくれませんが、我々の進むべき道はこの先であり、せいぜい足をしっかりと踏みしめられたい」
 すると一人が言った。
 「憎しみと絶望の冷気が谷底から伝わってくるのが感じられます。あの苦悶の海の中ではロクな仕事は出来そうにありませんが、たとえ僅かでも、一刻の猶予も許せません。その間も彼等は苦しんでいるのですから・・・・」
 「その通り。それが我々に与えられた使命です」-そう答えて私は更にこう言葉を継いだ。「しかも、ほかならぬ主の霊もそこまで下りられたのです。我々はこれまで光明を求めて主の後に続いてきました。これからは暗黒の世界へ足を踏み入れようではありませんか。なぜなら暗黒界も主の世界であり、それを主自ら実行してみせたからです」(暗黒界へ落ちた裏切り者のユダを探し求めて下りたこと。訳者)
 かくして我々は谷を下って行った。行く程に暗闇が増し、冷気に恐怖感さえ漂い始めた。しかし我々は救済に赴く身である。酔狂に怖いものを見に行くのではない。そう自覚している我々は躊躇することなく、しかし慎重に、正しい方角を確かめながら進んだ。我々が予定している最初の逗留地は少し右へ逸れた位置にあり、光の橋の真下ではなかったので見分けにくかったのです。そこに小さな集落がある。住民はその暗黒界での生活にうんざりしながら、ではその絶望的な境涯を後にして光明界へ向かうかというと、それだけの力も無ければ方角も判らぬ者ばかりである。行く程に我々の目は次第に暗闇に慣れてきた。そして、ちょうど闇夜に遠い僻地の赤い灯も見届けるように、辺りの様子がどうにか見分けがつくようになってきた。辺りには朽ち果てた建物が数多く立ち並んでいる。幾つかが一塊になっている所もあれば、一つだけポツンと建っているものもある。いずこを見てもただ荒廃あるのみである。我々が見た感じではその建物の建築に当たった者は、どこかがちょっとでも破損すると直ぐにその建物を放置したように思える。或いは、折角仕上げても、少しでも朽ちかかると直ぐに別の所に建物を建てたり、建築の途中で嫌になると放置したりしたようである。やる気の無さと忍耐力の欠如が辺り一面に充満している。絶望から来る投槍の心であり、猜疑心から来るやる気の無さである。共に身から出た錆であると同時に、同類の者によってそう仕向けられているのである。
 樹木もあることはある。中には大きなものもあるが、その大半に葉が見られない。葉があっても形に愛らしさがない。すすけた緑色と黄色ばかりで、あたかもその周辺に住む者の敵意を象徴するかのように、槍のようなギザギザが付いている。幾つか小川を渡ったが、石ころだらけで水が少なく、その水もヘドロだらけで悪臭を放っていた。
 そうこうしている内に、ようやく目指す集落が見えてきた。市街地というよりは大小様々な家屋の集まりといった感じである。それも、てんでんばらばらに散らばっていて秩序が見られない。通りと言えるものは見当たらない。建物の多くは粘土だけで出来ていたり、平たい石材でどうにか住居の体裁を整えたにすぎないものばかりである。外は明り用にあちらこちらで焚き火が焚かれている。その周りに大勢が集まり、黙って炎を見つめている者もいれば、口喧嘩をしている者もおり、取っ組み合いをしている者もいるといった具合である。
 我々はその中でも静かにしているグループを見つけて側まで近付き、彼等の例の絶望感に満ちた精神を大いなる哀れみの情をもって見つめた。そして彼等を目の前にして我々仲間同士で手を握り合って、この仕事をお与え下さった父なる神に感謝の念を捧げた。

自殺ダメ


これは、オーエンの『ヴェールの彼方の生活』の第三巻に書かれていた話である。



 1918年1月3日 木曜日

 さて彼等のすぐ側まで来てみると、大きくなったり小さくなったりする炎を囲んで、不機嫌な顔つきでしゃがみこんでいる者もいれば横になっている者もいた。我々の立っている位置はすぐ後ろなのに見上げようともしない。もっとも、たとえ見上げても我々の存在は彼等の目に映らなかったであろう。彼等の視力の波長はその時の我々の波長には合わなかったからです。言い換えれば我々の方が彼等の波長にまで下げていなかったということです。そこで我々は互いに手を握り合って(エネルギーを強化して)徐々に鈍重性を増していった。すると一人二人と、何やら身近に存在を感じて、落ち着かない様子でモジモジし始めた。これが彼等の通例です。つまり何か高いものを求め始める時のあの苛立ちと不安と同じものですが、彼等はいつもすぐそれを引っ込める。と言うのも、上り行く道は険しく難儀に満ち、落伍する者が多い。最後まで頑張ればその辛苦も報われて余りあるものがあるのですが、彼等にはそこまで悟れない。知る手掛かりといえばこの度の我々のように、こうして訪れた者から聞かされる話だけなのです。
 そのうち一人が立ち上がって、薄ぼんやりとした闇の中を不安げに見つめた。背の高い痩せ型の男で、手足は節くれだち、全身が前屈みに折れ曲がり、その顔は見るも気の毒なほど希望を失い、絶望に満ち、それが全身に漂っている。その男がヨタヨタと我々の方へ歩み寄り、二、三ヤード離れた位置から覗き込むような目つきで見つめた。その様子から我々はこの暗黒の土地に住む人間のうち少なくとも一握りの連中には、我々の姿が薄ぼんやりとではあっても見ることが出来ることを知った。
 それを見て私の方から歩み寄ってこう語りかけた。
 「もしもし、拝見したところ大そうやつれていらっしゃるし、心を取り乱しておられる。何か我々に出来ることでもあればと思って参ったのですが・・・・」
 すると男から返事が返って来た。それは地下のトンネルを通って聞こえる長い溜息のような声だった。
 「一体お前さんはどこの誰じゃ。一人だけではなさそうじゃな。お前さんの後ろにも何人かの姿が見える。どうやらこの土地の者ではなさそうじゃな。一体どこから来た?そして何の用あってこの暗い所へ来た?」
 それを聞いて私は更に目を凝らしてその男に見入った。と言うのは、その不気味な声の中にもどこか聞き覚えのあるもの、少なくともまるで知らない声ではない何ものかが感じられたのである。そう思った次の瞬間にはたと感づいた。彼とは地上ですぐ近くに住む間柄だったのである。それどころか、彼はその町の治安判事だった。そこで私は彼の名を呼んでみた。が私の予期に反して彼は少しも驚きを見せなかった。困惑した顔つきで私を見つめるが、よく判らぬらしい。そこで私がかつての町の名前を言い、続いて奥さんの名前も言ってみた。すると地面へ目を落とし、手を額に当ててしきりに思い出そうとしていた。そうしてまず奥さんの名前を思い出し、私の顔を見上げながら二度三度とその名を口ずさんだ。それから私が彼の名前をもう一度言ってみた。すると今度は私の唇からそれが出ると直ぐに思い出してこう言った。
 「分かった。思い出した。思い出した。ところで妻は今どうしているかな。お前さんは何か消息を持ってきてくれたのか。どうして俺をこんな所に置いてきぼりにしやがったのかな、あいつは・・・」
 そこで私は、奥さんがずっと高い界にいて、彼の方から上って行かない限り彼女の方から会いに下りて来ることは出来ないことを話して聞かせた。が、彼にはその辺のことがよく呑み込めなかったようだった。その薄暗い界でよほど感覚が鈍っているせいか、底の住民の殆どが自分が一体どの辺りにいるのかを知らず、中には自分が死んだことすら気付いていない者がいる。それほど地上生活の記憶の甦ることが少なく、たとえ甦っても直ぐに消え失せ、再び記憶喪失状態となる。それゆえ彼等の大半はその暗黒界以外の場所で生活したことがあるかどうかも知らない状態である。しかしその内その境涯での苦しみをとことん味わってうんざりし始め、どこかもう少しマシな所でマシな人間と共に暮らせないものかと思い始めた時、その鈍感となっている脳裏にも油然として記憶が甦り、その時こそ良心の呵責を本格的に味わうことになる。
 そこで私はその男に事の次第を話して聞かせた。彼は地上時代には、彼なりの一方的な愛し方ではあったが、奥さんを深く愛していた。そこで私はその愛の絆を手繰り寄せようと考えた。が、彼は容易にその手に乗らなかった。
 「それほどの(立派になった)人間なら、こんな姿になった俺の所へはもうやって来てはくれまいに・・・・」彼がそう言うので
 「ここまで来ることは確かに出来ない。あなたの方から行ってあげる他はない。そうすれば奥さんも会ってくれるでしょう」
 これを聞いて彼は腹を立てた。
 「あの高慢ちきの売女め!俺の前ではやけに貞淑ぶりやがって、些細な過ちを大げさに悲しみやがった。今度会ったら言っといてくれ。せいぜいシミ一つないキレイな館でふんぞり返り、ぐうたら亭主の哀れな姿を眺めてほくそ笑むがいい、とな。こちとらだって、カッコは良くないが楽しみには事欠かねえんだ。口惜しかったらここまで下りて来るがいい。ここにいる連中みんなでパーティでも開いて大歓迎してやらぁ。じゃ、あばよ、旦那」そう吐き棄てるように言ってから仲間の方を向き、同意を求めるような薄笑いを浮かべた。
 その時である。別の男が立ち上がってその男を脇へ連れて行った。この人はさっきからずっとみんなに混じって座っており、身なりもみんなと同じようにみすぼらしかったが、その挙動にどことなく穏やかさがあり、また我々にとっても驚きに思える程の優雅さが漂っていた。その人は男に何事か暫く語りかけていたが、やがて連れ立って私の所へ来てこう述べた。
 「申し訳ございません。この男はあなた様の仰ることがよく呑み込めてないようです。皆さんが咎めに来られたのではなく慰めに来られたことが分かっておりません。あのようなみっともない言葉を吐いて少しばかり後悔しているようです。あなた様とは地上で知らぬ仲ではなかったことを今言って聞かせたところです。どうかご慈悲で、もう一度声を掛けてやってください。ただ奥さんのことだけは遠慮してやってください。ここに居ないことを自分を見捨てて行ったものと考え、今もってそれが我慢ならないようですので・・・・」
 私はこの言葉を聞いて驚かずにはいられなかった。辺りは焚き火を囲んでいる連中からの怒号や金切り声や罵り声で騒然としているのに、彼は実に落ち着き払って静かにそう述べたからです。私はその人に一言お礼を述べてから、先の男の所へ行った。私にとってはその男がお目当てなのである。と言うのも、彼はこの辺りのボス的存在であり、その影響力が大であるところから、この男さえ説得できれば、後は楽であるとの確信があった。
 私はその男に近付き、腕を取り、名前を呼んで微笑みかけ、雑踏から少し離れた所へ連れて行った。それから地上時代の話を持ち出し、彼が希望に胸を膨らませていた頃のことや冒険談、失敗談、そして犯した罪の幾つかを語って聞かせた。彼は必ずしもその全てを潔く認めなかったが、いよいよ別れ際になって、その内の二つの罪をその通りだと言って認めた。これは大きな収穫でした。そこで私は今述べた地上時代のことにもう一度思いを馳せて欲しい・・・・そのうち再び会いに来よう・・・君さえよかったら・・・と述べた。そして私は彼の手を思い切り固く握り締めて別れた。別れた後彼は一人でしゃがみ込み、膝を顎の所まで引き寄せ、向こうずねを抱くような格好で焚き火に見入ったまま思いに耽っていました。
 私は是非先の男性に会いたいと思った。もう一度探し出して話してからでないと去り難い気がしたのです。私はその人のことを霊的にそろそろその境涯よりも一段高い所へ行くべき準備が出来ている人位に考えていました。直ぐには見つからなかったが、やがて倒れた木の幹に一人の女性と少し距離を置いて腰掛けて語り合っているところを見つけた。女性はその人の話に熱心に聞き入っています。
 私が近付くのを見て彼は立ち上がって彼の方から歩み寄って来た。そこで私はまずこう述べた。
 「この度はお世話になりました。お蔭様であの気の毒な男に何とか私の気持を伝えることが出来ました。あなたのお口添えが無かったらこうはいかなかったでしょう。どうやらこの辺りの住民の事についてはあなたの方が私よりもよく心得ていらっしゃるようで、お蔭で助かりました。ところで、あなたご自身の身の上、そしてこれから先のことはどうなっているのでしょう?」
 彼はこう答えた。
 「こちらこそお礼申し上げたいところです。私の身の上をこれ以上隠すべきでもなさそうですので申し上げますが、実は私はこの土地の者ではなく、第四界に所属している者です。私は自ら志願してこうした暗黒界で暮らす気の毒な魂を私に出来る範囲で救う為にここに参っております」
 私は驚いて「ずっとここで暮らしておられるのでしょうか」と尋ねた。
 「ええ、随分長いこと暮らしております。でも、あまりの息苦しさに耐えかねた時は、英気を養う為に本来の界へ戻って、それから再びやって参ります」
 「これまで何度程戻られましたか」
 「私がこの土地へ初めて降りて来てから地上の時間にしてほぼ六十年が過ぎましたが、その間に九回程戻りました。初めの内は地上時代の顔見知りの者がここへやって来ることがありましたが、今では一人もいなくなりました。みんな見知らぬ者ばかりです。でも一人ひとりの救済の為の努力を続けております」
 この話を聞いて私は驚くと同時に大いに恥じ入る思いがした。
 この度の我々一団の遠征は一時的なものにすぎない。それを大変な徳積みであるかに思い込んでいた。が、今目の前に立っている男はそれとは次元の異なる徳積みをしている。己の栄光を犠牲にして他の者の為に身を捧げているのである。その時まで私は一個の人間が同胞の為に己を犠牲にするということの真の意味を知らずにいたように思う。それも、こうした境涯の者の為に自ら死の影とも呼ぶべき暗黒の中に暮らしているのである。彼はそうした私の胸中を察したようです。私の恥じ入る気持を和らげる為にこう洩らした。
 「なに、これも主イエスへのお返しのつもりです-主もあれほどの犠牲を払われて我々にお恵みをくださったのですから・・・・」
 私は思わず彼の手を取ってこう述べた。
 「あなたはまさしく“神の愛の書”の聖句を私に読んで聞かせてくださいました。主の広く深き美しさと愛の厳しさは我々の理解を超えます。理解するよりも、ただ讃仰するのみです。が、それだけに、少しでも主に近き人物、言うなれば小キリストたらんと努める者と交わることは有益です。思うにあなたこそその小キリストのお一人であらせられます」
 が、彼は頭を垂れるのみであった。そして私がその髪を左右に分けられたところに崇敬の口づけをした時、彼は独り言のようにこう呟いたのだった。
 「勿体無いお言葉-私に少しでもそれに値するものがあれば-その有難き御名に相応しきものが一欠片でもあれば・・・・」

自殺ダメ


これは、オーエンの『ヴェールの彼方の生活』の第三巻に書かれていた話である。



 1918年1月4日 金曜日

 その集落を後にしてから我々は更に暗黒界の奥地へと足を踏み入れました。そこここに家屋が群がり、焚き火が燃えている中を進みながら耳を貸す意志のある者に慰めの言葉や忠言を与えるべく我々として最善の努力をしたつもりです。が、残念なことにその大部分は受け入れる用意は出来ていませんでした。反省してすぐさま向上の道へ向かう者は極めて少ないものです。多くはまず強情がほぐれて絶望感を味わい、その絶望感が憧憬の念へと変わり、哀れなる迷える魂に微かな光が輝き始める。そこでようやく悔恨の情が湧き、罪の償いの意識が芽生え、例の光の橋へ向けての辛い旅が始まります。が、この土地の者がその段階に至るのはまだまだ先のことと判断してその集落を後にしました。我々には使命があります。そして心の中にはその特別の仕事が待ち受けている土地への地図が刻み込まれております。決して足の向くまま気の向くままに暗黒界を旅しているのではありません。ただならぬ目的があって高き神霊の命によって派遣されているのです。
 行く程に邪悪性の雰囲気が次第に募るのを感じ取りました。銘記して頂きたいのは、地域によって同じ邪悪性にも“威力”に差があり、また“性質”が異なることです。同時に又、地上と同じくその作用にムラが見られます。邪悪も全てが一つの型にはまるとは限らないということです。そこにも自由意志と個性が認められるということであり、どれだけ永い期間それに浸るかによって強烈となっているものもあれば比較的弱いものもある。それは地上においても天界の上層界においても同じことです。
 やがて大きな都市に辿り着いた。守衛の一団が行進歩調で往来する中を、どっしりとした大門を通り抜けて市中へ入った。それまでは姿を見せる為に波長を下げていたのを、今度は反対に高めて彼等の目に映じない姿で通り抜けた訳です。大門を通り抜けて直ぐの大通りの両側には、まるで監獄の防壁のような、がっしりとした作りの大きな家屋が並んでいる。その内の何軒かの通風孔から毒々しい感じの明りが洩れて通路を照らし、我々の行く先を過ぎっている。そこを踏みしめて進む内に大きな広場に来た。そこに一つの彫像が高い台の上に立っている。広場の中央ではなく、やや片側に寄っており、その直ぐ傍に、その辺りで一番大きい建物が立っていた。
 彫像はローマ貴族のトーガ(ウールの緩やかな外衣)をまとった男性で、左手に鏡を持って自分の顔を映し、右手にフラゴン(聖餐用のブドウ酒ビン)を持ち、今まさに足元の水だらいにドボドボとブドウ酒を注いでいる-崇高なる儀式の風刺です。しかもその水だらいの縁には様々な人物像がこれまた皮肉たっぷりに刻まれている。子供が遊んでいる図があるが、そのゲームは生きた子羊のいじめっこである。別の所にはあられもない姿の女性が赤ん坊を逆さに抱いている図が彫ってある。全てがこうした調子で真面目なものを侮っている-童子性、母性、勇気、崇拝、愛、等々を冒涜し、我々がその都市において崇高なるものへの憧憬を説かんとする気力を殺がせる、卑猥にして無節操極まるものばかりである。辺り一面が不潔と侮辱に満ちている。どの建物を見ても構造と装飾に啞然とさせられる。しかし初めに述べた如く我々には目的がある。嫌なことを厭ってはならない。使命に向かって突き進まねばならない。
 そこで我々は意念を操作して姿をそこの住民の目に映じる波長に落としてから、右の彫像の直ぐ後ろの大きな建物-悪の宮殿-の門を潜った。土牢に似た大きな入り口を通り抜けて進むと、バルコニーに通じる戸口まで来た。バルコニーは見上げるようなホールの床と天上の中間を巻くようにしつらえてあり、所々に昇降階段が付いている。我々はその手摺りの所まで近付いてホールの中を覗いた。そこから耳をつんざくような強烈な声が聞こえてくるが、暫くはそれを発している人物の姿が見えなかった。そうして我々の目が辺りを照らす毒々しい赤っぽい光に慣れてくると、どうやら中の様子が判ってきた。
 すぐ正面に見えるホールの中央にバルコニーへ出る大きな階段がらせん状に付いている。それを取り囲むようにして聴衆が群がり、階段もその中ほどまで男女がすずなりになっている。が、その身なりはだらしなく粗末である。そのくせ豪華に見せようとする意図が見られる。例えば黄金の銀のベルトに首飾り、銀のブローチ、宝石をあしらったバックルや留め金を身に付けている者がそこら中にいる。が、全部模造品であることは一目で判る。黄金に見えるのもただの安ピカの金属片であり、宝石も模造品である。その階段の上段に演説者が立っている。大きな図体をしており、邪悪性が他を威圧する如くにその図体が他の誰よりも大きい。頭部にはトゲのある冠をつけ、汚ならしい灰色をしたマントルを羽織っている。かつては白かったのが性質が反映してすすけてしまったのであろう。胸の辺りに偽の黄金で作った二本の帯が交差し、腰の辺りで革紐で留めてある。足にはサンダルを履き、その足元に牧羊者の(先の曲った)杖が置いてある。が、見ている我々に思わず溜息をつかせたのは冠であった。トゲは茨のトゲを黄金であしらい、陰気な眉の辺りを巻いていた。
 帰れるものなら今直ぐにも帰りたい心境であった。が、我々には目的がある。どうしても演説者の話を最後まで聞いてやらねばならなかった。その時の演説の中身を伝えるのは私にとって苦痛です。貴殿が書き取るのも苦痛であろうと思います。が、地上にいる間にこうした暗黒界の実情を知っておくことです。なぜなら、こちらの世界にはもはや地上のような善と悪の混在の生活がない。善は高く上り悪は低く下がり、この恐ろしい暗黒界にいたっては、善による悪の中和というものは有り得ない。悪が悪と共に存在して、地上では考えられないような冒涜行為が横行することになります。
 なんと、彼が説いていたのは“平和の福音”だった。そのごく一部だけを紹介して、後はご想像にお任せすることにしたい。
 「そこでじゃ、諸君、我々はその子羊を惨殺した獣を崇拝する為に、素直な気持でここに参集した。子羊が殺害されたということは、我々が幸福な身の上となり呪われし者の忌まわしき苦しみを乗り越えて生きて行こうとする目的にとっては、その殺害者は事実上の我々の恩人ということである。それ故、諸君、その獣が子羊を真剣に求めそして見出し、その無害の役立たずものから生命の血液と贖いをもたらしてくれた如くに、諸君も、常に品性高き行為にご熱心であるからには、その子羊に相当するものを見つけ出し、かの牧羊者が教え給うた如くに行なうべきである。諸君の抜け目なき沈着さをもって、子羊の如き惰性の中から歓喜の熱情と興奮に燃える生命をもたらすべきである・・・・そして女性諸君。下衆な優美さに毒されたその耳に私より一服の清涼剤を吹き込んで差し上げよう。私を総督に選出してくれたこの偉大なる境涯に幼児はやって参らぬ。がしかし、諸君に申し上げよう。どうか優しさをモットーとするこの私と、私が手にしているこの杖をとくと見て欲しい。そして私を諸君の牧羊者と考えて欲しい。これより諸君を、多すぎる程の子供を抱えている者の所へこの私がご案内しよう。その者達は、かつて折角生命を孕みながら、余りに深き慈悲故に、その生命を地上に送って苦をなめさせるに忍びず、生贄としてモロック(子供を人身御供として祭ったセム族の神。レビ記18.21、列王紀23.10。訳者)の祭壇に捧げた如く、その母なる胸より放り棄てる程多くの子供を抱えている。さ、諸君、生贄とされた子を愛惜しみつつも、その子のあまりに生々しき記憶に怯え、それを棄て去らんと望む者の所へ私が連れて参ろう」
 こうした調子で彼は演説を続けたが、そのあまりの冒涜性の故に私はこれ以上述べる気がしません。カスリーンに中継させるのも忍びないし、貴殿に聞かせるのも気が引けます。それを敢えて以上だけでも述べたのは、貴殿並びに他の人々にこの男の善性への冷笑と愚弄的従順さの一端を知って頂きたかったからであり、しかも彼がこの境涯にいる無数の同類の一つのタイプにすぎないことを知って頂く為です。いかにも心優しい人物を装い、いかにも遠慮がちに述べつつも、実はこの男はこの界層でも名うての獰猛さと残忍さを具えた暴君の一人なのです。確かに彼はその国の総督に選ばれたことは事実ですが、それは彼の邪悪性を恐れてのことだった。その彼が、見るも哀れな半狂乱の聴衆を“品性高き者”と述べたものだから、彼等は同じ恐怖心にお追従も手伝って彼の演説に大いなる拍手を送った。彼はまた聴衆の中の毒々しく飾った醜女達を“貴婦人”と呼び、羊飼いに羊が従う如くに自分に付いて来るがよいと命じた。するとこれまた恐怖心から彼女達は拍手喝采をもって同意し、彼に従うべく全員が起立した。彼はくるりと向きを変えて、その巨大な階段を登ろうとした。
 彼は次の段に杖をついて、やおら一歩踏み出そうとして、ふとその足を引いて逆に一歩二歩と後ずさりし、ついに床の上に降りた。全会衆は希望と恐怖の入り混じった驚きで、息を呑んで身を屈めていた。その理由はほかならぬ階段の上段に現れた我々の姿だったのです。我々はその環境において発揮出来る限りの本来の光輝を身にまとって一番上段に立ち、更に霊団の一人である女性が五、六段下がった所に立っていました。エメラルドの玉飾りで茶色がかった金色の髪を眉の上辺りで縛り、霊格を示す宝石が肩の辺りで輝いており、その徳の高さを有りのままに表している。胴の中程を銀のベルトで縛っている。こうした飾りが目の前の群集の安ピカの宝石と際立った対照を見せている。両手で白ユリの花束を抱えているその姿は、まさしく愛らしい女性像の極致で、先程の演説者の卑猥な冒涜に対する挑戦でした。
 男性も女性もしばしその姿に見とれていたが、そのうち一人の女性が思わずすすり泣きを始め、まとっていたマントでその声を抑えようとした。が、他の女性達も甦ってくるかつての女性らしさに抗しきれずに泣き崩れ、ホールは女性の号泣で満たされてしまった。そうして、見よ、その悲劇と屈辱の境涯においては久しく聞くことのなかった純情の泣き声に男達まで思わず手で顔を覆い、地面に身を伏せ、厚い埃も構わずに床に額を擦り付けるのだった。
 が、総督は引っ込んでいなかった。自分の権威に脅威が迫ったと感じたのである。全身に怒りを露にしながら、ひれ伏す女性達の体を踏みつけながら、大股で、最初に泣き出した女性の所へ歩み寄った。それを見て私は急いで階段の一番下まで降りて一喝した-
 「待たれよ!私の所へ来なされ!」
 私の声に彼は振り返り、ニヤリとしてこう述べた。
 「貴殿は歓迎いたそう。どうぞお出でなされ。吾輩はここにいる臆病な女共が貴殿の後ろのあのご婦人の光に目が眩んだようなので正気付かせようとしているまでしゃ。みんなして貴殿を丁重にお迎えする為にな・・・・」
 が、私は厳しい口調で言い放った。
 「お黙りなさい!ここへ来なさい!」
 すると彼は素直にやって来て私の前に立ったので、続けてこう言って聞かせた。
 「あの演説といい、その虚飾といい、冒涜の度が過ぎますぞ!まずの冠を取りなさい。それからその牧羊者の杖も手放しなさい。よくも主を冒涜し、主の子等を恐怖心で束縛してきたものです」
 彼は私の言う通りにした。そこで私は直ぐ傍にいた側近の者に、先程よりは優しい口調でこう言って聞かせた。
 「あなた達はあまりに長い間臆病過ぎました。この男によって身も心も奴隷にされてきました。この男はもっと邪悪性の強い者が支配する都市へ行かせることにします。これまでこの男に仕えてきたあなた達にそれを命じます。そのマントを脱がせ、そのベルトを外させなさい。主を愚弄するものです。彼もいつかはその主に恭順の意を表することになるであろうが・・・・」
 そう言って私は待った。すると四人の男が進み出てベルトを外し始めた。男は怒って抵抗したが、私が杖を取り上げてその先で肩を抑えると、その杖を伝って私の威力を感じて大人しくなった。これで私の意図が叶えられた。私は彼にそのホールから出て外で待機している衛兵に連れられて遠い土地にある別の都市へ行き、そこでこれまで他人にしてきたのと同じことをとくと味わってくるようにと言いつけた。
 それからホールの会衆にきちんと座り直すように言いつけ、全員が落ち着いた所で最初に紹介した歌手に合図を送った。すると強烈な歌声がホール全体に響き渡った。その響きに会衆の心は更に鼓舞され、そこには最早それまで例の男によって抑えられてきた束縛の跡は見られなかった。辺りの明りから毒々しい赤味が消え、柔らかな明るさが増し、安らかさが会場に漲り、興奮と感激に震える身体を爽やかに包むのでした。

-どんなことを歌って聞かせたのでしょうか。

 活発な喜びと陽気さに溢れた歌-春の気分、夜の牢獄が破られて訪れる朝の気分に満ち、魂を解放する歌、小鳥や木々、せせらぎが奏でるようなメロディを歌い上げました。聖とか神とかの用語は一語も使っておりません。少なくともその場、その時には、一切口にしませんでした。彼等にとって何よりも必要としない薬は、それまでの奴隷的状態からの開放感を味わうように個性に刺激を与えることでした。そこで彼は生命の喜びと友愛の楽しさを歌い上げたのでした。と言って、それで彼等がいきなり陽気になったワケではありません。言わば絶望感が薄らいだ程度でした。その後は我々が引き受け、訓戒を与え、かくしてようやくそのホールが、かつては気の向かぬまま恐怖の中で聞かされていた冒涜の対象イエス・キリストの崇拝者によって満たされる日が来ました。崇拝といっても、善性に溢れた上層界でのそれとは較べものになりませんが、調和の欠けた彼等の哀れな声の中にも、この度の我々のように猜疑心と恐怖心に満ちた彼等の邪悪な感情のるつぼに飛び込んで苦心した者の耳には、どこか心を和ませる希望の響きが感じられるのでした。
 それから後は我々に代わって訪れる別の霊団によって強化と鍛練を受けそれから先の長くかつ苦しい、しかし刻一刻開けてゆく魂の夜明けへ向けての旅に備えることになっており、我々は我々で、更に次の目的地へ向けて出発したのでした。

-そのホールに集まったのは同じ性質の者ばかりですか。

 ほぼ同じです。大体において同質の者ばかりです。性格的に欠けたところのある者も少しはおりました。それよりも、貴殿には奇異で有り得ないことのように思える事実をお話しましょう。彼等の内の何名かが先の総督の失脚のお伴をすることになったことです。彼の邪悪性の影響を受けて一身同体と言える程にまでなっていた為に、彼等の個性には自主的に行動する独立性が欠けていたわけです。その為に、それまで総督の毒々しい威力の中で仕えてきた如くに、その失脚のお伴まですることになった。が、その数は僅かであり、別の事情で別の土地へ向かうことになった者も少しばかりいました。しかし大多数は居残って、久しく忘れていた真理を改めて学び直すことになりました。遠い昔の話は今の彼等にとっては新鮮に響き、かつ素晴らしいものに思えるらしく、見ている我々には可哀相にさえ思えました。

-その後その総督はどうなりましたか。

 今も衛兵が連れて行った遠い都市にいます。邪性と悪意は相も変わらずで、まだまだ戻っては来れません。この種の人間が崇高なものへ目を向けるようになるのは容易なことではないのです。

-衛兵が連れて行ったと言われましたが、それはどんな連中ですか。

 これはまた難しい質問をなさいましたね。これは神について、その叡智、その絶対的支配についてもっと深く悟るまでは、理解することは困難な問題の一つです。一言で言えば神の支配は天国だけでなく地獄にも及んでいるということで、地獄も神の国であり(悪魔ではなく)神のみが支配しているということです。先の衛兵は実は総督を連れて行った都市の住民です。邪悪性の強い人間であることは確かであり、神への信仰などおよそ縁のない連中です。ですが総督を連行するよう命ぜられた時、誰がそう裁決したのか聞こうともせず、それが彼にとって最終的な救済手段であることも知らぬまま、文句も言わずに命令に従った。この辺の経緯の裏側を深く洞察なされば、地上で起きる不可解な出来事の多くを解くカギを見出すことが出来るでしょう。
 大抵の人間は悪人は神の御国の範囲の外にいるもの-罪悪や災害は神のエネルギーか誤って顕現したものと考えます。しかし実は両者とも神の御手の中にあり、罪人さえも、本人はそうと知らずとも、究極においてはそれなりの計画と目的を成就させられているのです。この問題はしかし、今ここで扱うには少し大きすぎます。では、お寝みになられたい。我々の安らぎが貴殿のものとなるよう祈ります。

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