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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ 生き甲斐ある人生を送るには

シルバーバーチ 生き甲斐ある人生を送るには 目次

生き甲斐ある人生を送るには(1)

生き甲斐ある人生を送るには(2)

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自殺してはならない理由


 我々一同は霊の道具です。神の道具として役立つということは光栄なことです。人の為に役立つことをすること程立派な宗教的行為はありません。それこそが霊の正貨(コイン)です。人の為に自分を役立てることは崇高なことです。
 それは人の生活を豊かにすると同時に自分の生活をも豊かにします。又、この世には自分のことを思ってくれる者はいないと思い込んでいる人々に慰めをもたらします。
 人の為に役立っていると思う時、私達は心の奥に安らぎと静けさと満足感を覚えます。宇宙の絶対的な支配力への全幅の信頼、神へ向けて一歩又一歩と近付かんとする努力の支えとなる堅忍不抜さは、人の為に尽くしている中でこそ得られるのです。
 目標の頂点は宇宙の大霊すなわち神です。我々が生活するこの果てしない宇宙を創造し、ありとあらゆる存在に配剤する為の摂理を考案した無限の愛と叡智の粋です。
 大霊と離れて何ものも存在しません。大霊が全てなのです。大なるもの、小なるもの、複雑なもの、単純なもの、生命現象のありとあらゆる側面に対して神の配剤があるのです。霊の働きがあってこそ、全てが存在出来ているのです。神の霊が全てに潜在している以上、神との縁は切ろうにも切ることが出来ないのです。人間がいかなる説を立てようと、神が全てに宿り給い、従って神は全てであり、全てが神であるという事実は変えることは出来ません。
 無限なる創造主であり、その愛と叡智によって壮大な宇宙を経綸し、その完全なる知性によって摂理を考案して、壮大と言える程大きいものから顕微鏡的に小さいものまでの、ありとあらゆる存在を包摂し、その一つ一つに必要な配剤をしてくださっている大霊を超えた存在は、誰一人、何一つありません。その摂理の作用は完全無欠であり、その支配の外に出られるものはありません。
 小さ過ぎるからということで無視されたり、見落とされたり、忘れ去られたりすることはありません。それは大霊の一部が生きとし生けるもの全てに宿っているからです。言い換えれば神がその霊性の一部を各自に吹き込んだからこそ存在しているのであり、その霊性が神と我々とを結び付け、又、我々お互いを繋いでいるのです。
 その絆を断ち切ることの出来る力は地上にも死後の世界にも存在しません。その絆があるからこそ、叡智と真理と啓示の無限の貯蔵所を利用することも可能なのです。
 生命力すなわち霊が全ての存在、全ての人間に宿っているのです。その最高の形が他ならぬ人類という存在に見られます。人類の一人一人の中に、永遠に神と結び付け、又人間同士を結び付けている霊性が宿っているのです。その絆こそ万全の宇宙的ネットワークの一環なのです。
 皆さんより永い経験をもつ私達霊団の者も、この果てしない大機構を生み出された神の叡智の美事さに感嘆せずにいられないことばかりです。
 又私達の心の視野を常に広げ、自分が何者であり、いかなる存在であるかについての認識を増やし続けてくれる真理と叡智とインスピレーションの絶え間ない流れ、私達の一人一人に宿る霊の力、我がものとすることが出来るにも関わらず、霊の豊かさと神と同胞との繋がりについて何も知らずにいる地上の人達の為に活用すべき才能を授かっていることに、私達霊団の者は改めて感謝の意を表明せずにはいられません。
 大自然の法則は、我々の一人一人に生命を吹き込んでくださった創造神と常に一体関係にあるように、そして地上世界はおろか霊の世界のいかなる力によってもその絆が断ち切られることがないように配慮してあるのです。
 更にその霊の機構を愛の力が導き管理し常に調和を維持して、受け入れる用意のある者が霊力と叡智と真理とインスピレーションとを授かる為の手段を用意しております。
 その上我々自らが道具となって、地上の人間生活を豊かにし、病める者を癒し、喪に服する者を慰め、人生に疲れた者に力を与え、道を見失える者に導きを与える、全存在の始源からの崇高な霊力の恩恵をもたらすことが出来るのです。
 我々はその為の才能を授かっているのです。それを発達させることによって、我々が手にした掛け替えのない知識の恩恵に与れずにいる不幸な人達の為に活用することが出来ます。要するに、この荘厳な霊力の流れる通路として一層磨きをかけ、受け入れる用意の出来た人々に惜しみなく恩恵をもたらしてあげられるようになることが、我々の大切な務めなのです。
 さて、ここで人生体験が霊的に見てどのような意味をもっているかをご説明しましょう。地上の人間は、なぜ苦しみがあるのか、病気には何の目的があるのか、なぜ危機、困難、障害といったものに遭遇しなければならないかといった疑問を抱きますが、これらは皆それに遭遇することによってまずカタルシス(注1)を起こさせ、続いてカタリスト(注2)として霊的真理を学ばせる機会を提供してくれる、魂が是非とも体験しなければならない挑戦課題なのです。(注1-語源的には〝浄化する〟ということで、それが精神医学において、無意識の精神的抑圧を洗い流す作用を意味する。注2-精神的革命の触媒となるもの-訳者)
 魂は低く落ち込むことが可能であるだけ、それだけ高く向上することも出来ます。それが両極の原理です。すなわち作用と反作用は相等しいものであると同時に正反対のものであるという法則です。憎しみと愛、光と闇、嵐と静けさ、こうした〝対〟は同じコインの表と裏の関係にあるのです。
 私の好きな諺がバイブルの中にあります。〝信仰に知識を加えよ〟というのですが、私はこれを〝知識を得たら、それに信仰を加味せよ〟と言い換えたいところです。所詮全ての知識を手にすることは出来ません。あなた方は人の子であり、能力に限界があるからです。人生の嵐に抵抗し、何が起きようと磐石不動である為には、その土台として霊的知識を必要としますが、限られた知識では全てを網羅することは出来ません。その足らざる部分は信仰心で補いなさいと私は言うのです。
 本来の住処である霊界から地上へこうして戻って来て皆さんの賛同を得るのに私達霊団が愛と理性に訴えていることを、私は誇りに思っております。有無を言わせず命令することはしません。ああして欲しいとか、こうしてくれとかの要求も致しません(注)。あなた方の判断によって自由におやりになられるがよろしい。そして霊の世界から申し上げることがあなた方の理性を納得させることが出来ず反発を覚えさせる時、知性が侮辱される思いをなさる時は、遠慮なく拒絶なさるがよろしい。(注-この姿勢は当初からの方針として徹底しており、例えば霊言を公表すべきか否かについてさえバーバネルとスワッハーとの間で意見が対立し激論を闘わせたこともあったのに、シルバーバーチはそのことに一言も口を挟んでいない。これは霊界の計画だから早く公表するように、といった助言があってもよさそうに思えるのであるが、それすらなく、実際にサイキックニューズ紙に連載され、やがて霊言集として出版されるまでに十数年の歳月が流れている-訳者)
 私達としては皆さんが自発的に望まれた上で協力と忠誠を捧げてくださるように、皆さんの内部の卑俗なものではなく最高の判断力に訴えなければならないのです。と言って私達の方からは何もしないというのではありません。それぞれの活動の分野、日常の仕事において援助を受けていらっしゃることに気付かれる筈です。そしてそれとは別の分野において、人の為に役立つことをするように導かれているのです。
 私も私なりに皆さんのお役に立ちたいと願っております。気付いていらっしゃらないかも知れませんが、これまでに味わったことのない精神的ないし霊的な豊かさをきっと手にされることになる生き方に沿って導かれていらっしゃいます。そうした中にあってさえ皆さんの心の中には次々と悩みが生じ疑問を抱かれるのも、地上の人間としては止むを得ないこととして私は理解しております。がしかし、どう理屈を捏ねたところで、全宇宙の中にあって唯一の実在は〝霊〟であることを改めて申し上げます。
 物質はその本性そのものが束の間の存在であり移ろい易いものです。物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが存在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。原動力は霊なのです。霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。霊が引っ込めば物質は崩壊します。あなたの身体は元の塵に戻りますが、本当のあなたである霊は永遠の進化の旅を続けます。
 あなた方は霊を携えた身体ではありません。身体を携えた霊なのです。本当のあなたは鏡に映る容姿ではありません。それは霊が地上で自我を表現する為の物的な道具、複雑な機械に過ぎません。霊は物質に勝ります。霊が王様であり、物質は召使です。
 こうした事実を追求して行く内に、あなたの視野と焦点に置き所が変わって行くことに気付かれます。自分がなぜ地上にいるのか、真の自我を発揮するにはどうすべきか、そうしたことを理解し始めます。どういう種類のことであっても結構です。自分の能力を伸ばして他人への援助を啓発の為に活用する-それがあなた方の為すべきことです。
 忘れないで頂きたいのは、皆さんは不完全な世界に生きている不完全な存在だということです。もしも完全であれば神はあなた方を地上へ送らなかったでしょう。その不完全な世界においてあなた方は、持てる才能をいかに活用するかについて、自由な選択権が与えられております。
 地上世界の特異性は対照性、ないしは両極性にあります。美点と徳性を具えたものと、それ等を欠いたものとが同じ地上に存在していることです。これは霊界では有り得ないことです。各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しません。
 地上生活の目的は善悪様々な体験を通じて魂が潜在的霊性を発揮して、逞しく成長するチャンスを提供することです。それで悪事があり、罪があり、暴力があるわけです。進化は一直線に進むものではありません。スパイラルを描きながら進みます。表面的には美しく見えても、その底はあまり美しくないものがあります。
 私が霊界の界層の話をする時、それは必ずしも丸い天体のことを言っているのではありません(注)。様々な発達段階の存在の場のことを指しており、それ等が地理的に平面上で仕切られているのではなくて、低いレベルから高いレベルへと、段階的に繋がっているのです。
 (注-〝必ずしも〟と言っていることから察せられるように、地球と同じ丸い形をした界層も存在する。それが取りもなおさず地縛霊の世界で、地球圏の範囲から抜け出られないまま地上と同じような生活の場を形成している。同じことが各天体について言えると考えてよい-訳者)
 それが無限に繋がっており、これでお終いという頂上がないのです。霊性が開発されるにつれて、更に開発すべきものがあることに気付きます。知識と同じです。知れば知る程、その先にもっと知るべきものが存在することに気付きます。
 各界層にほぼ同等の霊的発達段階にある者が集まっております。それより高い界層へ進むにはそれに相応しい霊格を身に付けなければなりません。それより低い界層へはいつでも行くことが出来ます。現に私達は今こうして低い界層の人々を啓発する使命を担って地上へ下りて来ております。
 向上とは不完全さを洗い落とし、完全へ向けて絶え間なく努力して成長していくことです。それには今日一日を大切に生きるということだけでよいのです。毎朝の訪れを性格形成の為の無限の可能性を告げるものとして迎えることです。それが自我を開発させ、人生に目的性をもたせることになります。残念ながら今の地上のあまりに大勢の人達が人生に対する目的意識を忘れております。
 神の心を我が心とするように心掛けることです。霊力と一体となるように心掛けることです。皆さんの一人一人が神の愛の御手が触れるのを感じ取り、常に守られていることを知り、明日が何をもたらすかを恐れないようにならないといけません。そして人の為に自分を役立てる機会を頂くことを喜ぶことです。
 私達は大きな闘いに参加しております。小競り合い、大規模な戦争が幾つもありました。が、本当に闘っている相手は貪欲、怨念、利己主義という、地上を蝕んでいる物質中心主義の副産物です。
 そこで私達は全存在の始源は、無限の創造主から発せられる聖なる霊力であることを実証し、死が言語に絶する素晴らしい霊の世界への扉に過ぎないことをお教えするのです。
 それがあなた方も参加しておられる闘いです。その将校や指揮官は、戦闘のあまりの激しさに退却することがないよう、厳しい試練を受けねばなりません。
 あなた方の進むべき道は、霊界からあなた方を愛している大勢の霊が必ず示してくれます。それは地上で血縁関係にあった者だけではありません。霊的な近親関係にある者もいます。その霊達があなた方を使って恵まれない人々の為に影響力を行使するのです。
 我々は皆同じ霊的巡礼の旅を続ける仲間です。神への巡礼の道は無数に存在します。いかなる知識も、それが我々の視野の地平線を少しでも広げ、この宇宙についての理解を深める上で役立っていることを感謝致しましょう。
 知識には責任が伴います。それなりの代価を支払わねばなりません。知識を手にしたということは、それを手にしていない人よりも責任が大きいということです。しかし私達霊界の者は、私達の道具として協力してくださる地上の人々を見捨てるようなことは決して致しません。本当ならここで、あなた方地上の人達も決して私達を見捨てませんというセリフをお聞きしたいところですが、残念ながらそれは有り得ないことのようです。
 皆さんはご自分で気付いていらっしゃる以上に霊界から色々と援助を受けておられます。いずれ地上を去ってこちらへお出でになり、地上でなさったことを総合的に査定なされば、きっと驚かれることでしょう。私達は魂の成長に関わったことで援助しているのです。それが一番大切だからです。
 それに引き換え、地上の各分野での混乱ぶりはどうでしょうか。宗教は本来の目的を果たせなくなっております。科学者は自分達の発明・発見が及ぼす被害の大きさを十分に認識しておりません。唯物思想の袋小路に入り込んでしまった思想家達は、誰一人救えないどころか自分自身すら救えなくなっております。その点我々は光栄にも神の道具として大切な仕事を仰せつかり、一人ひとりに託された信頼を自覚しております。
 私達霊界の者は、縁あって皆さんの下を訪れる人達に霊と精神と身体に真実の自由をもたらす崇高な真理を理解させ真の自我を見出させてあげるべく、皆さんを導き、勇気付け、元気付け、鼓舞する用意が出来ております。本当の自分を見出すこと、それが人生の究極の目的だからです。
 地上には霊的進歩を計る物差しがありませんから、そうした協力関係の中で皆さんがどれ程の貢献をなさっているかがお分かりになりません。しかし、たった一人の悲しみを慰め、たった一人の人の病気を治し、たった一人の人に真の自我に目覚めさせてあげることが出来たら、それだけあなたの全人生が無駄でなかったことになります。私達はひたすら〝人の為に役立つこと〟を心掛けております。
 不安を抱いたり動転するようなことがあってはなりません。不安は無知の産物です。知識を授かった人は、それによって不安を追い払えるようでなくてはなりません。皆さんは宇宙最大のエネルギー源との繋がりが持てるのです。これまでに知られた物的世界のいかなるエネルギーよりも壮大です。崇高なエネルギーです。それをあなた方を通して流入させ、恵み深い仕事を遂行することが出来るのです。
 落胆したり悲観的になったりしてはなりません。幸いにして不変の基本的な霊的真理を手にした者は、いかなる事態にあっても霊は物質に勝るとの信念を忘れてはなりません。解決策はきっと見つかります。ただ、必ずしも直ぐにとはいきません。暫く待たされることがあります。(別のところで、忍耐力と信念を試す為にわざとギリギリのところまで待たせることもする、と述べている-訳者)
 自分より恵まれない人の為の仕事に従事することは光栄の上ないことです。我々が人の為に尽くしている時、我々自らも、より高い、進化せる存在による働きかけの恩恵を受けているのです。自分のことは何一つ望まず、ただひたすら我々を鼓舞して、暗闇のある所には光を、無知の蔓延っている所には真理を、窮地に陥っている人には援助をもたらすことに精励しているのです。
 そうした強大な霊団-生き甲斐のある人生を模索している人の為に、我々を道具として尽力している高級霊-の存在をますます身近に感じることが出来るように努力致しましょう。
 その崇高なる霊力がますます多くの人間を通じて地上へ注がれ、恩恵を広め、悲しむ人々を慰め、病の人を癒し、道に迷い、最早解決の手段は無いものと思い込んでいる人々に導きを与えることが出来ているということは、本当に有り難いことです。
 霊力がどこかで効を奏すると、そこに橋頭堡が敷設され強化されます。続いて新たな橋頭堡の敷設と強化を求めます。かくして次第に霊力が地球を取り囲み、ますます多くの人々がその莫大な恩恵に与ることになります。
 我々はこれまでに存在の始源から勿体ない程多くの恩恵を授かってまいりました。それによって同志の多くが霊的に豊かになりました。なればこそ、我々より恵まれない人達が同じ豊かさと美と栄光を分かち合えるように、我々の奉仕的精神を一段と堅固に、そして強力にすることが出来るよう神に祈りたいと思います。
 知識がもたらすところの責任も片時も忘れないように致しましょう。我々は最早、知らなかったでは済まされません。精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです。人間の一人一人に神性の一部を植え付けてくださった宇宙の大霊とのより一層の調和を求めて、人の為に自分を役立てる機会をますます多く与えてくださるように祈ろうではありませんか。
 そうした生き方の中においてこそ、全て神が良きに計らってくださるという内的な安らぎ、静寂、悟り、落ち着きを得ることが出来ます。そして無限の創造活動を促進する上で我々も役目を担っていることになるのです。

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自殺してはならない理由


-あなたは人類全体が霊において繋がっていると仰ってますが、大半の人間はそのことに気付いておりません。その霊性を発見する為になぜ目覚めなくてはならないのでしょうか。そこのところがよく分かりません。

 表面をご覧になって感じられる程不可解な謎ではありません。理解して頂かねばならないのは、人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体ではないということです。物質が存在出来るのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在の全て、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているのです。
 改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生して来る目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活に相応しい進化を遂げることです。
 地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身に付け、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能を心霊治療その他の分野で人の為に使用出来るまで発達させることを心掛けるべきです。

-この世的なものをなるべく捨てて霊的なものを求める生き方が理想なのでしょうか、それとも出来るだけ多くの地上的体験を積むべきなのでしょうか。

 物質というものを霊から切り離して、あたかも水も通さない程に両者が仕切られているかに思ってはいけません。両者には密接な相互関係があります。地上にいる間は、霊が物質を支配していても物質がその支配の程度を規制しております。物質を霊から切り離して考えてはいけません。
 地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来た時に霊が十分な備えが出来ているように、様々な体験を積むことです。まずこの地球へ来るのはその為です。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整える為の学校です。
 あなた方にとって嫌な体験こそ本当は一番為になるのですよと繰り返し申し上げるのは、そういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。
 酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にドン底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ち受けている生活への備えが出来るのです。

 (ベトナムから訪れた青年が質問する)
-私は余暇を利用して人の為に何かしたいと思っているのですが、何をしたらよいか分かりません。何かアドバイスを頂きたいのですが・・・

 距離的にも霊的にも、あなたは随分長い旅をして来られましたね。しかし今こうしてこの交霊会に出席していらっしゃるという事実が、霊力というものがイザという時に導いてくれることの証明です。
 人の為に何かをなさりたいという願望に対しては、いずれそのチャンスが用意されます。但し、急いでは事を仕損じます。地上の大勢の方々に苦言を呈すれば、長い迷いの末に霊的実在に目覚めた方は、とかく何でもいいから心霊的能力を発揮したいという気持に駆られ過ぎます。
 道はその内示されます。導きを祈ることです。あなたもこれまでの人生で、もう少しで人間への信頼を失いそうになる程の精神的打撃を受けて来られました。しかし信頼を地上の人間にのみ置いてはいけません。神すなわち愛と叡智と知識の権化である大霊が存在します。
 疑念が生じた時は精神を統一して物質界の喧騒から逃れるのです。すると霊的理解が得られます。統一状態が深まれば深まる程内的な安らぎ、静寂、安心感、決意といったものが深まり、自分にとって最良のものが授けられるとの確信をもつことが出来るようになります。
 私からお答え出来るのはそれだけです。あなたは今素晴らしい御手に抱かれております。決して一人ぽっちにはされません。時が経つにつれて人の為に仕事をするチャンスが背後霊によってもたらされてまいります。

 (もう一人の招待客が尋ねる)
-心霊治療を体験した後私自身もグループを結成して心霊治療を開始したのですが、その後私だけ独立して一人で治療活動を続けております。人の為になるのであればどういう形でやっても同じと考えてもよろしいでしょうか。

 あなたご自身はどうお考えですか。

-私は霊的な観点から言うと同じではないと思います。私なりに出来るだけの努力はしているつもりです。が、次々と難しいことが生じて来ると、私の取った態度が霊界側に迷惑をかけたのではなかろうかと思うことがあるのです。

 奉仕は霊の正貨です。奉仕に勝る宗教はありません。人の為に自分を役立てることは尊い行為です。あなたの望み通りの分野で仕事が出来なくても、人の為になると思うことを、その時その時に行えばよろしい。ドアを押してみて直ぐに開けば、その道を行けばよろしい。鍵の掛かったドアをしつこく叩いてはいけません。時間とエネルギーの無駄です。
 次々と生じる難問に動じてはいけません。困難は挑戦すべき課題です。困難もなく難問もなく、障害も妨害もないようでは、潜在する能力を発揮するチャンスがないことになります。
 人間は危機に直面して初めて、自分の奥に思いも寄らなかった力があることに気付きます。普段はその貯えの表面を引っかいている程度に過ぎません。その潜在力と背後霊の導きをもってすれば、克服出来ない程大きな困難はありません。
 私達霊界の者は地上で仕事をしなければならないのです。従ってその限界というものを弁えております。つまり私達が使用する道具は人間的煩悩を具えており、脆く、かつ気紛れです。しかし私達としては差し当たって使用出来るもので最善を尽くすしかありません。
 このサークルに来られる人々にいつも申し上げていることですが、信念に迷いが生じた時は、かつて自分がドン底にあった時に立ち帰ってみることです。もう絶対に救われる見込みはないと思われた奈落の底にいたのです。そしてその絶対絶命のピンチで道が開かれたのです。これからも道は必ず開けてまいります。
 あなたはあなたなりに最善を尽くしていればよいのです。所詮あなたは完全な存在ではありません。地上においても霊界においても、完全というものは達成出来ないのです。完全への道は永遠に続くのです。このことは、このサークルのメンバーの方は耳にタコが出来る程聞かされております。しくじっても又立ち直ることが出来るのです。

 (ここでその質問者はシルビア・バーバネルに向かって「私はあなたがお書きになった When a Child Dies <子供の死後>を読んで色々と慰められました。私も娘を二人亡くしているものですから。つい最近も男の子を亡くされた方にお貸ししたばかりです。私と同じように大きな慰めを得てくださればと期待しているところです」と述べると、シルバーバーチがこう述べた)

 パン種が発酵するのです。これからも発酵し続けることでしょう。この大規模な戦いにおいて、我々は勝ち組の方に属しております。最後は必ず勝利者となります。敗者とはなりません。背後に控える勢力は全宇宙でも最大のものです。大霊の力なのです。地上で知られているいかなる力よりも強大です。これまでその力が成就して来た数々の驚異をこの目で見て来ている私は、その力に全幅の信頼を置いております。私の目には何一つ心配すべき理由は見当たりません。

 (霊的指導者として人生相談にも乗っている人が述べる)
-自分自身、霊的指導者として恥じない生活をしているだろうかという疑問を抱くことがよくあります。人には自信をもって霊的真理を説きながら自分では時折、ふと、疑いの念を抱くことがあるのです。

 あなたのお名前はまさかトマス(注)ではないでしょうね。疑ってはなりません。霊的現象をその目でご覧になりその耳で聞くことの出来た人は幸いです。直ぐ身の回りに存在する驚異的生命の世界を垣間見るという大変な光栄に浴されたのです。その世界には自分のことは何一つ求めず、寄る辺ない身の上をかこつ人々の救済の為に献身している霊がひしめいているのです。それが私達の仕事でもあるのです。(注-イエスの弟子の一人で非常に疑い深い性格で、イエスの復活についても実際に手と足の釘跡を見るまでは信じなかった。八日目にイエスが物質化して出現してトマスにその傷を見せて信じさせた。その時の有名なセリフが〝見ずして信じることの出来る者は幸いである〟-現代人にも通じる名言というべきであろう-訳者)
 私には人間の脆さ、疑念や取り越し苦労はよく理解出来ます。しかし、これまで荘厳と美観と光輝と威力と指導力とを見せ付けてくれた霊力に全幅の信頼を置けば、その霊力は絶対にしくじることがないということを、徐々にではあっても理解していかれることでしょう。人間の方が私達を裏切った例は沢山あります。が、私達がその人達を裏切ったことは一度もありません。
 繰り返しますが、あなた方にはご自分がどれ程貢献していらっしゃるかが推し測れないのです。絶対絶命と思い込んだ魂が本当の自我を見出す上で、あなた方も随分手助けしていらっしゃいます。
 自分が一体誰なのか、何者なのかが分からず、霊的実在に目も耳も塞がれている無数の人を見るのは悲しいことです。道を見失い、沼地に足を取られ、もがきながら生きております。これだと確信出来る道が見出せないのです。 幸いにしてそれを見出している我々は、その責任の重大さを自覚して、我々を頼って来る人々を喜んで迎え、暗闇の中で光明を見出させてあげようではありませんか。

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