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自殺してはならない理由


 《万が一にも大自然の摂理に欠陥が見つかったら、私はこの度の使命を全て放棄します。もしどこかに摂理の通りに行っていないところが見つかったら教えてください。しかし、そういうことは絶対にありません。原因には必ず結果が伴います。蒔いた種を刈るのです。それ以外には有り様がないのです》
 シルバーバーチ

 「皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは大自然の法則のことです。神はこの宇宙を不変の法則によって支配し顕現していくように定めました。宇宙のあらゆる側面が法則によって治められているのです。皆さんが親しんでいる物的地上界であろうと、人間に感知出来ない、それより遙かに大きな霊界であろうと、法則が行き届かないというところはどこにもありません。
 この法則を通して神の意志が働いているのです。人間の法律には変更と修正がつきものです。不完全であり、あらゆる情況を考慮に入れていないからです。が、神の法則は、起こりうるあらゆる事態に備えてあります。全てが規制され、全てが管理され、神の配剤が全てに行き渡っております。
 人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。補給源との繋がりを断たれることになります。そのことに気付いて心構えを改めない限り、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従い続けることになります。
 心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。(オーラには磁気性と電気性の二種類がある。詳しくは『母と子の心霊教室』を参照-訳者)その障害を取り除くまでは生命力が流れ込みません。泰然自若の境地に至るには長く厳しい修行、過酷な試練、そして心配の念の浸入を許すまいとする不断の努力が要請されます。
 無限の愛と叡智を有する神がこの摂理を創案したのです。完璧に出来上がっており、必ずその通りに作用します。心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。その為の機会は日常生活の中にいくらでも用意されております。
 私には自然法則を変える力はありません。因果律という不変の法則に私が干渉することは許されません。例えばあなたの身体が衰弱している兆候を見つければ、大切にするよう警告してあげることしか出来ません。身体は一種の機械です。従ってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば故障するに決まっています。すると休息と修理によって機能を回復させる他はありません。法則は誤魔化せないのです。
 あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。その身体のすることにも限界があり、それを超えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。それはあなたの責任です。あなたの身体だからです。
 いくら愛があるとはいえ、あなたの行為、あなたの言葉、あなたの思念の責任を私が肩代わりしてあげるわけにはまいりません。行為の一つひとつ、言葉の一つひとつ、思念の一つひとつについて、あなた自身が責任を取るのです。身体はその責任ある自己表現の媒体なのですから、その遂行において支障がないように十分な手入れをしておく必要があります。人体は地上のいかなる機械よりも遙かに入り組んだ、素晴らしい組織体です。まさしく驚異というに相応しい道具です。が、それにも手入れがいります。
 自然の摂理と調和した生き方をしていれば病気も異状も不快感もありません。こうしたものは不調和から生じるのです。節理に反することをすれば、その代償を払うことになります。摂理の範囲内で生活していれば恩恵を受けます。
 何よりも動機が優先されます。が、摂理に違反したことをすれば、それに対してペナルティが科せられます。自分の気持を満足させようとして身体を傷めるところまで行ってしまうか否かは、一人ひとりがその霊的進化の程度に従って判断することです。地上生活にも神の計画の中でのそれなりの役割があります。無理を重ねて次の段階の生活への準備が十分に整わない内に地上を去るようなことになってはいけません。
 例えば、ここに人類の福祉に貢献している高潔な人物がいるとしましょう。その人がもしもその道での超人的活動で健康を損ねた場合、それは立派と言えるでしょうか。それも本人自身が判断すべきことです。ただ残念なことに、そうした決断を下すに当たって必ずしも自分自身に真っ正直になり切っていないということです。どこかに自惚れの要素-オレ以外に出来る奴はいないのだという考えが潜んでいるものです。
 法則にも、次元の違いによって色々あります。物的次元のもの、精神的次元のもの、霊的次元のもの、更にはそれらが入り組んで作用する場合もあります。悲しいかな、人間は物的次元のことがギリギリの絶望的段階に至るまで、霊的次元の真理が理解出来ません。それは実在を無視した生活に終始しているからです。物的なものだけが大切と思い込んでいるからです。
 しかし魂はいつかは真の自我に目覚めなくてはなりません。その時から内在する神性が発現し始めるのです。それも神が定めた埋め合わせの法則の一環なのです。苦難が大きいだけ、そこから得られる悟りもそれだけ大きいものとなります。
 神は宇宙の会計士のようなものです。生命の帳簿は常に帳尻が合っており、全てがきちんと清算されております。霊的機構は整然と規制されておりますから、あなたが霊的に受けるものはあなたに相応しい分だけであり、多過ぎることもなければ少な過ぎることもありません。その計算はあなたがそれまでの努力によって到達した霊的進化の程度を基準にして行われます。霊的なことは常に完全な清算が行き届いており、誤魔化しも見せかけも通用しません。
 法則は無限なる愛と叡智の働きによって完璧に機能しています。各自が受け取るのはそれまでの努力に相応しい分だけです。私がそのように定めたのではありません。そのようになっていることを私が知ったというだけです。それを因果律といいます。原因と結果の間にはいかなる者も干渉出来ません。偶発事故とか不測の事態というものは起きません。全ては自然の摂理でそうなっているのです。
 その摂理が廃止されたり、一時停止されたり、妨害されたりすることは絶対にありません。自然の摂理は絶え間なく作用しており、変わることもなければ修正することも出来ません。その摂理と調和して生きることです。すると良い結果が得られます。摂理に引っ掛からないように上手にすり抜ける方法はありません。その作用は絶対です。宇宙の大霊は摂理の精髄であり、権化であり、哀願も弁解も通用しません」

 《私達がこれまでに賜った知識の全て-今生きている宇宙について、その宇宙を法則によって管理している絶対的な力について、そしてその力と私達との関係並びに私達相互の関係について、より明確な理解を得させてくれた知識を有り難く思っております。
 私達は宇宙の摂理の働きについてより多くのことを学び、それが一つの手落ちもなく私達の幸福にとって不可欠のものをいかに美事に用意してくれているか-無限なる叡智によって考案され、無限なる愛によって管理されている摂理が私達全てを包摂し、私達のあらゆる必要性に備え、誰一人としてその支配からはみ出ることがないことを理解しております》

 シルバーバーチ