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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ 質問に答える8

シルバーバーチ 質問に答える8 目次

質問に答える8(1)

質問に答える8(2)

質問に答える8(3)

質問に答える8(4)

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自殺してはならない理由


 「私達霊の世界の生活がどうなっているか、その本当の様子をお伝えすることはとても困難です。霊の世界の無限の豊かさについて、あなた方は何もご存知ありません。その壮大さ、その無限の様相(バラエティ)は、地上のどの形式を引き合いに出されても、どこの壮大な景観を引き合いに出されても、それに匹敵するものはありません」

 本章は死後の生活を主題とした質問と応答の様子を紹介するが、来世の明るい第一印象を伝える上で右のシルバーバーチの言葉が一番適切であろう。シルバーバーチは又霊界を〝完全な計画が完全な形で実施されている現実の例です〟と言い、〝そこに偶然の入る余地が全くないことがお分かりになるでしょう〟と述べている。以下、それを細かく質して説明してもらうことにしよう。

 霊と霊の関係

-死後の世界ではお互いのコミュニケーションはどのようにして行うのでしょうか。

 「こちらへお出でになれば、最早肉体はありません。肉体そっくりの身体はありますが、言葉は話しません。言語というのはいたってお粗末な思念の代用品でして、地上に近い下層界を除けば、そういうお粗末な媒体を用いなくても、以心伝心の素晴らしい交信方法があります。思念は言語を超えたものです。
 同じように、食べることも飲むこともいたましせん。そうやって養わねばならない物的身体が無いからです。身体を大きくする必要がありませんから、蛋白質なんかは必要ではありません。霊的身体がありますが、その養分は置かれた環境から摂取します。
 永遠の太陽とも言うべき光源があり、暗闇がありませんから、寝るということもしません。霊的性質が何一つ隠せないという意味において、みんな霊的に素っ裸ということになります。あるがままの姿が知られ、見せ掛けも代用もカムフラージュも出来ません。
 あなたの交信レベルは霊的に同じレベルの者との間でしか出来ません。自分より上のレベルの者とは出来ません。そのレベルまで霊的に成長するまでは、そのレベルのものが受け入れられないからです。自分より下のレベルまで下りることは出来ます。自分の方が霊的に優れているからです。
 いずれにしても交信は直接的に行われます。あなたが心に抱いたことがそのまま相手に知られ、相手の考えることがそのままあなたに知れます。面倒なことは何も生じません。
 皆さんはの英国に住んでいて英語を喋っています。英語の喋れない外国人と会えば言語が違う為に意志の疎通が出来ません。が、以心伝心の交信には言語は不要です。迅速です。厄介なことは何一つ生じません。
 私がこうして霊媒を支配している間は、思念や画像や映像やシンボルを私に供給してくれる係がいます。供給という用語が適切かどうか知りませんが・・・・私はそれをあなた方の言語に翻訳する訓練が出来ております。それには随分長い年月を要しました。支配中は霊媒の語彙の中から適切な用語を見つけ出さねばなりません。時には霊媒自身が忘れているものもありますが、記憶の層にはちゃんと残っております。が、霊媒から離れてしまえば地上の各種の文献を調べることも出来ます。必要とあれば地上の大家の書いたものを見つけ出して、イザという時に備えてメモしておきます。この霊媒から離れている限りは思念を言葉に翻訳する面倒な手間はいりません」

-どうやってお互いを認識し合うのですか。

 「霊的な眼がありますから一人ひとりが認識出来ます。私達は盲目ではありません」

-私達の視力は物的なものなのですが。

 「あなた方はその二つの眼で見ているのではありませんよ。又その二つの耳で聞いているのではないのですよ。見たり聞いたりは脳を経由して精神で行っているのです。もしも脳が働かず精神に反応が生じなければ、その肉眼に映る光線は何の意味もありませんし、その肉耳に届けられる波動も全く無意味なのです。
 脳がレシーバーとしての働きをしてくれれば、後はその情報を理解するのは精神なのです。肉眼そのものには〝見る〟能力はないのです。ただ光線を感知する為の媒体に過ぎないのです。カメラのレンズと同じです。自分ではどういう役目をしているのか知らないまま自動的に機能しているのです。〝見えた〟という認識は、精神がその印象を脳から受け取った時に生じるのです。脳を傷めるとその認識が生じませんから、肉眼だけでは何も見えないことになります」

-霊界で相手を認識する時、その人の何を見ているのでしょうか。

 「人間と同じ形体です。頭もあり胴体もあります」

-身体はないと仰いましたが・・・・

 「物的身体はないと申し上げたのです。霊的身体はあります」

-ということは、相手を認識する時は霊体を見ているわけですか。

 「勿論です。みんな同じに見えるわけではありません。一人ひとり違います」

-書物を読むことがあると仰いましたが、それも思念で出来ているのですか。

 「全ての物体に霊的複製品があります。地上で書かれたものが複製されて納めてある図書館があります。必要が生じるとそこへ行って調べものをして知識を得ます。音楽も絵画もあります。地上にあるものは全てこちらにもあります」

-地上的成長のどの段階で人間の霊体がそちらから見えるようになるのでしょうか。

 「それはその段階での霊的覚醒のレベルによって違って来ます。地上と霊界の違いは、地上では様々な発達段階の人が一緒に生活出来ることです。こちらでは同じレベルまで発達した者としか会えません。霊的身体は霊格が高くなる程成熟していきます。霊界での成長は(老化に向かうことではなく)成熟するということです。ですから、年老いて他界した人はこちらへ来て若返り、若くして他界した人は霊的成熟度に似合った顔付きとなります」

-やはり顔で分かるのでしょうか。

 「勿論私達にも顔があります」

-人間にはなぜ顔があるのでしょうか。

 「それは、個性というものがそれぞれの魂の刻印だからです。全く同じ人は二人といません。双子でも霊的には同じではありません。完全へ向けての過程-本質的には無限の過程ですが-は顔や形体が無くなるということではありません。個性が崇高さを増し、霊的成熟度が増し、一段と強烈な光輝を発するようになります。その過程を続けて行く内に、上層界には目も眩まんばかりの光輝を発する存在がいることを知るようになります。
 私が地上を離れて内的上層界へ帰ると、〝神庁〟とでもいうべきものに所属する存在と出会うことがある話をしたことがありますが、そうした霊も皆個性を具えた存在です。個体性を失ってはいません。不完全の要素が少なくなり、完全無欠の要素の占める部分が多くなった段階にまで進化しているのです」

-なぜそちらの世界へ行ってからも身体が必要なのでしょうか。

 「霊はその個性に応じて自我を発揮する為には何等かの形体が必要なのです。霊それ自体には個的形体はありません。霊とは生命です。が、その生命が顕現するには人間なり動物なり植物なり花なり、その他ありとあらゆる形体をとる必要があります。霊は何等かの形体をとらないことには存在が認識されません」

-その形体を永遠に維持するのでしょうか。

 「そうです」

-霊界では自分より発達段階の高い者とは接触がないと仰ったように思いますが、そうなると、あなたご自身が〝光り輝く存在〟と直々にお会いになる時は何か特別な配慮をしてもらうわけですか。

 「いいえ。決して自惚れて申し上げるわけではありませんが、私がそうする時は私本来の霊格に戻るというに過ぎません。私はこの地上での仕事への参加の要請を受け、そしてお引き受けしたのです。その為には当然、本来の私の属性を一時的にお預けにしなければなりませんでした。しかし、そうすることによって、あなた方と同じく、私がよく言及している〝正反対の体験〟を得ることになります。それによって、一層の向上が得られることを願っております。
 霊界の生活の全体像をお伝えすることはとても困難です。言語と次元の差が障壁となるからです。例えば音楽を例にとれば、霊界には地上のいかなる楽器にも出せない音色があります。絵画でも、あなた方には想像もつかない色彩と美があります。それが感識出来る人も描写出来る人も地上にはいません。地上の人にとって大インスピレーションと思えるものでも、実際はごくごく小さな欠片に過ぎません」

 招待客が「我々人間にとって霊界の本当の姿を理解することが容易でないことは理解出来ます」と言うと-
 「とても難しいのです。しかし、その理解の為の準備が睡眠中に行われております。睡眠中は肉体を離れて一時的に〝死ぬ〟わけです。そうすることによって徐々に霊界生活に慣れていきます。そうしないと、いよいよ本当の死が訪れた時に何のことか理解出来ず、新しい生活環境に順応するのに長い時間を要することになります。地上にいる間の夜の霊界旅行での体験は全部潜在意識の中に収められています。それがいつか意識に上って来て、霊界があまり不思議に思えなくなります」

 ここでサークルのメンバーの中でも一番背の高い人が質問する。
-背丈のことをお尋ねします。例えば六フィートの人間はそちらでもやはり六フィートでしょうか。

 「どうやらこの質問には個人的興味が混ざっているようですね。答えは〝イエス〟です。物的身体は霊的身体の写しだからです。但し、そのサイズは霊的発達程度とは関係ありません。身体は巨人でも霊的には小人である場合があります」

-他界直後には言語上の問題がありますか。

 「あります。所謂〝幽界〟、つまり地球に最も近い界層においてはあります。そこには霊的自覚が殆ど芽生えていない者が住んでおります。まだ言葉が必要だと思い込んでいるので言葉を用いております」

-一方が英語で話相手がフランス語で話しても、実際は思念で通じ合っているわけでしょうか。

 「勿論です。元々思念には言語はないのです。言語というのは思念を単語に移し変える為の道具に過ぎません。私達の世界では思念に実体があり、物質は影のようにしか見えないことをよく理解してくださらないといけません」

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 環境との関係

-非物質的世界であれば、その世界はそこに住む者全てにとって同じものですか、それとも一人ひとりの思念によって拵えられるのでしょうか。もしも私が今あなたの世界へ行ったら、私の目に同じ世界が映るのでしょうか。それとも違う世界でしょうか。

 「それはあなたが地上でどの発達段階にあったかによります」

-もしあなたと一緒になったら、そこは私の精神によって拵えられた世界でしょうか。

 「そうとも言い切れません。もしもあなたが今の私と同じ位置、つまり同じ発達レベルにあると仮定すれば、あなたは私に見えるものを見、私が体験するものを体験します。が、今私が住んでいる世界-あなたと一緒になると仮定している世界が何で構成されているかは又別の問題です。これは言語で説明するのは困難です。言語というのはその裏側にある実在を幾らかでも表現しようとして絵画や概念やシンボルなどをそれでくるんで見ているに過ぎません。
 私達は〝生命とは霊である〟というところから出発いたします。私達の世界はあなた方の世界と同じく霊というものがあって初めて存在しているのです。その霊は無限です。従って無限の顕現をしています。
 ところで、思念とは一体何でしょうか」

 この質問にゲストが「思念とは私の精神が生み出すものです。精神が何であるかはともかくとして・・・」と答える。
 「それには実体がありますか」
 「多分思念は実体のあるものになれる性質をもったものだと思います。初めから実体があるのではないと思います」
 「でも、あなたは思考しながら自分が思考していることが分かってますね?」
 「ええ、思考によって物事を明確にすることが出来ると思います」
 「あなたは自分が思考していることを自覚していらっしゃる。が、思念は見ることも聞くことも、重さや大きさを計ることも出来ない。物理的な計量方法がないわけです。なのにあなたの行為の全てに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。思念なくして行為は生まれません。
 あなた方の世界では考えたことが行為として具現化します。私達の世界では考えたことが霊的実在として具現化し、それには、あなた方にとって物質の世界が実感があるように、私達にとって実感があります。要は相対上の問題です。あなた方にとって物質に実感があるように、私達にとっては思念に実感があるということです」
 ここでメンバーの一人が「思考とは別に物質界には客観的存在物があります。丘のように誰にでも見えるものがあります。霊界にも各自の思考とは別に客観的存在物があるのでしょうか」と聞くと、先のゲストが「私達は今この部屋に座っています。そして、そのことをみんな同じように認識しています」と口添えする。
 「でも、その認識の仕方は一人ひとり違います。私達の世界の生活には様々な存在のレベルがあります。といってそれが一つひとつ孤立しているのではなくて、お互いに融合しております。各レベルにおいてあなたの仰る客観的存在物がそこに住む人にとって同じように映ります。丘があり川があり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が茂っております。その全てに実感があります。
 それとは別に、思念によって実在物を作り出す力も各自に具わっております。成形力のある思念性の素材によって、自分に必要なものを拵えることが出来ます。それが、程度問題ですが、それなりの個体性のある実体を具えているのです」

 色即是空

-ということは、あなたの世界も物的と言えるわけですね?

 「言えます。物的という用語をどう解釈するかが問題ですが・・・」

-私の肉体と同じように物質で出来ているかということです。つまり私が死んでから纏う身体も物質であって原子の回転速度が一段と速いというだけなのでしょうか。

 「それもこれも皆、ただの用語に過ぎません。〝物的〟とか〝物質〟とかを用いる時はその意味を明確にしておかないといけません。ある意味では霊の世界は〝霊化された物質〟で出来ていると言うことが出来ます。しかしその時の〝物質〟という用語はあなた方が理解しているものとは違います。又〝物的身体〟というのも、今あなたが仰った通り原子で出来ているのです。原子は更に細かく分析出来ますが、その内計量器では分析出来ない段階に至ります。するとその原動力は物的なもの、形あるものではないことになります。つまり物質が形あるものというのはそう見えるというだけのことということになります。固いと思うのは錯覚なのです。
 人間には色々な身体があって、それぞれ発達程度が異なります。その肉体から脱け出ると、それとそっくりの幽質の身体を纏いますが、それは地上時代からずっと使用し自我を表現していたものです。バイブレーションが地上生活に相応しい高さだからです。その幽体は地上で肉体が実感があったように、他界直後の生活においては立派に実感があります。
 全ては意識している〝場〟の問題です。船に乗っている夢を見れば、眠っている間はそれが現実です。〝夢だった〟と思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だったことになります。もしも永遠に夢を見続けるとしたら、その夢の生活が現実となることでしょう。目が覚めている間は地上生活が実感があるように、その夢の状態が実感があるように思い続けることでしょう。
 今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう?もしかしたら、ここにいる人達と一緒に同じ夢を見ているのかも知れないということも考えられるのです。こんなことを申し上げるのは、地上には霊的実在に目覚めていないという意味で地上生活という夢を見続けている人間が無数にいるからです。その夢から覚めて、漸く自分は肉体ではないという自覚を得るのです。何度も申し上げているように、あなた方は肉体を携えた霊であって、霊を携えた肉体ではないのです。これは大変な違いです」

 パーソナリティとインディビジュアリティ

 サークルのメンバーが「それに加えて、我々には元々 Personality (確定した人物像)というものは無いということも大切なことですね」と口添えすると-
 「仰る通りです。パーソナリティというのは地上にいる間だけのものです。地上生活の為に便宜上つけているマスクのようなものです。地上生活が終わればマスクは捨て去ります」

-私は、霊は異なった〝種〟の物的形体を通じて顕現しながら完全へ向けて進化し最後に人間に至るという説を立てているのですが、正しいでしょうか。

 「あなたが仰るのは、人間という頂点に達するまで一個の霊があらゆる生命形態を通して表現されて来たという意味でしょうか」

-そうです。

 「あらゆる生命体というのであれば、それは私が Individuality (インディビジュアリティ=霊的統一体)と呼んでいる場合の個霊としてとは限りません。犬とか猫に生命を与えている霊はそれぞれに個別性があります。霊は生命であり生命は霊です。霊としてのあなたは無始無終に存在しております。それが現段階において受胎の瞬間から個性ある霊となったわけです。
 個霊としてのあなたの進化は今後様々な身体を通して続けられます。そして進化すればする程個性が発現されます。が、その場合の個性は地上で見せていた人物像とは意味が違います。これはとても理解の難しい問題です。進化の目的は完全性を成就することです。が、その成就の過程は無限に続くのです。進化して不完全な所を一つ取り除く毎に、又新たに取り除かねばならない不完全さに気付き、かくしてこの過程が永遠に続けられるのです。
 ここで是非とも認識して頂かねばならないのは、パーソナリティとインディビジュアリティとは大きな違いがあるということです。パーソナリティはインディビジュアリティが物的身体を通して表現している小さな側面のことです。インディビジュアリティがその個性を発揮する為に使用する数々の側面の内の一つで、地上にいる間に見せる人物像です。
 インディビジュアリティの側面は地上で見せる人物像だけとは限らず、他にも沢山あります。それを、地上を去ってより高い存在の場で進化しながら顕現し続けて行くのです。個性が発現すればする程地上で見せた人物像は消えていきます。霊格が高くなればなる程、あなた方が容姿から連想して画くところの人物像が消えていくのです。とても説明が困難です。その真相を上手く表現する用語が見当たらないのです。(巻末〝解説〟参照)
 こちらの世界はそちらからやって来る人達によって構成されております。そちらから未発達霊を送り込んで来なければ何一つ問題は起きないのですが、現実には何の準備も出来ていない、適合性に欠ける無知な霊を次々と送り込んでおります。小学校で学ぶべきだったことを大人になって教えるのは、中々難しいものです。(いつまで経っても物分りの悪い霊がいるその結果として)あなた方地上の人間は最低から最高に至る、ありとあらゆる霊的影響力に晒されることになります。が、実際に引き寄せるのは自分と同じ霊格をもった霊だけです。邪悪な人間は邪悪な霊を引き寄せ、心清き人は心清き霊のみを引き寄せます。それが自然の摂理なのです。
 自分の肉体が無くなったことに気付かず、霊的には死者同然のような霊が無数にいることを私達の責任であるかに思って頂いては困ります。それはあなた方が地上でやるべき仕事です。つまり肉体の死後に必ず訪れる次の生活に備えさせるように指導することです。
 霊の世界は地理的なものではありません。霊界は七つの界に分かれているなどと、まるで地図でも見るような言い方をする人がいますが、そのようなものではなく、全てが融合し合っているのです。不完全性を取り除くにつれて、その霊格に似合った境涯へ向上して行くのです。
 そうして発達を続けて行く内に霊的真理の実相を悟って、最早その理解の為に比較対照というものを必要としなくなる段階に至ります。それは地上においても達成出来るものです。つまり知的な思考による理解を超えた〝悟り〟を地上生活中に得ることが出来ます。それは私達の世界へ来てから比較対照が無くても実在が理解出来るようになるのと同じ段階です」

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 人類浄化の大計画

-霊界において計画が作製されてそれが地上界で実施されている例を沢山見ておりますが、それはどういう機構によって行われているのでしょうか。計画の中心的立案者が一人いて全体を纏めているのでしょうか。

 「連帯関係にある霊団が幾つもあり、各霊団に一人のリーダーがいます。その全体の総指揮に当たっているのが、かのナザレのイエスで、今尚地上世界の発展の為の事業に関わっております。そのイエスの下で地上ならさしずめ〝首脳会議〟に当たるものが開かれます。ご存知のように時折私もその会議に出席する為に一時的に上層界へ引き返し、それまでの計画の進展具合を点検し、連帯関係を確認いたします。審議会のようなものです。
 マスタープラン(総合的基本計画)というものがあり、私達に役割分担が当てがわれております。霊格の高さ故に地上の事業に関与出来る〝光り輝く存在〟を一目ご覧に入れたいと思うのですが、残念ながらそれが出来ません。そうした霊団の他にも、他の形態の生命に関与している霊団もありますが、私が関与しているのは地上人類の為の事業です。
 計画は完璧です。なぜなら、その立案に当たって完璧な叡智が働いているからです。しかし、それを実現させるには様々な要素を考慮しなければなりませんから、当然の成り行きとして、その進展は遅々としたものにならざるを得ません。自由意志、カルマ、運勢、好み-こうしたものが全て考慮されるのです。進歩を確実なものにする為には全体への配慮を必要とするのです。その進歩は必ずしも直線的なものではありません。それは有り得ないことなのです。いずれにせよ、こうした中であなた方も神意の成就へ向けての無限の創造過程に幾ばくかの貢献をなさっていることを自覚なさるべきです。
 雄大な構想の下にそのマスタープランを推し進めて行く事業に参加出来ることは、この上なく光栄なことです。だからこそ私は皆さんに、明日のことを思い煩うことはお止めなさいと申し上げるのです。いかなる困難、いかなる障害、いかなるハンディキャップ、いかなる反抗に遭遇しても、又、いかなる愚かさ、いかなる無知、いかなる迷信が立ちはだかっても、霊の力によって、万事、必ず上手く行きます。真理は常に行進しており、その目的成就を妨げることの出来る者は一人もいません。ですから皆さんは堂々と胸を張り、背後に控える霊力は地上で遭遇するいかなる勢力よりも強大であることを、しっかりと認識なさることです」

 このことに関連してサークルのメンバーから幾つかの質問が出された。その回答の中でシルバーバーチは、その大霊団を構成しているのは必ずしも地上生活を体験した者ばかりではないこと、その中での自分の位置についてはこれまでに述べたこと以上のことは述べるわけにはいかないこと、その大事業の計画は遠い昔に立案されたものであることを述べ、こうしたことが地上の人間に容易に把握出来ないのも無理はないという理解を示した。(『ベールの彼方の生活』第四巻にはその大事業の立案から実施に至る経緯が雄大な筆致で叙述されている-訳者)そしてこう述べた。
 「真理に霊的価値が多ければ多い程、地上の言語による説明が困難となります。私達は今霊的な内容のものを扱っているのです。至ってお粗末な表現手段である言語では、地上的要素からはみ出たものは包含出来ないのですから、用語の意味に限界が生じます」

 神々の世界

-今仰った上層界より更に高級な世界があるのでしょうか。

 「あります」

-全部繋がっているのでしょうか。

 「そうです。無限に繋がっています」

-階段(ステップ)状に上へ上へと伸びているのでしょうか。

 「ステップと呼びたければそう呼ばれて結構です」

-〝光輝く存在〟と仰った存在も自我を表現する能力を有しているのでしょうか。

 「皆個性的存在です。意識をもった存在です。自動人形ではありません。光輝いております。指導者的霊格を具えた高級霊です。大天使団、神の使節です」

-かつては皆人間だったのでしょうか。

 「いえ。バイブルをお読みになれば、天使、大天使のことが述べられております」

-ということは常に霊的存在がいたということでしょうか。

 「宇宙のどこを探しても霊でない存在はいません」

-私はどの霊も一度はこの地球という惑星での生活をしなければならないものと思っていました。

 「そういうものではありません。あなた方の地球は無数に存在する生活の場の一つに過ぎません。一度は必ず地球上で生活しなければならないというものではありません。全てを包括したマスタープランがあり、その中から何一つ、誰一人として除外されることも忘れ去られることもありません。
 あなた方に見えている星の彼方にも無数の星があります。惑星の彼方にもあなた方がまだご存知ない別の惑星、別の生活の場があります。宇宙は無限に広がっているのです」(『ベールの彼方の生活』第四巻の274~276頁にこのことが具体的に述べられている-訳者)

-始まりも終わりもないのですか。

 「霊には始まりも終わりもありません。霊は無窮の過去から存在し無窮の未来まで存在し続けます。バイブルを紐解いてごらんなさい。イエスもこう言っております-〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟(ヨハネ伝8・58。イエスがユダヤ教のリーダー達と論争した時の最後のセリフで、アブラハムはユダヤ人の祖とされている人物なので、それより前から存在していたと聞かされてその本当の意味が分からず、生意気なことを言う奴だと石を投げつけるが、イエスは身を隠して逃れた-訳者)

 死後の再会

-私達はいつかはかつての地上での仲間や親族のいる境涯へと向上して行き、ずっと一緒に暮らせるようになるのでしょうか。

 「その人達と同じ発達レベルまで到達すれば勿論一緒になれます。こうしたことは収まるべくして自然に収まる問題です。あなたは今これまで霊的に到達した境涯、段階、存在の場を占めているのです。それと同じレベルにある者は皆似たような発達状態にあるのです。ですから、ご質問に対する答えは、あなたがその人達と同じ霊的発達段階に至れば一緒になれます、ということになります。向上の道は常に開かれております。完全へ向けての、永遠に続く奮闘です」

-ここに愛し合う二人の人間がいて、一方が他方より霊格が遙かに高いとします。死後二人が一緒になるには発達の遅れている方が待たねばならないのでしょうか。

 「その逆が普通です。霊格の高い方が待つことになります。そこには愛の要素があるからです」

-死んで霊界へ至る過程はどんなものでしょうか。

 「死とは物的身体から脱出して霊的身体を纏う過程のことです。少しも苦痛を伴いません。ただ、病気又は何らかの異状による死には色々と反応が伴うことがあります。それがもし簡単にいかない場合には霊界の医師が付き添います。そして、先に他界している縁者達がその人の〝玉の緒(コード)〟が自然に切れて肉体との分離がスムーズに行われるように世話をしているのを、直ぐ側に付き添って援助します。
 次に考慮しなければならないのは意識の回復の問題ですが、これは新参者各自の真理の理解度に掛かっています。死後にも生活があるという事実を全く知らない場合、或いは間違った来世観が染み込んでいて理解力の芽生えに時間を要する場合は、睡眠に似た休息の過程を経ることになります。
 その状態は自覚が自然に芽生えるまで続きます。長くかかる場合もあれば短い場合もあります。人によって異なります。知識を携えた人には問題はありません。物質の世界から霊の世界へすんなりと入り、環境への順応もスピーディです。意識が回復した一瞬は歓喜の一瞬となります。なぜなら、先に他界している縁のある人達が迎えに来てくれているからです」

 霊的身体について

-幽体の寿命はどうなっているのでしょうか。死後は幽体で生活するわけですが、どの位の期間もつのでしょうか。

 「それは地上の年数で数えるわけにはいきません。肉体が老いていくのとは違って、霊的向上に伴って生じる変化だからです。あなたには沢山の身体が具わっています。それらを幽体だのエーテル体だの霊体だのと呼んでおられるのですが、あなたはその内のいずれか、つまりそれまでに到達した霊的進化のレベルの自我を表現するのに似合ったものを使用します。そして更に進化すると、昆虫が脱皮するようにそれを脱ぎ棄てます。つまりあなたは常にその時点での霊格に相応しい身体で自我を表現しているわけです。死後の身体はそういう過程を辿ります。それが無限に続くのです」

-真の自我は肉体でもなく幽体でもなくて、一体何なのでしょう?

 「どう呼んでみたところで所詮は用語に過ぎません。言葉は三次元世界のものですから、言葉を超えたものを完全に表現することは出来ません。従って霊とは何かということを正しく表現出来る用語がないのです。
 霊は物質的なものではありません。三次元的なものではありません。どこそこという存在場所をもつものではありません。身体のように空間を占めているのではないのです。あなた方の物的な感覚によっては、見ることも聞くことも触ってみることも出来ません。その霊こそ実在なのです。霊とは生命力です。霊とは動力です。霊とは宇宙の大霊の一部なのです。
 ですから、あなた方人間は三位一体の存在ということになります。物的身体があり、霊的身体があり、そして魂(霊)があります。それらを全部別の用語に置き換えたければそうなさるがよろしい。が、何の意味もありません。用語をいじくり回すに過ぎません。魂とは神性の火花です。内部に宿る大霊の一部です。
 あなたはその身体ではありません。その身体はあなたではありません。霊的身体はその物的身体が崩壊して大地に戻った後、引き続き自我を表現する為に使用する媒体です。本当の自我は外側、表面、殻などには存在しません。内部の核、仁、中枢、魂、生命、つまりはあなたに潜在する〝神〟です。霊は無限の存在であるが故に無限の顕現と段階的変化を辿ります。一連の身体があり、それをアストラルだのエーテルだのと呼んでおられますが、それも一個の霊が顕現したものなのです。用語に惑わされてはいけません。言葉はただの道具に過ぎません」

-肉体と幽体はどこまで似ているのでしょうか。胃液とか聴覚器官とか筋肉とかがもしあるとすれば何かの役に立つのでしょうか。

 「何の役にも立ちません。あなた方がその肉体器官を機能させる時それぞれの器官とそっくりの幽質の身体を使用しています(これを複体(ダブル)と呼ぶことがある-訳者)が、それには筋肉も胃液も聴覚もありません。霊が肉体を通して顕現し機能する為の外皮のようなもので、死が訪れると地上での役目が終わったことになりますから、その時点で脱ぎ棄てられて別の身体が用意されます。こうして霊が浄化していくのに伴って、その段階に相応しい表現機関として次々と新しい身体を必要とします。霊的身体は沢山あるのです」

-沢山あるとすると、死ぬ時はどうなるのでしょうか。一つひとつ脱け落ちていくのでしょうか。

 「進化する毎に身体を脱ぎ替えていきます」

-ということは、我々は何度も死を繰り返すわけですか。

 「そうです。但し霊が死ぬのではありません。表現の媒体が変わるということです」

-いずれは幽体を脱ぎ棄てる時期が来るわけですが、それも〝死〟ですか。

 「そうです。肉体が役目を終えて棄て去られるのと同じです」

-我々は何度も死ぬわけですね。

 「そうなります。が、それは有り難いことなのですよ。進歩していることを意味するからです」

-いずれ最後は何の身体も纏わない純粋な霊のみの存在となるのでしょうか。

 「私は、その段階には永遠に至らないのではないかと思っています。それに近付く過程の連続だと考えています」

-そこに霊的進化の核心があるのですね?

 「人生そのものの根本の目標が進化であり発展であり成長であり学習なのです。進化する毎に、それまで役目を果たして来た身体が自動的に脱け落ちて、その進化した段階に相応しい身体を纏うのです」

-ある意味では我々の皮膚が次々と剥げ落ちていくのと同じですね。

 「しかも、全身が七年毎に(細胞が入れ替わって)新しい身体となっております。が、あなたという霊は決して無くなりません」

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 霊界の仕事

-霊界にも自分を役立てる機会があるのでしょうか。

 「ありますとも!地上より遙かに多くの機会があります。こちらには、あなた方の理解を超えた問題が色々とあります。霊的宇宙の至る所に存在する無数の霊-病める霊、幼い霊、忘れ去られた霊、孤独な霊、いびつな霊、無知な霊、こうした不幸な霊の面倒を見なければならないのです。なぜこんな厄介なことになるのか-それはあなた方の世界がそういう霊を送り込んで来るからです」

-霊界の人達も行動範囲に限界があるのでしょうか。それとも自由に宇宙を駈け巡ることが出来るのでしょうか。旅行も出来るのでしょうか。探検も出来るのでしょうか。

 「勿論出来ます。但し、それが出来るだけの資格を手にすればのことです。霊格の問題です。そこに目的意志というものが無くてはなりません」(遊び半分、面白半分の宇宙旅行や探検は許されないということ-訳者)

 更に関連質問を受けてから冒頭に引用した言葉を述べた。すなわち-
 「私達霊の世界の生活がどうなっているか、その本当の様子をお伝えすることはとても困難です。霊の世界の無限の豊かさについて、あなた方は何もご存知ありません。その壮大さ、その無限の様相(バラエティ)は、地上のどの景色を引き合いに出されても、どこの壮大な景観を引き合いに出されても、それに匹敵するものはありません」

-私が思うに、死後の世界へ行っても、そうした霊界の豊かさを探検する楽しみを捨てて、地上で始めた仕事を続けている者が大勢いるのではないでしょうか。

 「そちらで医者だった者がこちらで更に勉強し、地上での知識をプラスして病気の治療に当たっている人が沢山います。それが霊的開発の証なのです」

 再会時の識別の問題

 ここでサークルの女性メンバーの一人が見解を述べたのに対して-
 「法則というものがあって、それが全てを規制しているのです。その内あなたも何一つ忘れ去られたり見落とされたりすることがないことを理解なさいます。私はいつも大自然の摂理とそれによる経綸の完璧さに感嘆しているのです」

-実は私の妹は出産の際の器具の使い方が悪くて脳に障害を受けました。それはそれは醜い姿になってしまいました。今は他界していますが、私が他界した時に直ぐに妹が分かるでしょうか。今も地上にいた時と同じ姿をしているのでしょうか。なぜ妹は40年間もそういう醜い状態で地上生活を送らねばならなかったのでしょうか。

 「この種の問題は本当は個人的感情を抜きにしてその原理を直接扱えば簡単に片付くのですが、それが出来ないのが残念です。地上に生を享けているいかなる人間も、代償の法則、時には懲罰とも言うべきものから逃れることは出来ません。ある段階において必ず霊的な貸借の差し引き勘定が行われ、借り貸し無しの状態となります。そちらで欠陥のあった人はこちらでそれ相当の埋め合わせがあります。
 不具といってもそれは肉体上の不完全さであって、精神や霊が不具になることは絶対にありません。何等かの脳の障害によって精神や霊が表現の機会を与えられなかったことから生じる未熟な精神、未熟な霊ならあります。そうした霊は他界した時点では多分幼児のような進化の程度でしょう。しかし、精神又は霊には何の障害もありません。
 なぜそういうことになったかということですが、これは更に複雑な問題です。因果律、器具の扱い方の間違い、処置の不手際、こうしたものが重なって身体が害され、脳が本来の表現と認識の道具としての機能が果たせなくなったわけです。なぜそうなったのか?もしかしたらカルマが働いていたのかも知れません。が、私は個人的なことにはお答えするわけにはいきません。私はあくまでそれに関わっている原理、原則しか扱えません」

 別の人が「この方はご自分が他界した時に直ぐ妹さんだということが識別出来るかどうかを知りたがっております」と言うと-
 「識別は想像されている程困難なものではありません。他界して来た人はその人と何らかの縁故のある人達によって看護されます。その人達は死期が近付いたことを察知することが出来、迎えに出ます。霊というものは自分の識別を容易にしてあげる為に一時的にどんな形体でもとることが出来ます。子供の時に他界して地上の時間にして何十年も経っている場合、その母親が他界して来た時に一時的に他界時の子供の姿になって見せることが出来ます。ですから、それはご心配なさる必要はありません」

-そちらから人間をご覧になる時、私達の霊体が見えるのでしょうか。人体が見えるのでしょうか、それとも両方が見えるのでしょうか。

 「それは一口にはお答え出来ない問題です。その霊が開発した能力によって違って来るからです。特殊な能力-地上の霊能者が使用する霊視力と同じものをもっておれば人体も見えますが、一般的に言えば霊は人間の霊体を見ている場合の方が多いです。今の私にはこの部屋の物体は何も見えません。ご出席の皆さんの霊体だけが見えております」

-こちらの世界からそちらの世界へ行く時、そちらの縁ある人達にそのことを知らせる何かの連絡組織があるのでしょうか。

 「そういう人達は常にあなたと一緒ですから、そういう組織は必要ありません。あなたご自身が覚悟するずっと以前からあなたの死期を察しております。そしていよいよその時期が到来すると、側に来て待機します。宇宙で愛程強力な引力はありません。愛で繋がった人は決して離ればなれにはなりません」

 ここでその日のゲストの一人で霊媒をしている女性が興味深い質問をした。その霊媒がその日ある婦人の依頼で一ヶ月前に他界したばかりのご主人を呼び出してメッセージを述べさせたところ、その日の朝はこんなことをした、昼はこんなことをした、夕方はこんなことをした、という内容のものだったという。それで、霊界の生活にもそのように地上と同じ朝・昼・夜の変化があるのかという質問をした。これについてシルバーバーチはこう述べた。

 「こちらへ来て間もない初期の段階ではそういうことがあります。まだ新しい霊的環境に順応していない為です。霊界の低い界層、所謂幽界の環境は地上とそっくりです。これは新参者が感覚を慣らして行く為の神の配慮です。
 そうしないと新参者は戸惑うのです。そうしたことから、今仰った人のように、霊界へ来てからも朝と昼と夜の生活があるように思っている霊がいることになります。そう思うからそうなるのです。私達の世界は思念が実在となる世界です。悟りが芽生えるまではその過渡的な状態が続きます。それとは別に、後に残した人の援助がしたくて、あえて霊的向上を望まないというケースもあります。
 霊界にも庭園もあれば家もあり、湖もあれば海もあります。なぜかと言えば、元々こちらこそが実在の世界だからです。私達は形のない世界で暮らしているのではありません。私達も相変わらず人間的存在です。ただ肉体を持たないというだけです。大自然の美しさを味わうことも出来ます。言葉では表現出来ない光輝溢れる生活があります。お伝えしようにも言葉がないのです。
 ごく自然な形で霊界でも家に住みます。ですがその家は地上生活(の善行・徳行)によって拵えられたものです。庭園も自然な形で存在します。手入れがいると思えば手入れをします。究極的にはそうしたもの一切が不要であるとの悟りに達しますが、それまではそうした(地上とよく似た)環境の維持に必要な配慮がちゃんとなされております。もしそうした配慮がまるでされなかったら、地上から霊の世界への移行は大変ショッキングな出来事となってしまいます。
 霊界での生活は段階的に向上して行くようになっています。各界層、段階、ないし表現の場は、下と上とが地理的にではなく進化的な意味で重なり合い、次第に融合しております。魂が向上し、より高い境涯への適応性が身に付くと、自動的にその境涯に置かれるのです。これも完全な叡智の完璧な働きの一例です。何一つ偶然ということがないのです。
 (訳者注-オーエンの『ベールの彼方の生活』第四巻でアーネル霊が、暗黒界から救出された霊の集団によって作られたコロニーについて次のように述べている。《その後もそのコロニーは向上しつつあります。そして増加する光輝の強さに比例して少しずつその位置が光明界へと移動しております。これは天界における霊的状態と場所との相互関係の原理に触れる事柄で、貴殿には理解が困難、いや、不可能かも知れません。それでこれ以上は深入りしないことにします》)
 霊的に病んでいる場合はこちらにある病院へ行って必要な手当を受けます。両親がまだ地上にいる為に霊界での孤児となっている子供には、ちゃんと育ての親が付き添います。血縁関係のある霊である場合もありますが、霊的な近親関係によって引かれてくる霊もいます。このように、あらゆる事態に備えてあらゆる配慮がなされます。それは自然の摂理が何一つ、誰一人見捨てないように出来ているからです。
 地上生活の究極の目的は、人間が霊的成長にある段階において、物的現象の世界の裏側に存在する実在に気付くように、様々な体験を提供することです。大自然の摂理は正常な人間には例外なくその機会が与えられるように働いていることを私は確信しております。もしそうでなかったら神によって無視されたり恩恵に与れない人間がいることになり、そういうことは絶対に有り得ないことだからです。霊が地上に誕生するというその事実が、潜在的にその子供にもいずれ芽生えるであろう霊的自覚が秘められており、その為の機会がこれから与えられて行くということを意味しております」

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